第8話

 雫月とファストフード店で会った日が雫月の誕生日だったと知ったのは、その次の日だった。教室に貼られたカレンダーにはクラスメイト全員の誕生日が書かれており、それを見た女子が騒いだことがきっかけだ。俺が自分で気付いたならまだしも、女子の話を盗み聞きして知るなんて情けない。

「ごめん雫月、気付かなくて」

「いやいや、僕が教えなかったんだから知らなくて普通だよ」

 にこにこと笑う雫月が、昨日あんなに泣いていた人だとは思えない。暗い過去を持っている人にも見えない。

 誰しもそれなりに暗い過去はあるのかもしれないが、雫月のそれは想像を越えた。人間は難しい。

「というか僕も大和の誕生日知らないんだけど、いつ?」

「俺はもうとっくに過ぎてるから、知らなくて当然」

「そっか、残念」

 唇を少し尖らせ、拗ねたような顔をする。衝動的に伸ばしそうになる手を抑えて、誤魔化すように口を開いた。

「折角だし今日どっか行こうか」

「どっかって?」

 丸い瞳に見つめられ、俺は黙り込む。

 どっかってどこだろう。勢いで言ってみたけど特にいい案がない。学校近くのチェーン店はきっとどこも同じ制服で溢れてるだろうし、観たい映画も無いし、カラオケも好きじゃない。

「……雫月が、行きたい場所」

 苦し紛れに言ったが、これが本音だった。誕生日なのに苦しめてしまっただろうから、今日はお詫びとして楽しく過ごさせてやりたい。金が必要な場所なら俺が出すし、俺なんかとはどこにも行きたくないなら引き下がるだけだ。

 色々考えていたのに、雫月の返事はあまりにも無邪気だった。

「じゃあ、僕の家おいで」

 拍子抜けする。「奢ってよ」みたいなものを想像していた俺が汚すぎて、心の中で雫月に謝った。

「いいけど……そっちは良いの? 結構急だよな」

「大丈夫。いつだって臨戦態勢だから」

 雫月のそのひと言で、急な訪問が確定した。

 部活後、駐輪場で落ち合って雫月の家へ向かう。着いたのは数年前にできたばかりのアパートだった。

「お邪魔します」

 雫月の後に続いてドアをくぐる。人の家で遊ぶなんて、何年ぶりだろうか。

「おかえり、雫月」

 リビングにいたのはにこやかなイケメンだった。昨日ポテトを貪り食っていた人だ。ポテトを前にしていないこの人は、こんなにもかっこいいのか。

「先生、大和です」

 雫月に紹介され、慌てて頭を下げる。

「どうも、清原泰輝です」

「えっと……た、泰輝さん?」

「なんでもいいよ」

「じゃあ俺も、大和で」

 ペコペコとお辞儀をし合う。その間に雫月はテレビをつけ、ゲームコントローラーを準備していた。

「大和ー、どれやりたい?」

 雫月に呼ばれ、近寄る。

 床に置いてあったいくつかのカセットからひとつ選び、専用レコーダーに差し込んだ。選んだのは、全世界で人気を誇るキャラクターのレースゲームだ。

「先生も一緒にやっていい?」

 少し潜めた声で雫月が聞いてきた。軽いノリで許可をしようと雫月の方を見ると、思いの外真面目な顔をしていて口を閉ざす。俺を家に呼んだのは、これが目的なのだろうか。

「だめ、かな」

「だめじゃない。3人でやろう」

 半ば雫月の声に被せるようにして答えると、雫月は嬉しそうに笑って立ち上がった。

「先生も一緒にやりませんか?」

「俺も? いいの?」

 泰輝さんの服の袖を引っ張り、自分の横に座るよう促す雫月。その光景はまるで血の繋がった兄弟のようで、俺は少し安堵した。

 ゲームが始まる。泰輝さんは操作方法を忘れていたようで戸惑っていたが、次第に思い出してきたのか、終盤で雫月を抜かした。

「ちょっと、トイレ行ってきます」

 一区切りついた頃を見計らって雫月が部屋を出る。決して広くはない部屋の中、泰輝さんとふたりきりになる。

 トイレのドアを閉まる音を聞いて、泰輝さんが口を開いた。

「雫月、学校だとどんな感じ?」

 今年で25歳だと聞いたが、今は実年齢よりもずいぶんと大人びて見える。初めて見た時があまりにも子供っぽかったからそういう人なんだと思い込んでいたが、実際は真面目な人なんだろう。

「今とあんまり変わらないです」

「そうか……良かった」

 その場しのぎじゃない、心からの安堵が声から滲み出ていた。

「やっぱり心配でしたか。雫月のこと」

 テレビのキャラクター選択画面をぼんやりと眺めながら言うと、ひとり分の空間を空けて座っていた泰輝さんが俺を見るのが視界に入った。泰輝さんの方を見る。切れ長のくっきりとした二重の目が、俺を映した。

「正直ね。過去は無かったことにはならないし、どう足掻いてもあいつは逃げられない。俺が余計な手出しをしたかもしれないって思うこともあるから……」

 少し笑い、彼は前を向く。俺は横顔をみつめた。

「雫月のためなら、俺はいくらでも背負える」

 俺は気付いた。この人も既に色々な物を背負っているんだ、と。この人がいなかったら、雫月はまだひとりで苦しんでいただろう。重い荷物をひとりで背負って、押しつぶされながらなんとか他の人と同じペースで歩いて。

 雫月の傍に泰輝さんがいて良かった。雫月が生きることを諦めなくて良かった。

「次のレース、始める?」

 いつの間にかトイレから戻ってきた雫月が、俺と泰輝さんの間に座った。横長のコントローラーを楽しげにいじるその手が、俺に触れることはない。

「始めようか」

 2レース目が開始する。1位は泰輝さんだった。やっぱり、この人には適わないんだろう。

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