第2話 待機

 香奈と共に、自室である部屋へと向かう。

 この部屋はまだ和の要素を残しており、床が畳で座布団が数枚、中央には少し大きめの机があった。強いて言えば飲み物を冷やす冷蔵庫、テレビなどがあるぐらいだろうか。

 背負っていたリュックを下ろし、座ってその中に縦向きに入っていた『少し大きな木箱』をそっと取り出し、両手で持って、床にそっと、供物でもするような仕草で優しく置いた。

「三十分ゆっくりしろと言われたけど、まあ、舞さんも一緒に食べるだろうから、準備はしておこうか」

「そうですね」

 机の上には特に何も置かれていないが、除菌シートで拭く程度の事はしておきたい。

 そして乱雑に置かれている座布団も、庭へつながる襖を開けて外へと運び、叩いて埃を落とす。その作業を四つ分行った。

 その間に香奈は冷蔵庫からお茶とグラスを取り出してくれていたようで、机にペットボトルのお茶、ガラス製のグラスを三つ並べてくれていた。

「まあ、こんなもんか……」

「そんなもんだと思います。まだ数分しか経ってませんね」

 机を拭いて座布団を整え、お茶を出しただけなのだから当然ではある。さて、やる事が無くなった。

「ちょっと横になりたいけど……ご飯作ってくれてるし、流石に失礼か」

「いいと言われていても、烏滸がましい気がする時って、ありますよね」

「まさにその時だよ。にしても、何もしないのは流石に嫌だな……。よし、今日見た怪異のこと、俺たちなりに考えてみるか。ペンションは既に崩壊していた……。腐り具合などを考慮すると、年単位は経ってるな」

「私たちがあの怪異を視認できたのは、凡そ十メートル。それより近づけば危ないかもしれませんね」

「かといって、一定の距離を保って対処するなんて事も難しい。そもそも動きがわからないから、今直接的な対処法を練っても仕方がないぐらいだな」

「うーん……。でも、一つだけ分かったことがあります。殺意とか敵意とか、そういったものは微塵も感じませんでしたから、体現性怪異の可能性が高いんじゃないかと。それなら楽なんですけどね」

 彼女の言う通り、体現性怪異であれば、対策はまだ楽な方だ。

 この世に現れる怪異は『体現性怪異』『怨恨性怪異』『友好性怪異』と、大きく三つに分けられる。

 体現性怪異は、怪談話などに出てくる幽霊、心霊、妖怪、怪奇現象……。そういった話を基にして、この世に実体を得てしまった存在。

 怨恨性怪異は、この世に怨みや嫉み、余程の強い負の感情を残して死んだ者が最後の最後、稀に成り果てる事がある存在。

 そして友好性怪異。これはその名の通り、人に対して敵意がない存在。土地の守り神や守護霊等、それらが実体を得た場合は、この種類となる事が多い。もっとも、全ての人に無害とは限らないのだが、基本的には無害と言える。

 この中で体現性怪異は、相手の特徴、性質、対策法等も、基となった話を辿れば全て把握することができる。

 実際に対峙するこちら側としては、事前に多くの情報を得ているというだけで、かなり優位に立てる。その為、非常に気が楽になる。勿論、必ず排除できるとは限らないが。

「調査報告を待つしかないな」

「んー……。後者であってほしいなぁ、何も考えなくて済むので……」

「俺たちに何もしなかったんだから、可能性は高いと思うけどな。でも俺はそんなに強くないし、後者なら任せたいんだけど」

「勿論、そこは任せてください。ただ、早く結果が知りたいですね」

 この、調査隊の報告待ちの時間。これが本当に虚しく感じてしまう。何もできない自分というのが情けなくてどうしようもない。かといって手伝いをしても足を引っ張るだけになるのは目に見えている。

 腕を組みながら天井を見上げる。天井の木目を目でなぞりながら思考を巡らせるが、そう簡単に答えは出そうに無い。

 そんなことをしばらく続けていると、外から足音が聞こえてきた。最初は舞さんかと思ったが、力強い足音で床を強く踏んでいるらしく、とても彼女とは思えない。

 その足音は部屋の前までやって来て、足音が止んだ途端に部屋の襖が勢いよく開かれ、甲高い乾いた音を響かせた。

「おい、暁!お前、また私に何も言わずに勝手に動きやがったな!」

「え、え?」

「お前はまだ新人のペーペーの見習いもいいところ、私の言うことを聞けと何度も言っただろうが!勝手なことしやがってこの野郎!」

 ──梁坂やなさか雪乃ゆきの。自分がこの機関に入る前から、怪奇連盟実動隊として配属されている方で、自分の先輩である。言っていることは正しいのだが、口が悪いというか、乱暴な話し方をするのが少し苦手だ。悪い人じゃないだけに、そう思ってしまう事が申し訳ない。

 軽くうねりながら肩まで伸びた、かなり淡い、クリーム色のような柔らかい茶色の髪と、少し鋭い目つきが特徴的な人で、服装もそれに見合う淡い物を纏っていた。

「梁坂さん、これには訳が――」

「また言い訳するつもり!?お前の考えていることなんて全部まるっと何から何まで分かってんのよ!」

「えぇ…………。いや、確かに梁坂さんは先輩ですし、尊敬もしてます。けど、この件は矢坂さんから名指しで指示された訳で……」

「そっ、そういうのも私に一言入れてだな……。って、こらそこ!蜜坂!」

「はえ!?私ですか?」

「あんたもあんたよ!こいつの事ちゃんと見てないとそのうち──」

「あれ?雪乃ちゃんじゃない。どうしたの?」

 よく見ると、梁坂さんの後ろには、お盆にご飯を乗せて運んできた舞さんが立っていた。

「八風……!今日こそ私の方が先輩だって事をわからせてやる!」

「ふふ、今日も元気で良かった。もうご飯は食べた?」

「な……いや、まだだけど」

「良かった、私たちは今からなの。よかったら一緒にどう?」

「……でもこれ、三食分だろ」

「私はいいよ。香奈ちゃんがくれたおにぎりがあるからね」

「ふん、後で私に飯代寄越せって魂胆だな?」

「美味しく食べてくれたら、それで十分だよ。ほら、冷めないうちに頂いて」

「んん…………」

 舞さんに言いくるめられた……。この人の芯の強さには感銘を受ける。さっきまで吠えていた梁坂さんも、すっかり黙り込んでしまった。

 何がすごいって、舞さんはさっきの会話で顔色ひとつ変えず、ずっと後光が差すような眩しい笑顔で会話をしていた事だ。この透き通るように曇りのない表情は、梁坂さんにとっても、かなり効果的らしい。

 すっかり落ち着きを取り戻した梁坂さんは、用意していた座布団に腰を下ろした。それを見て自分達も腰を下ろす。そこに舞さんが、持って来た食事を並べてくれた。

 素麺と、夏野菜のサラダ、それと味噌汁だった。

「急いで作ったから、そんなに手が込んでいる訳じゃないし、食べ合わせも妙かもしれないけれど、そこは大目に見てくれないかな」

「いえ、忙しい中ありがとうございます。では、お言葉に甘えまして、いただきます」

 急いで作ったと言う割には、丁寧に盛られた素麺を麺つゆに潜らせてから口に運ぶ。

 ……うん、弾力がしっかりとあり、それでいてとても喉越しが良い。素材も勿論良いのだろうが、茹で時間などもしっかり守っているのだろう。いかにも舞さんらしい、そんな感じだった。

 野菜も、胡瓜やトマト、そして錦糸卵。これらには胡麻ドレッシングがかけられている。野菜もしっかり水洗いをしてから切っているのだろう。そしてこの錦糸卵。目に優しい黄色一色で、色の濃淡が見られない程、とても均一で美しく、焦げ目が一切ない色だった。口に運べばほんのりと甘く、ふわふわとした食感が口いっぱいに広がる。これらの野菜、卵をそうめんと共に口に運ぶと、またさっきとは違った顔を見せる。麺つゆとの親和性が高いのか、食材のどれもこれもが喧嘩をしなかった。それどころか、胡瓜のカリカリ感、卵のふわふわ感、素麺のもちもち感……。そららが噛むごとに複雑に絡み合い、違った味わいを見せてくれた。

 そして味噌汁。具材は玉ねぎと豆腐だけのシンプルなつくりだった。

 一口啜ると、素麺を食べて少し冷えた体が温められるようで、とても心地よい。思わず「ほぅ」と一息ついてしまう。

「舞さん、美味しいです!」

 香奈からも好評らしい。よく見ると、彼女が食べている素麺、野菜、味噌汁……。そのどれもが、少なくとも自分の倍以上盛られていることに気がついた。

「……うん、美味しい。ありがと」

 梁坂さんはというと、すっかり素直になってしまっている。それを正座で見ている舞さんは、ご満悦の様子だ。

「美味しいです、ありがとうございます」

「喜んでもらえてよかった。香奈ちゃん、おにぎりいただくね」

「どうぞ!」

 こうして四人での食事が始まった。

     ◆◆◆

 食事を終え、食器をお盆に片付ける。舞さんは貰ったおにぎり二個では流石に足りなかったようで、香奈からまた少し分けてもらっていた。

「香奈ちゃん、ありがとうね」

「いえ、こちらこそありがとうございました、美味しかったです!」

「本当、ありがとうございます、ご馳走様でした」

「……ありがと、ご馳走様」

「お粗末様でした」

 食事を終え、三人分の食器を盆の上に戻す。

 コップに注がれたお茶を一口飲み、一息ついたところで、不意に舞さんが話を切り出した。

「修一くん、うちに来てどれぐらい経った?」

「え?確か……一年ぐらいになりますかね」

「もう一年かぁ、早いもんだね」

「はん、たかが一年の分際で、私を無視とはいいご身分ね」

「いや、無視した訳じゃ……」

「まあまあ、雪乃ちゃんも、君を心配してくれてるんだよ。だって、怪異調査に二人で向かったって話をした時なんか――」

「ああああ!待て、待て!話すな!」

「……まあ、色々あったことはわかりました。梁坂さん、ありがとうございます」

「ッ……んだよ、今更。まだ『異能力』にも目覚めてないのに危ないって言ってやっただけだよ……」

 『異能力』とは、その名の通り、この世の理が通じない異能の力。この機関にはそれを扱える人間が多くいる。どのような力なのかは、個人によって異なるが、不思議と重複した例は無いらしい。

 梁坂さんも扱える側の人だ。ただし、力はまだ見せてもらった事がない。

「口に似合わず優しいよね、雪乃ちゃん」

「ああもう!わざとか?わざと言ってる!?」

 しばらくこの二人の口論が続きそうだな……。そう思って二人を眺めていると、梁坂さんの背後に人影がいることに気がついた。

「楽しそうね、みんな」

「わああ!や、矢坂さん!」

 梁坂さんは本当に驚いたようで、その場で勢いよく振り返りながら、手を畳につけて後ろに下がっていた。

「あれ?凛さん。どうしたんですか?」

「舞ちゃんの部屋に行ったら留守だったから。晴徒くんに話を聞いて、ここかなって」

「なるほど……。要件はなんでしょう」

 自分への要件だと知った途端、舞さんは足を矢坂さんの方に向けて座り直し、話し方もすっかり切り替わった。完全に仕事状態だ。

「調査隊から連絡があったの。雪乃ちゃん、修一くん、香奈ちゃんも聞いて。例のペンションに発生した怪異、あれは地元の学校で流れた噂話が原因。つまり体現性怪異でまず間違いないわ」

 それを聞いた途端に、場の空気がズンと重くなる。さっきまで牙を剥いていた梁坂さんも、ただ黙って矢坂さんの目を見ていた。

「対策の方針は」

 そう切り出したのは舞さんだった。優しい雰囲気も霞んだ声色で問いかけていた。

「出動は今夜二十三時。実動隊からは梁坂、椿、暁、蜜坂が出動。八風と笹尾は本件とは別に調べてもらいたいことがあるから、今回は除外。詳しくは後で話すわ」

「わかりました。本件における怪異の特徴は」

「血の気が引いた青白い体躯には、異様に伸びて横に垂れてしまった首と長い四肢。そして床一面に広がるほど長い髪。顔はひどく痩せていて、目なんて、あるのかわからないほどに落ち窪んでいるそう。噂によれば、彼は自身の縄張りに入って来た人間を瞬く間に髪で拘束。そこでを提供してくれるそうよ。ただし、食べない、残す、捨てる、そんなことをすれば、その場で殺害し、次の食材として処理されるらしいわ」

 今回の怪異は体現性。つまり、生前の記憶だとか、そんなものは一切関係がない。噂に尾ひれがつけばつくほど強力になっていく。どうやら今朝確認した時より少し成長しているらしく、髪で顔が隠れてはいないらしい。

 噂話が原因にある以上、その影響を強く受けるこれらの怪異は瞬く間に姿を変える。この段階でもかなり厄介な性質だが、こいつの場合、これで済んだと思うべきだろう。

「各自、気を引き締めて。死なないでよ」

「了解」

 その場の全員で返事をし、矢坂さんはその返事にゆっくりと頷き、そのまま踵を返して帰っていった。

「さて、仕事が決まったね」

「私、椿に伝えてくる」

 そう言って梁坂さんは部屋を後にした。

「二人とも、今のうちに休息を取ろう。今が十五時過ぎぐらいだから、あと八時間。怪異を前に寝ようものなら、命がいくつあっても足りないからね」

「勿論です。あいつの料理にはなりません。香奈、一旦休もうか」

「はい。布団出しますね」

 舞さんが卓上の食器を下げてくれたので、机と座布団をずらし、押し入れに畳んで入れてあった敷布団、掛け布団を敷く。

「しばらくしたら凛さんが呼びにくると思うから、それまでゆっくりね」

「ありがとうございます。舞さんもごゆっくり」

「おやすみなさい!」

「うん、また後でね」

 そう言って舞さんも部屋を出ていった。部屋には自分と香奈しかいない。つい先程まで賑やかだったのが嘘のように、閑散としていた。

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