5-1. 地下の子供たち
「だから、そんなやつ見たことないって」
「でもお前の後ろから入ってきたんだろ」
狭い部屋の弱々しく燈る灯りの下で子供たちが話していた。
「おれの連れってわけじゃないよ。勝手に付いてきて入ってきたってだけだろ」
「どうすんだよ。分けられる食い物なんかないぞ」
「追い出すしかないだろ」
「でもあの子だって同じ捨て子でしょ?見殺しにしちゃうの?」
「同じじゃない。あいつは…」
その時、扉が錆びた音を立てて突然開いた。
「ん?」
扉の向こうに立っていたのはフードをかぶった汚い格好の大人だった。
「うわぁぁぁぁーーー!!!」
「きゃあぁぁぁぁ!!」
子供たちは飛び上がるほど驚き、パニックになった。もう少し冷静さがあれば奥の扉を開けて逃げられたかもしれないが我先に扉を開けようとする者、腰を抜かす者、背中を向けて頭を覆う者で結局誰も動けなかった。
「あー、待て待て。別に何もしないよ」
現れた大人は低くてよく通る声でそう言った。しんっと静まった空気を感じて背中を見せて丸まっていた少女が恐る恐る顔を上げて振り返った。
フード越しに見えたその大人の顔は、髭も髪も伸び放題でいかにも浮浪者の男という雰囲気だ。だがよく見ると服はそれほど汚くなく、破れたりしていなかった。
大人の男がフードを取って、
「驚かしてすまない。聞きたいことがあって来ただけなんだ」
と言ってきたときの声を聞き、目を見ると不思議とさっきまでの驚きと恐怖は和らいだ。
「き、聞きたいことって?」
子供たちの中でも年上そうな女の子が尋ねた。
「ん?街の噂とかそういうものさ。王都とかこの辺りの偉い人たちのことで何か噂になってることとかないかな」
ヨハンは自分がクスボリだったときの経験から、情報というものは得てして路上生活している者たちの元に集まることを知っていた。情報自体にはいいも悪いもない。それを扱うものがいい者か悪い者かでしかない。
「どうだろ、あんたたち何か聞いた?」
「この街の偉い人はもうとっくに国を出たって聞いたよ」
「いや国を出ようとして捕まったって聞いた」
「あーそういや警察署で市長を見たって“八本指”のおっさんが言ってたな」
「八本指?」
ヨハンが思わず尋ねた。
「右手の指が三本しかないんだよ。プレス機に潰されたって聞いた」
「おれは盗みが見つかって切り取られたって聞いた」
「違うよ、怖い人の女に手を出したんだよ」
「あのおっさんが?あるわけないだろ」
そこから八本指の由来の話が続きそうだったので、ヨハンは話を戻そうとした。
「その“八本指”はなんで警察署に?」
「しょっちゅういるよ。留置所に住んでるくらい」
「工場用のアルコール飲んでから頭がイカれたらしいよ」
そう言うと子供たちはくすくすとわらった。おそらくイメージできてないんだろう。
「あとねー、郵便屋の偉い人は部下の奥さんと仲が良い」
「お前それ意味わかってんのか?」
「知らなーい。でもみんな言ってる」
「役所はもうどこも灯りつかないってさ」
「便所も使えなくなったみたい」
どれもありそうな話だ。ヨハンには引っかかるものがあまりなかった。
「じゃあ一度聞いた話が急に嘘だったって話はない?」
「あー、それなら王都から誰かくるって聞いたけどなくなったって聞いたな」
ヨハンはその声に振り返った。
子供たちみんなもその子に注目した。注目されることにはあまり慣れていないらしいのか顔が赤くなった。
「誰から聞いたの?」
ヨハンは尋ねた。
「役所の児童ナントカ課ってところのラエルさんが言ってた」
「ラヘルさん」
周りの子が訂正した。
「うん、ラヘルさん。あの人時々パンの耳を焼いたお菓子くれるからたまに会いに行くんだ」
「わたしもあのおばちゃん好きー。甘くていい匂いがするの」
女の子が同意した。
「それで?」
「もう役所を辞める予定だったんだって。給料も出なくなったし、自分も田舎に行こうか考えてるって。でも王都から客が来ることになってその準備で人が足りないからもう少しだけ伸ばしてほしいって言われて考えさせてって言ってたら急にもう辞めていいって言われたって。王都から来る客のことは無くなったから忘れていいって」
これだ。誰が来ようとしてたのかも王都からこの街に来る目的もわからない。だがこの予定はキャンセルされていないだろう。何かを秘密裏に行おうとしてる。それが何であるかはわからないがここから手繰っていけば中枢のどこかには行き着くだろう。
「そっか。わかった。ありがとう」
「あ、ちょっと待ってよ、おじさん」
最初に口をきいてくれた年長のような女の子が呼び止めた。
「まさかこのまま聞くだけ聞いて帰るんじゃないよね?」
ヨハンは目を瞬いて、笑いを堪えながら言った。
「まさか、お礼はするよ。何か困ってることはあるかい?」
そう言われて子供たちは黙ってしまった。
人は不思議だ。そもそもの生活自体が大変であっても、一度それに慣れてしまうとそれがベースになってしまう。困ってることはないかと聞かれると今の生活を基本として考えてしまう。その生活自体をどうにかしたいはずが、それを人に頼むのは良くないことと考えてしまう。今の生活は決して彼らに原因があるわけではないし、楽なわけがない。ヨハンは自分自身も同じ環境だったことから少しでも彼らの為になることがないか考えたかった。金は自分もないが、多少の金があったところで結局当座凌ぎにしかならない。食べ物も同様だが、金も食べ物もどっちもあれば少しは余裕を持つことはできる。余裕を持てればその間に体勢を整えることができる。もちろん完璧には無理だ。だが、彼らに必要なのは喰い物にされることなく自分たちの力で生きていく術なのだ。店で注文できるものではない。
「おじさんはこれからどこに行くの?」
「ん?」
「まあどこだっていいか。一人連れて行ってほしい子がいるの」
「何だって?」
予想外の答えが返ってきて戸惑った。子供たちもざわついた。
「ねぇ、あの子連れてきて」
女の子がそう言うと、男の子がその役を押し付け合った。
「お前行けよ」
「やだよ」
「おれだってやだよ」
「早く、お願い」
渋々、一人の子が奥の扉を開けていなくなった。
「実は知らない間に入ってきちゃってどこの誰かもわからないの」
女の子が説明し始めた。
「何も話してくれないし、みんな怖がっちゃって」
どういうことだろう。浮浪孤児なんてどこの誰かなんてわかる方が珍しいし、幼い頃のトラウマや大人と接してなかったりで話せない子も少なくない。殻に閉じこもったままなかなか打ち解けられないし、話すようになっても急に塞ぎ込むなんてしょっちゅうだろう。それを“怖がる”だって?
「食べ物も、元々少ないんだけど、あの子には分けない方がいいんじゃないかって子たちもいて困ってるの」
ヨハンはその説明を聞いても全く話が見えなかった。その少年の姿を見るまでは。
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