-02:箱の中の眠り姫(2)


『————————』

『——、…………ん、んん……ふぁ~……?』


「ほら、起きてくださ~い? ……なんだか、結構ぐっすり眠ってたみたいですね……」


 わたしもこれくらいの睡眠がとれていた頃が懐かしいです……という本音はひとまずさておき、突如として現れた、画面の中の小さな人影に注目する。


 目の前の画面モニターに映る少女は、見た目としては、自分よりも少し下……十代前半ほどのイメージが的確だろうか。

 しかしそうした考えに至るよりも早く、そしてなにより強くわたしの目を惹きつけたのは——彼女がまるで、本当に「画面の中」で生きているかのように動いていた、という点。

 

 ——未だ寝ぼけているらしきあどけない表情に、ゆらゆらと揺れる小さな体。

 ——ゆっくりとした息遣いと呼応して、少しだけ上下する華奢な肩。

 ——それらのわずかな動作によって、頭から床にかけて流れる方向を変え、きらきらとそこに反射する光の色までも変えてみせる美しい髪の川。


 なにかの合成や映像ならば必ずあるはずの、動きの不自然な——妙に滑らかで機械的な印象をもたらす、ただの「運動」っぽさ。

 モニター内で座ったままこくりこくりと舟をこぎだす少女の一挙手一投足には、それが見られない。

 確かな生命の呼吸を表す、動作の中の小さな無駄のひとつひとつが、彼女の存在が紛れもなく本物であると感覚に訴えかけていた。


「ってちょっと、呼んでるのに全然起きてくれないじゃないですかぁ!? あのっ、予定が迫ってるので本当に起きてください~!」

『すぅ~…………んん? …………もー、なんなのぉ……』


 そんな密かな感嘆を胸の内にしまいこみつつ、なかなか目を覚ます様子のない少女に、さっきよりも大きな声で呼びかける。

 その声にぴくり、と体を反応させた少女は不機嫌そうにうっすらと片目を開く。


『あたし、まだ眠たいんだけどぉ……何か用~……?』

「用もなにも——え、まさか覚えてないんですかっ!? この前にいろいろお話とかしましたよね!?」

『んん~…………? ……なんだっけ、それ』

「えぇぇぇ~~~っ!?」


 眠そうに開かれた片方の瞼から覗く、まるで深淵へと吸い込まれてしまいそうな濃い紫の瞳が、なにかを思い出そうとあちこちに動く。

 しかし結局なにも思い出すことができなかったのか、しばらくして少女は深くため息をついた。

 そして彼女が軽くその細腕を振るうと、その眼前に格子状の光が走り、空間に何かの操作画面インターフェースのようなものを浮かび上がらせた。


『はぁ……え~バックアップバックアップ……っと』


 彼女がその表面で緩やかに指を滑らせると、動作に応じて文字のようなものが大量に流れていく。

 寝起きらしかったにも関わらず、彼女のその指先は淀みなく正確に軌跡を描いている。

 インターフェース内の小さな文字は、目まぐるしく流れていくこともあり、機械の画面越しに内部の彼女を見ているだけのわたしからは見えない。

 彼女は「機械の中にいる」少女なのだ——恐らく何らかの情報検索でも行っているのだろう。

 その様子を黙って眺めていると、やがてお目当てのものを見つけたのか、少女はあくび交じりに再び口を開いた。


『ふぁぁ~…………、あたしの活動記録の外部バックアップを探してみた。けど、あんたとあたしが接触した記録なんて、ひとつもなかったんだけどー』

「えぇ!? そ、そんなはずは——だって、あなたをに移動させたのはわたしで——」

『とゆーかまず、この場所はいったいどこ? そもそも第一……あんたはいったいどちらさまー?』

「えぇえっ、え、えぇぇぇぇ!?」


 画面の中から呆れたような半眼を向けてくる彼女の様子からすると、どうやらなにも覚えていないらしい。

 あらかじめ考えていた計画も気づけば頭から吹っ飛び、あまりにも想定外の事態に、わたしはただ目を白黒させることしかできない。

 そのせいもあって、今まで人生でしたことがないような変なリアクションをしてしまった。

 

「ど、どどどどうしましょう!? どうしてこんなことに……このままだと計画が全部パーになっちゃいますよ! え、えっと——いまからでもどうにか予定の変更をすべきでしょうか!? い、いやいや——」


 そうして半ば混乱に陥りながらもどうにか辛うじて理性を保ち、決して良くはない頭脳を全力回転させながらあたふたしていると——


『……………………ぷっ、くくく……』

「か、各所への連絡先はどこでしたっけ——って!! ちょっと、人が大焦り真っ最中だっていうのに、一体なにを笑ってるんですかっ!?」


 もうダメだ、これ以上こらえきれないと言わんばかりに、それまで口の内側で押し留められていたものが噴き出す音が、画面内から響く。

 思わず目くじらを立ててその笑い声の主のもとを見やると、彼女はまだどうにか耐えようと腹を抑えてぶるぶると悶えていた。


『くっ、だ、だって……あたしの言葉で馬鹿正直に血相変えて、超必死にっ……』

「そんなに面白いですか!? わたしが慌ててるのがそんなに面白いですかぁ!? ねぇぇ!?」


 我慢してもなおギリギリなのか、ときおり不自然に言葉を詰まらせながらこちらの言葉に答えていた少女。

 足をばたばたとさせながら悪趣味な笑みに顔を歪める少女に、わたしは若干涙目になるのを感じながら非難の声を張り上げた。


『ぶふっ……ひぃ、ひぃ、も、もうダメ……くくく……。や、やめてもう、お、お願い……お、おなかいたい……くっくくくくく……』


 ……いや笑いのこらえ方、ガチすぎません? 

 こっちの反応が最後のトリガーとなって、我慢の限界を迎えてしまったのか。

 ついには腹を抱えたままゲラゲラと、彼女は笑い転げ始めるのだった。


 数秒後になって、ようやく落ち着いたのか——いやよく見たら笑いの余韻を堪えながら、涙まで浮かんだ清々しいまでの笑顔で、彼女は起き上がる。


『ふぅ、ふぅ、ふぅ……あぁ~、さっきのあんたの反応、超面白かった~♪』

「ひ、ひどい……人のことをなんだと思ってるんですか……」


 わたしの言葉など一切意に介していないのか、その様子に反省の色はない。

 あの、この子性格がめちゃくちゃ悪いんですけど……いっそもう泣いていいでしょうかと、涙ぐみながら心の中で自問していると。


『まあまあ、そんなに怒らないでってー。大丈夫、さっきまでの話、冗談だったんだし』

「————え?」


 笑い過ぎのあまり目尻に浮かんだ涙を拭い、ひらひらと手を振りながら発された彼女の台詞に、わたしの体が硬直する。

 言われた言葉の意味が飲み込めずにそのまま固まっていると、少女はニヤニヤと憎たらしい小悪魔の笑顔で、その先を告げた。


『だからつまり、あんたとの話——というか計画だっけ? のことは、ちゃんと覚えてるってこと。こんな安っぽい鉄の箱の中に連れてこられた理由と、その過程も。ぜーんぶね』

「えぇぇぇぇぇぇ——っ!?」


 つまりはもしやあれですか。本当は何もかも分かっていたのに、ただ自分わたしの混乱し慌てふためく姿を見るためだけに、わざわざ嘘をついた、と……?

 

『はーいまさしくその通り。期待以上の200%、最高のリアクションありがとーございまーす』

「心の中を先読みしたうえで煽らないでくださいよっ!?」

『あー、久々に笑わせてもらって、あたしとしては退屈つぶしにちょうどよかったわ』


 開いた口が塞がらないこちらの様子から、心の声まで読んできた少女は。

 小さな身体をくるりと翻し、いつの間にかその空間に出現していた、物理法則を無視して浮遊する箱型のオブジェクトに腰掛ける。

 

「退屈つぶしって……」

『だって、こ~んななにもないとこに閉じ込めて、挙げ句ずっと放置プレイされてたのよー? 意識的にはほぼ寝てたような感じだったとはいえ、めちゃくちゃに暇だったんだから』

「そ、そういう感覚だったんですね、その中って。それに関しては、えっと、ごめんなさい……ってなんでわたしが謝る展開に!?」

『というか、こんなに狭くてなにもない場所に、青春真っ只中で多感な乙女たるあたしをぶち込むなんて——もしかしてあたしを暇で殺す気なの? せめて娯楽みたいなのとか用意できなかったわけ?』

「もはや突っ込みどころが多すぎて、訳が分からなくなってきました……」


 それまでころころと笑っていたかと思えば、今度は口をとがらせて不満点を列挙し始めるなど。

 以前会った時と全く変わらないあまりの傍若無人っぷりに、少し気が遠くなるような錯覚を覚えるが、こちらのそんな内心など一切構わず彼女の愚痴は続いた。


『まあ、そんなことをあんたに言ってもしょうがないかもだけどー。でもせめて、この骨董品レベルに酷いシステムくらいはどーにかならなかったの~?』

「え、こ、骨董品……?」

『セキュリティは激甘、データの保存も読み込みも遅い、そもそもあたしのいる空間のデータ量自体少なすぎて、あんまり自由に動けないから余計に監獄みたいだったし——』

「あの一応……あなたが入っているその機械、最新どころか数世代先レベルの技術で作られてるっていうふうに聞いてるんですが……」


 留まることを知らない不満を垂れ流すその様に、もはや頭がくらくらするのを抑えられない。

 彼女が存在しているコンピュータは、この学園都市でもトップクラスの技術が集められ、イーリス専用として極秘に開発されたものだ。

 当時は緊急性を要したためかなり突貫気味での開発になった、という経緯があり——そういう意味ではまだ欠陥に言い訳の余地もある。

 ……だが。

 

『え、ちょ……嘘でしょ……マジなの? こんな化石システムが?』


 技術の粋が集められた箱の中で、これ以上ないくらいにぽかーん——という擬音が似合いそうな顔をする少女は。

 そんな学園都市の未来のテクノロジーでさえ、言うに事欠いて骨董品、化石——と。

 さも当然のように言い放ち、さらには驚愕の表情で「え、本気でこれで最新とかのたまってるの……え、嘘ぉ……」などと、ひとり衝撃を受けている様子だった。

 

『いやだって——セキュリティの側面からで言うと、もしあたしだったら0.5秒くらいでハッキングできる程度だったのよ? 流石に脆すぎというか……』

「あはは……学園都市の技術の結晶が化石って……。もしプロメテアの子たちが聞いたら、きっと卒倒ものですね~……」


 彼女の性格上、恐らくこの後もまた馬鹿にするつもりだったのだろうが、あまりに常識——というか根本的な認識の次元が違い過ぎたせいで、からかうのも忘れてただただ困惑している。

 彼女の存在が未知なる神秘に満ちた『超常』である以上、こういった「当たり前」の基準がわたしたちと異なることは多少予想できていた。

 しかしこうもずっと困惑されていると、流石にこう、なんか無力感といいますか、その……虚しくなってきますね……。

 

 無意識にぴくぴくと口元を引きつらせながら、こちらがそうして苦笑いしているうちに——彼女がため息交じりに口を開いた。


『……ま、それはいーけど。そーいえばあんた、わざわざここに来たってことはなんか用事があったんじゃないのー?』

「————、あ、そ、そうでした。では、そろそろ本題に入らせてもらいますね」


 片目をつむりながら問いかけてくる様子を見るに、彼女は既にその目的とやらについて、察しがついているようだ。

 人をからかうような態度とは裏腹に、なんだかんだでちゃんと状況を把握しているあたり、やっぱり性根は真面目な子なんですよね。

 などと考えていると、内心が顔に出て、口角が上がってしまっていたらしく。


『…………ニヤニヤしてないで、早くしてくれるー?』

「あ、ごめんなさい……顔に出ちゃってましたかね? えへへへ……」


 液晶越しにジト目を向けられたことで、よくミツキからも指摘されていた点を思い出し、少し反省。

 昔から感情がすぐに顔に出てしまうのは、 上の立場に立つ者としては悪い癖だ。

 とはいえ、この悪癖のおかげで、この少女の可愛らしい表情の一つを引き出せたのは、ちょっとした収穫ですかね。

 ……というのは一応、口には出さないようにしておきましょうか。


「それじゃあ改めて、お話を進めますね。今回わたしがここへ来た目的は他でもなく、あなたを呼び出すためです」

『————そう』

「……やっぱりというか、察しはついてたみたいですね」

『ええ。だって、これは「契約」……いや、そうね——」


 そう言って彼女は、今まで腰掛けていた立方体からすっと降り立つ。

 彼女の足元まで伸びた白と紫の流線が、その動作の残像となってふわりと舞った。

 

『あの人の言葉をそのまま借りるなら——』


 きらきらと反射する二色の光を纏い、軽やかに地へと足を付けたその少女は。

 一度既に見せていたように、幾筋もの光で編まれた立方体を——今度はその手の中に顕現させて。


『……「」だもの。絶対に、忘れられない……ね』


 どこか、寂しげなような。

 どこか、楽しげなような。

 

 ——あるいは、なにかをいとおしんでいるかのような。

 

 ただ一つの感情だけでは表しきることが難しいような、複雑な意味を込めた微笑みを浮かべ……静かにそれを眺めているのだった。

 

『————また、随分と長いこと待たされたわねー。あたしの……

 

 



 



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