0章:学園都市の平和……な日常?
01:ある学生の平凡な朝
まず最初に認識できたのは、目の前を包む暗闇を無理やりこじ開けるかのように、どこかからするりと強引に滑り込んでくる光だった。
「ん……んんんぅ……」
それが、閉じられた自分の瞼の奥から侵入する太陽の光だと認識するのには、僅かにしか浮上していない意識でも、数秒とかからなかった。
そして心地よい穏やかな暗闇から、自分の意識を容赦なく引きはがそうとしてくるその太陽に抗わんとして——半ば無意識に手がもぞもぞと動く。
閉じた瞼を貫通し、視覚を通して脳を暴力的に叩く光を遮断するという、重要な使命を負ったその手は。
何かを探しているかのように、緩慢ながらも焦るようにあちこち動いて、ついに目的と思しき感触に辿り着いた。
「んん……? うぅん……」
柔らかくてふわふわとしていて、そして滑らかな手触り。周囲の冷気との差で際立つ、温かみの残る布の感触。
それを認識するとほぼ同時、手中の感触をぎゅっと掴んで——頭の上まで一気に引き上げる。
「んん…………」
すると先ほどまで一方的に知覚への主張を続けていた太陽光が、再び暗闇へと呑まれていく。
ぐっじょぶ、お布団……などと、優しく出迎える微睡みへと沈んでいく意識で、漠然とサムズアップ(想像)して。
布団による完全武装体勢を固め、いざ二度寝に戻らんとした——その時。
ピピピピ——ピピピピ————と。
今度は耳元でけたたましく、鼓膜から意識へとアプローチする騒音が響き始めた。
「んんぅ……もぉ、こんどはなに……?」
沈みかけた意識が無理やり浮上させられて、穏やかな睡眠への道筋が遠のいていくのを感じる。
手に掴んだままの布団を耳を塞ぐように引き寄せ、音を遮断しようと試みる、が……。
『ピピピピ! ピピピピ!』となおも勤勉に己の役割を果たすそれを、完全に遮るには至らない。
覚醒を促す不快な機械音は、こうしている間にも無慈悲に、こちらの意思など一切気にせず脳を揺さぶってくる。
「……うるさいなぁもう~……んん……」
仕方なく、体は半ば勝手に次の手段を試みる。
布団を押さえつけていた、白く細い手がもぞもぞと動き——布団の外にある音源を特定せんとする。
やがてベッドの横にある机の上で触覚が認めたのは、硬い感触の薄い物体。
細かく振動するそれを、自分のスマートフォンだと反射的に認識した刹那——五指で握ったそれごと、手を布団の中の暗い
「……う~ん……?」
ぼやけて良く見えない目を辛うじて薄く開き、極めて迅速に目覚まし機能のボタンを見つける。
そして文字通り目にもとまらぬ速さで、無機質な光を放つ画面をタップすると、
『ピピピピ! ピ……』
「ん……、むにゃ……」
睡眠を妨害する不快の元凶は、やかましく騒ぎたてる声を止められ。
ベッドと布団の間にある、狭く暖かな世界に——三度目の平穏が今度こそ訪れたのだった。
そう、それは音と光のどちらにも邪魔されることのない、わたしだけの時間……。
ゆるゆると口元を緩めて幸せを噛みしめながら、わたしはもう一度、意識を夢の中にダイブさs——
「——まっていまなんじだった!?」
——とは行かなかった。
数秒前——目覚ましオフを押す直前。
視界の端にギリギリ映り込んでいた情報が、時間差で眠気を完全に吹き飛ばした。
その情報——すなわちスマホが示す時刻は……10時20分。
「うわあぁぁぁあああ!? やっちゃったぁぁ!!」
さっきまで完全に二度寝モードだった身体の一体どこから、こんな声量が出たんだろうかと、自分でもびっくりするくらいの声が出る。
そんな行動をしてしまうのもそのはず——今日は10時から、とても大事で大切、個人的重要度ランキング・人生内TOP3に入る一大イベントがあるのだ。
わたしは今日この日のために、事前に入っていたはずの予定を、平身低頭で頼み込み、無理やりキャンセルしてまで備えていた。
ちょうど昨日も、普段より早めにご飯を食べて、肩までお風呂に浸かり、翌日の計画を入念に確認してベッドへと潜り込み——と、準備はパーフェクトだった。
——なのに……それなのに~!!
「あまりにも楽しみ過ぎたせいでなかなか寝付けなかった……完全に想定外だったよぉ……!」
準備はオールオッケー、さあ後は寝るだけだぞというところで、まさかの大きな落とし穴。
構えに構えすぎたせいで、逆に予定が楽しみで、ぱっちり目が覚めてしまい——と。
いくらなんでも幼稚すぎる寝坊原因に思い当たり、思わず頭を抱える。
「わたしったらなんでまたこのタイミングで……って! こ、こんなことしてる場合じゃなかった! 早く準備しなくちゃっ……!!」
と、こうしている間にも時間は過ぎていく。
わたしの身体を離さずなおも眠りへと誘ってくる、まだ体温で暖かい布団を蹴飛ばして。
わたしは慌てて、ベッドから跳ね起きた。
その動きで布団やベッドが乱れたけど……うぅ、ベッドメイキングは今日はひとまず、帰ってきてからやることにしよう……。
「って、うぅぅ寒いぃ……! で、でもまず顔洗わなきゃっ」
わたしを今まで底なしの暖かさで包み込んでくれていた布団の感触がなくなり、代わりに部屋の空気の冷たさが身に染みる。
もうすぐ春なのに、朝はこんなに寒いのなんでなのぉ……と、思わずぶるりと身体を震わせて。
その肌寒さから逃げるように、ベッド横に並べていたスリッパも履かず、洗面所の扉へ向けて朝一番のスタートダッシュを切る。
扉を開けて洗面所に入ったわたしは、すぐに水道のレバーを動かし、出てきた冷水を掬って顔を洗った。
「ぶわっぷ!? ひいぃつめたぁ~……!」
さ、さささ流石は朝イチの水道、一切人間に手心のない冷え方してるよ……。
——と、そんな慈悲の欠片もない温度の冷水がばしゃばしゃと顔を叩くうち、寝ぼけ気味の頭が急速に起こされていく。
「え~っと、つぎつぎ! 歯磨いて、髪梳いて、身支度して、ご飯——はいったん今はパス!!」
いつもなら丁寧に優しく顔の水分を拭きとり、歯磨きなり髪を梳いて整えるなりするところだ。
けれどその時間も惜しい今は、全部をなるべく最大効率でこなさなくちゃ。
タオルを適当に顔に当てたそばから、洗面所を脱出するべく慌ただしく扉へと引き返す。
その道中で右手に歯磨き、左手にヘアブラシという、全く趣の感じられない「両手に花」状態に相成りつつ、複数の作業を同時進行。
「あえ? せーふくろこにやったっへ!?(しゃこしゃこ)」
右で口内を磨き、左でわしゃわしゃ髪を梳かす——という、両手フル稼働状態。
その状態でどったんばったんと部屋を右往左往して、限界まで最速タイムを目指し準備を整えていく。
しかし遅れを取り戻そうとして朝からあちこち部屋を駆けずり回った結果、一人暮らしの自室は——もはやゴミ屋敷一歩手前レベルの
制服ひとつ
「あああはやくはやくはやく——って、きゃあぁ!?」
ちょうど今ようやく靴下を履き終えたばかりの足で、何か薄い紙のようなものを踏みつけ、そして案の定、滑る。
かなり強めに前から倒れたものの、さっき蹴飛ばした布団がイイ感じにあったおかげで緩衝材となり、幸いにもダメージは小さく済んだ。
とはいえ、ちょっと痛いものは痛いけれど……。
「いたた……い、いま一体何を踏んで——って、これあのチラシだ! あっぶない、忘れるところだったぁ~」
自分が転んだ原因——足元の感覚の正体を見やると、そこにはひらりと翻る一枚のチラシが。
——『ドルチェ・ド・ルーチェ 近日ついに開店!』
「これこれ~♪ これを楽しみにしてたんだよね。むふふふふ……」
無意識に口元がゆるゆると緩まり、自然と口の端が吊り上がってしまう。
そう——これが私の、大事な予定。
ついに来る今日の10時、新しく開店するスイーツショップの、オープン記念限定スイーツの争奪戦に参加。
そして、スイーツを勝ち取る——
「チラシについてる券が優先整理券になってるから、これを忘れちゃいけないんだよね~。——じゅる……はっ」
オープン記念でしか手に入らない、特製の限定スイーツ。
甘いもの愛好家を自称して、この辺りのカフェ・スイーツ店・その他甘味のお店を全て制覇したわたしとしては、この機会を逃すわけにはいかないよねっ!
……などなどと考えているうちにも、はしたなく涎が緩んだ口から溢れてしまい、これはいけないと服の袖で口元を拭う。
しかしそれでもなお、想像も及ばぬ限定スイーツの存在が、頭から離れない。
「と、とととりあえず支度は最低限整ったから……早くいかなくちゃ!」
口内に源泉のごとく涎が湧きだし続けているが、そんなことを気にしている余裕はない。
散らかった部屋から、出かける先へ持っていくべきもの——財布やスマホ、お店のチラシにその他エトセトラを、手早に肩掛けの鞄に押し込み。
最後に——小さなアタッシュケースのようなものを背負って。
「わたくし
と、誰へともなく——しかしいつも通りハキハキ元気よく、宣誓でもするかのように。
わたしはがちゃりと玄関の戸を開き、既にやや昼時へと突入しつつある外の世界へと踏み出していった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「はぁ……はぁ……っ」
そして時刻は10時35分——件のカフェのオープン予定時刻からしばらく経ち、出遅れたとはいいつつも、わたしは無事にカフェの近くまで来ることができた。
全身全霊をかけた全力ダッシュで飛ばしてきた結果、自分でも割と早いんじゃないかと思うタイムで移動できたのはラッキーだった。
ただその代償として現在、思いっきり息が上がってしまい、整えるのに時間を要しているわけだけども。
「ふぅ……ふぅ……」
自分の隣にそびえ立つ建物の壁に体重を預けて、呼吸のペースを取り戻すことに注力する。
ひたすら一定の周期で息を吸って、吐く——それを繰り返していると、思考を行う余裕ができたのか。
なんとなく、さっき走って来た時のことが思い出される。
——そういえば、道中でちょっと思ったけど……やっぱりこの前より体が、その……動かしづらい、というか……重かった、ような……。
もともとわたしはそんなに持久力がある方じゃないし、今までそれを不便に感じることがなかったから、まあ仕方ないよね~どんまいくらいのノリで流していたけど。
「もしかして、わたし、また…………」
……脳裏を掠めるいや~な予感——いや、というかほぼ確信。
息を整えるための呼吸は継続しつつ、ゆっくりと……顔だけを下に向ける。
そうして視界に入るはずのもの——つまるところ、自分が一番見慣れ扱い慣れているはずの、自分自身の
「いや、これ以上はやめとこ……。なんかそれを認識しちゃったら……わたし、自我を保てるかわからないし、うん」
ほんの少しだけそれが目に入って来た瞬間、脊髄反射的に走った
「よ、よ~し。それじゃあそろそろ調子も戻ってきたところで、目的のカフェに行くとしましょ~!」
若干乱れた調子を取り戻そうと、わたしはボリュームとトーンを一段階高めに、ひとり宣言する。
そして「お~」と拳を天へと掲げると、声の調子に合わせるように、軽やかに足を踏み出した。
一度進み出してしまえば、それまで心に巣食っていたはずの不安は消えて、この先に待っているであろうあま~いスイーツのことで頭が一杯になっていく。
「うー、楽しみ~♪ 限定スイーツって一体どんな感じなんだろ~♪」
そうしてわたしの気分が高まっていくのに呼応して、歩調は自然とリズミカルに、しかし先に待つものを迎えに行くかのようにハイテンポに。
踏み出す足のペースが示すように、
上品な甘さのモンブラン? それともとろけそうな口どけのチョコケーキ? いや濃厚な味わいのチーズケーキも好きだし……サクサク感がたまらないミルフィーユも捨てがたいよね! あ、ふわふわの雲みたいな生地のシフォンケーキもいいかも? あとあと、すっきりしたフルーツを使ったロールケーキもいいなぁ~! あ、でもでも! やっぱり王道のショートケーキもすごく美味しそうで……!!
「ああああ妄想がとまらないよぉ~! は、早く! 早くスイーツを買って確かめなくちゃ……!!」
溢れだす妄想と滝のような涎に、嬉しい悲鳴を上げながらわたしは駆け出す。
次の曲がり角を左折して少し進めば、目的のカフェはもう目の前。
到着は間近——だがそれが近づいてくるほどに、わたしの心臓は期待感で跳ね上がる。まるで自分の心臓が意思を持っていて、楽しみで待ちきれなくなっているみたいな感じだ。
そんな感覚を抱きながら、ローファーが地面を叩いて鳴らす固い音を背後へと置き去りにしているうちに、やがて件の曲がり角に着く。
ここを曲がれば、恐らく『ドルチェ・ド・ルーチェ』の前に並んでいるお客さんの行列が見えるはず……!
「待ってて限定スイーツ……! いまわたしが行くから~~~!!!」
……と、いよいよテンションが最高潮を迎え、曲がり角でくるりと進行方向を90度変えた——その時。
「………へ?」
ダダダダダッ!! ドゴッ!! バキッ!!
————ドカァァァァァァァッァァァァァァァン!!!!!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『【待望】ついに本日、超有名ブランドのスイーツ専門店『ドルチェ・ド・ルーチェ』堂々開店! オープン記念限定スイーツに各学園から生徒が早くも殺到!!』
『うわああああ! これ今日オープンだったっけ!?』
『脇からコメント失礼します。どうやらそうみたいですね。開店2時間前の時点で、既にかなり並んでたみたいです』
『いま丁度並んできた者なんっすけど……マジでアレはやばかったっすねぇ……。カンターレ自治区の中央にあるお店から、ゲーティアの自治区スレスレまで最後尾が伸びたらしいっす』
『ながくない!? え、いまからmにあかな』
『1コメちゃん焦りまくってて草w』
『お店も事態を想定してたみたいで、いまも追加で作ってるらしいよ~。まーあの列じゃそれもいつまで保つかわからんし、とりあえず行くならば早めをオヌヌメ』
『いっってきm!1!』
『段々酷くなってるw』
『一回落ち着いてから投稿文打てばいいのに……』
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
——同日、昼のトップニュース。
『【速報】カンターレ女学院自治区内にて、中~大規模戦闘が勃発。今月14回目となるカンターレ・ゲーティアの生徒間による抗争か』
『またなんか。いくらなんでもあの二校、仲悪すぎんか……』
『まぁあそこは、アウリオン全体の学園関係で見ても最悪レベルにバチバチですからね』
『見た目からして、なんか犬猿の仲っぽいですよね……それぞれ天使と悪魔似の学生さんが多いですし』
『ほんそれ。んでんで、今度の
『ん~、なんか近くのお店の行列で並んでるときにどうたら~って。現場近くにいたらしい友達によると』
『あぁ……またそういう感じか……』
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
——また同日。
『プロメテア総合技術学園の指定危険グループ:映画研究創作部【キネト】、爆破テロ実行か? 事件発生の瞬間(映像アリ)』
事前に広まっていた「
『うわぁやばいね……映像、思いっきり建物吹き飛んでる……』
『え、てかまだあの人たち捕まってなかったの!?』
『いや、先週プロメテアの風紀……じゃなくて、監査委員だっけ? そいつらに捕まってたはず』
『どうせあれでしょ、また脱走したんでしょ』
『それって果たして、捕まえる意味あったのかなぁ……』
『んんん~~~ないねぇ!! 我々の創作意欲を鎖で縛ろうなど言語道断!! 体は縛られようが心までは縛られん!! そして創作を求める心ある限り!! 我らに不可能など・決して・な~いのだぁぁ!!!』
『誰!?』
『これ本人?』
『マジで言ってる???』
『ご本人登場www』
『大々的なニュース記事にまでわざわざコメントを残すなんて……こんなのに毎回逃げられるって、頭が痛い話でしかないわ……』
『おっ? その苦労人面が目の前に浮かんできそうなお堅い文体は、もしかせずとも——我が親愛なる友、ルリカくんではな~いか!?』
『誰が苦労人ですって? いったい誰のせいでこんな目に遭ってると……』
『さぁ、皆目見当もつかないが。それよりルリカくんも、たまには肩の力を抜いて優雅にお茶でも啜りたまえよ~。んん~~~?』
『……今、アクセス辿って逆探知したから。あなたたち覚悟しなさいよ』
『おっと時間だコメント欄の諸君、またいずこかで会おう! さらばだ!!』
『そしてまさかのここで事件が進展した!?』
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
————。
————————。
液晶画面に表示された、「今日のトラブル☆ピックアップ」という見出しによってまとめられている、いくつかのネット記事。
既に勢いこそ冷めているものの、いずれも4桁以上のコメントがついていることから、かなり当時は盛り上がっていたらしい。
だがそんなことはどうでもいい——いやなんならもう見たくもない、と。
「……はぁぁぁぁぁ~」
——ネットの盛り上がりとはおよそ真逆な、盛大なため息が空へと消えていくのと同時に。
ピッ……と——そこに灯っていた光が消え、暗転した液晶。
記事と入れ替わりで画面へと、自然光が反射して浮かび上がったのは。
「……なんでいつもこうなるのかなぁ……ぐすん」
……当人が絶賛傷心中であることが、即座に一発で理解できるような状態——つまり。
その長い髪が乱れているのにも構わず、背もたれに身を預けて天を仰ぎ、一人すすり泣く少女——マキナの。
——実に……実に哀れな姿であった……。
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