6-1. 血と肉と骨

ヨハンはまずテツオの黒髪を隠すために頭部を覆う方法を考えた。基地の官舎から持ち出してきた物の中にあった服を破いて布を作り、防寒にもなるように頭部から首までを覆うように布を巻いた。覆い方は目出し帽のような形状だが、これは軍に入って国境沿いの部隊に配属されたときに習った手法だった。その上でフードのついた上着を着せ、手足も包帯替わりに布を巻いた。同じように服を切り裂き、テツオを抱き抱えられるようスリングを作った。小柄で痩せている分、ヨハンが軍隊で使っていた貫頭衣をかぶってもテツオごとすっぽり覆ってしまうことができた。

それだけの準備をしてからヨハンはテツオと共に地上へ出た。地上へ出る梯子は、ヨハンがテツオをスリングで抱き抱えて登った。テツオはヨハンが驚くほど軽かった。地上はすっかり暗くなっていて体の芯まで冷えそうな寒さだったがテツオをスリングで抱えている分、ヨハンは温かく感じた。

子供たちは誰も見送らなかった。よほどどう扱えばいいのかわからなかったのだろう。出ていくことが決まったときはホッとした表情の中に、やはりテツオを見る目には好奇と嫌悪の両方が混じっていた。

ヨハンは、子供たちから仕入れた、王都から来るという客に関する情報やこの街に来る目的を知りたかった。何かはわからないが敗戦の間際に人手や労力を割く価値のある何かであるはずなのだ。

だが同時に、テツオの身の安全も考えなければならない。何より、ヨハンはテツオの傷を治してあげたかった。傷は塞がっているもの、真新しいものが混在し、足は引き摺っている状態だった。テツオの身の上や出自については、本人が覚えていることで話す気になれば話は聞くが、ヨハンはそれにはさほど関心はなかった。心の傷を癒すには相応の時間が必要だし、焦ることでうまくいくとは思えない。人なんてみんな大なり小なり事情を抱えてるものだ。だが、高位の治癒術が使える者は四肢欠損も治せると聞いたことがあるテツオは、目に見える傷くらいは何とかしてあげたかったし、塞がった傷も含めて治せるのではないかと考えていた。

いずれにしても必要なのは情報だ。

まずヨハンはラヘルという、役所を辞めた人物を訪ねることにした。


寒さや足や他の傷のこともあり、ヨハンはテツオをスリングで抱えたまま移動した。初めはテツオが嫌がると思っていたがマンホールを登るときにスリングを使うとその後は気にしなくなったようだった。

路地裏の空気は冷たく乾いていた。ヨハンは硬く凍った地面を滑らないよう慎重に歩いた。道の所々に何をするでもなくうろうろと歩き回っている者がいるがこちらを気にする気配はなかった。

寝る場所と食べ物のことを考えなくてはいけなかった。自分一人ならどうにでもなるがテツオはどこなら眠れるのだろうか。そういえば舌がない状態で飯は食えるのだろうか。ここまで痩せてるのを見ると満足に飯が食えないのではないか。となると治療を急ぐ必要もある。

まずこの近くのラヘルという人物に会いに行こう、そこで王都からの客に関する情報を得て、子供のケアについて相談してみよう、とヨハンは考えた。

ラヘルが住むという場所に近くなるにつれて人の数が増えてきた。始めは裏通りから表に出たからだと思っていたがそうではなかった。焦げ臭い異臭がヨハンの鼻をついた。何かが起きている。通りを曲がったヨハンの目に見えてきたのは、まるで暗がりの中で燃える松明のような炎を上げる集合住宅だった。遠目では何階かはわからないが、途中の階の部屋から炎が吹き出していた。その建物の周囲に人々が群がり、手も出せず遠巻きに見ているようだ。

群衆に近づいてヨハンは尋ねた。

「何があったんですか?」

聞かれた女はこちらを一目見ただけで視線を集合住宅に戻して言った。やはりテツオを抱き抱えてその上に貫頭衣をかぶったヨハンの姿に特に違和感は感じないようだ。

「いやわからないんだよ。急にでかい音が響いてね。ついにここも帝国がきたのかと思って慌てて外に出たらあの有様でね」

「消防は?」

「呼んでるさ。ただもうここらじゃ消防も殆ど動いてないんだよ」

「あの建物って」

「ん?市の下級役人が住んでる宿舎だよ。つっても最近じゃ辞めて出ていく人も多いから空き部屋が増えて浮浪者が勝手に住み着いたりしててね、ちょっと怖いなって話はあったんだがね」

ヨハンは話しながら周囲に何か変な気配があることに気付いた。群衆の中に混じるその気配には違和感だけでなく何か馴染みのある感覚もあった。これは軍で学ぶ足運びだ。足音や気配の殺し方、履いている靴の素材、全てに馴染みがあった。その足運びをする者が複数人、2人、3人と少しずつ自分を囲うように近づいてきていることがわかった。

ヨハンはどうするか迷っていた。燃えているのがラヘルの部屋なのか、ラヘルが無事なのかは確認したい。ただこの場で派手なことはしたくない。一度ここから離れて逃げるか、テツオを抱えたまま裏に誘導して正体を確認するか。この街で自分を探す人間がいるとは思えないから、事情がわからない状態で放っておくのはまずい。だがこの場で迷っているのが一番危険だ。そう考えていたときに後ろから急に話しかける声が聞こえてきた。

「ヨハン、お前さんヨハンだろ?」

振り返るとそこにはヨハンの胸あたりの背丈の、皺だらけでどこに目があるのかわからない顔で笑う黒い肌の老人がいた。この顔としゃがれ声は忘れようがない、ヨハンはすぐに思い出した。

「ハンス教官?」

「おーおー、よく覚えててくれたな」

ハンスは嬉しそうに細い目を更に細くして大きな口を開けて笑い、両腕を広げてヨハンの肩を叩いた。なんでここに?というヨハンの疑問が声に出るより早く、表情も変えず、口も動かさず、ハンスの隠声だけがヨハンに届いた。

「囲まれてるぞ、気付いてるか?」

ヨハンも表情を変えず、ハンスにだけ届く隠声ですぐに応答した。

「三人ですね」

ハンスは大袈裟に頷いて今度は周りにも聞こえるくらいの声で和かに言った。

「そうか、そうか。まあうちに来て茶でも飲んでいきんさいな」

そう言ってヨハンが今来たばかりの道に向き直って歩き始めた。

「ありがたいですけど、自分は…」

ヨハンは再度燃えている集合住宅を見た。どうやらやっと消防が到着したようだった。どちらにしろ、今動き回るのは難しそうだ。ヨハンはハンスに付いていくことにして尋ねた。

「カップの埃はどうしますか(巻きますか?)」

「そんなもん汚れとは呼ばん(放っておけ)」

「もしべったり汚れてたら?」

肩をすくめてハンスは言った。

「まあそん時ゃきれいに洗えばええ」

「了解であります」

そう言ってお互いに笑いあって、来た道を戻った。

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