00:今日も仕事にお休みはなく

「この散らかった書類は後程ご自身で片付けていただくとして——なんですか、この本は」

「ひ、酷い……。さすが【イーリス】の『氷の女帝』といわれるだけのことは——」

「…………?(にっこり)」

「——あの、ごめんなさい、今のは完全にわたしが余計な事言っちゃったので謝ります……だからその顔やめてくださいおねがいですからミツキちゃんこわいですっ!」

 

 部屋中に散乱した書類は自分で片付けろ、とさらっと宣う声に、涙目ながらささやかな反抗を主張するも。

 結果、火に油を注ぐことにしかならず——鬼や悪魔すら逃げ出すレベルで悪寒すら伴うミツキの笑顔(目元は笑っていない)に、セラは全力で謝罪の体勢に入る。

 対するミツキは今日の一幕においてもう何度目かのため息を挟み、没収した本の表紙を、セラに見せるようにして問いかけた。


「はぁ……ではもう一度お聞きしますが、この本は一体なんですか?」

「あ、その……え~っと、それはですねー……」


 ミツキのそのジト目に貫かれたセラは、髪と同じく桜色の瞳を逸らしながら、指と指をつんつん突き合わせていた。

 セラがそうして躊躇っているうちに、既に答えを察したミツキが先に口を開く。


「『人類はなぜ働くのか——上手なサボりの虎の巻』——たしか、最近になって発売されたビジネス書でしたか」

「……はい、おっしゃる通りです……」

「普段の貴女ならこういった書籍を購入などしないでしょうに、なぜこのようなものを?」

「実は……いやその~、この前お散歩してたら、たまたま本屋さんで見かけて——」

「な ぜ こ の よ う な も の を ?」

「どうにかお仕事を上手いこと休む手段がないかの参考にしようとしてましたっ! ほんとうにすみませんでしたぁっ!!」


 もはや物理的に射殺いころされかねないレベルの圧を放つ笑顔にあえなく押しつぶされて、あえなく白旗を上げるセラ。

 するとミツキは重圧を帯びた笑顔から今度は眉尻を下げ、やれやれと言わんばかりに首を振り、


「貴女にしては随分と理知的なことを仰ると思えば、案の定——本からの受け売りだったわけですか」

「それはその……はい、そうです……。あれ、というかもしやわたし、最初から遠回しにおバカ扱いされてます?」

「なるほど……どおりで、言葉の端々から付け焼き刃のような違和感が拭えなかったわけですね」

「あぁっ! す、スルーされましたぁ! それもう答えじゃないですかひどいですっ!!」


 やや厚みのある本のページをぱらぱらと流し見ながら、ちくちくと毒のある発言で的確に、セラの精神を削っていく。

 するとやはりというか、実はバカ扱いされていたことを間接的に悟り、セラは目の端に涙を滲ませて——がっくりと項垂れるのだった。


「……確かにここ最近は業務が重なり、1ヶ月ほど——いえ、2ヶ月近くまともな休暇がないのは認めます。ですが、我々幹部や主席あなたにしか対応ができない案件が次々舞い込んでくる以上、職務を放棄するわけにはいかないでしょう?」

「それはそうなんですが……ミツキちゃんは当然のように言ってますけど、やっぱりお休みがないのはきついですってぇ……」


 セラの行動に一定の理解を示しつつも、しかし自分たちの組織を取り巻く厳しい現状を、諭すような口調で確認させてくるミツキに。

 口では不満を述べつつも、組織イーリスのトップ——主席統括官という立場にある以上、その理屈を頭では理解しているセラは、泣き言のように弱音を漏らした。

 そんな様子の彼女を横にして、ミツキは静かに執務机の近くにばらまかれた大量の書類の方へと歩み寄っていく。

 

「私たちの業務は多岐にわたります。例えば——まず、公共インフラの維持・管理」

 

 ——ぺらり、と。

 幾重にも重なり合う無数の書類の中から一枚を、その白く細い指が摘まんでみせる。

 そこに書かれていたのは、最近とある事件によって破壊された道路の、修繕工事の計画と、それにかかる費用の見積もりを示す数字の列。


「各自治区を管理する学園からの各種報告や要請の処理に、学園都市で活動する外部企業との連携もあります」


 ——果たして一体どうやっているのか……彼女との長い付き合いの中で、未だに理解できていないが。

 ミツキはめちゃくちゃに混ざり合った書類の山の中から、一切の淀みなく、口にする業務に合わせた書類を引き抜いては、手元に正確に仕分けながら重ねていく。

 自分なら一枚一枚に数秒かかりそうな作業を、たった一瞥を紙に向けるだけでやってのけるという神業じみた動作に、改めて彼女の優秀さを認識させられる。


「最近でいえば、【遺物】の発見数や、『超常』の目撃及び交戦の報告も——昨年から200%ほど増加していますね。それに関する報告書の整理に、対処作戦の人員募集もかけなければなりません」


 しかし同時にミツキが容赦なく突き付けてくる業務の数々げんじつに、思わず自分の頬が引きつるのを感じる。

 お仕事が大変だとは言いましたけど、いざ状況を言葉にされてみると……状況の大変さが再認識させられるというもので……。

  

「ああ、それに近日中に財務局に提出予定の、第5次予算修正案のまとめが——」

「ああああもうやめてくださいミツキちゃん、これ以上わたしに残酷な現実を突きつけないでくださいぃぃ! 頭がどうにかなっちゃいそうですっ!!」

「…………まだ、他にも残っているのですが」


 えまだあるんですか。お願いだから勘弁してください……。

 と、げっそりとした表情で悲痛に訴えかけるセラを見てか。

 ミツキは手元に回収した書類の下辺を、とんとん——と机に当てて端を揃えながら、再び口を開いた。


「まあ一旦このくらいでいいでしょう。どうやら、イーリスを取り巻く現在の状況について、それは深くご理解いただけたようですから」

「……あの、気のせいじゃなければ……ミツキちゃん。八つ当たりというか~……ちょっと意地悪してますよね」

「まさか、とんでもありません。私はただ、主席のようなタイプの方には、このような直接的な手段が説明として適切だと判断したまでです」

「ほ、ほらっ! やっぱり遠回しにわたしのことを単純なおバカさんって言ってるじゃないですかっ!!」

「いえ断じてそのようなことは。私は決して業務に私情など持ち込みませんし、怠けるために策を巡らすような暇のある、どこかのどなたかとは違いますから」

「……今回、ストレートになじられないぶん、言葉の殺傷力が倍増してますって……」


 こ~れは相当怒ってますね今日……。それもまあ……考えてみれば当然ですよね。

 ミツキちゃんだって、ずっとまともに休めていないのは同じなんですから。

 

 彼女は、わたしや他の子たちと同じく2ヶ月ほど——いやもしかすると、それ以上の期間、休暇が取れていないかもしれない。

 もちろん自分も、口ではサボりたいだなんだとは言いつつも、結局のところ作業はちゃんとこなしている……つもりだし、他の幹部の子たちも各々の仕事を全うしてくれている。

 それでもなお、対処している業務の量が、既存の作業と新たに舞い込むそれの量に追い付いていない——というのが、今の【イーリス】を取り巻く苦しい実情なのだ。


「はぁ……仕方ないですが、この散らかりようではもうしばらく、次の業務へ取り掛かれそうにありませんね」

「————」


 いつものように、わたしが起こした問題の処理をしようと、腰を上げて。

 いつものように、彼女は軽く嘆息する。

 出会ったばかりのあの時から、の——

 その一端を垣間見て、セラは心の中で呟いた。


『だから、が必要なんです』——と。


「ミツキちゃん!」

「………? はい?」


 突然声を張り上げたわたしを、ミツキちゃんはきょとんとした顔で見上げてくる。

 激務続きで化粧が落ちてきたのか、うっすらと隈が浮かんでいるのが見える、切れ長の細い目を前に。

 わたしもまた、彼女と同じように——そう、

 にっこり、と満面の笑顔を作って。

 

「大丈夫ですよ。安心してください、ミツキちゃんっ!」

「主席? 突然なにを仰って——」

「そう! なんだかんだでちゃんとお仕事やってるこのわたしは……この現状を変えるための秘策として、先月の会議でを通したんですからっ!!」

「あの議案? と、言いますと……ああ、アレですか」


 得意満面を絵に描いたような姿——胸を張り、腕を組み、口元をドヤァと歪めるセラ。

 自身の弄していた策が失敗することなどまるで考えていないかのような、圧倒的なまでの自信に満ち溢れたその立ち姿は。

 これまでの流れからすれば、無能がただの虚勢を張っているような、滑稽な様にしか見えないことだろう。


 だがそんな彼女の行動は、ミツキの眼にはまた違った形で見えていた。

 

 彼女が——セラがそうやって、疑うことなく真っ直ぐに。

 自分の選択は絶対に間違ってなどいないのだと——そんな揺るぎない自信を確かに帯びた、その姿は。

 氷柱のように鋭い目つきの、全てを吸い込んでしまいそうな瑠璃の瞳が——過去に何度も映してきたものだから。

 

「はいっ! 【イーリス】の新しい部門にして、独立性・柔軟性をもった特務組織——ずばり! 【青春アオハルトラブル解決しちゃうよ局】の設立ですっ!!」

「………主席、その名称だけは認められていなかったことを忘れないでください。あとせめて、(仮)をつけていただけますか……?」


 ……瑠璃の瞳に宿っていた、ほんの小さな期待の光は——いつの間にやらふっと消え失せ。

 ミツキは頭痛に耐えるかのような渋い表情を浮かべ、皴の寄った眉間を揉み始めるのだった……。









 


 

 

 


 

 









 

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