4-2. 穴の中

ヨハンはスラムとなった区画の中でもさらに裏の通りを当て所なく歩いていた。その荒れ果てた寒々しい通りは否応なく十代の頃の荒んだ生活を思い出させた。

親を失った子供たちはその日食べるものもなく、知らない大人に騙されて連れて行かれるか、ゴミを漁り、少しでも温かい場所を求めて魔導工業地帯の地下の配管に固まるかのどちらかだった。

ヨハンは地下での生活に馴染めず、一人、路上で掏摸や窃盗を繰り返した。だがヨハンにその才能はなく、幾度となく捕まり、留置所に入れられたり、気絶するまで殴られたりした。だが他に生きる術がなく、下手な盗みを繰り返した。当時の裏街の元締めだった連中に捕まったときはついに殺されると思ったが、どうせ生きていても苦しいだけだと気にならなかった。散々痛めつけられて、吊し上げられても命乞いを口にしなかったヨハンを、その集団を束ねる一人に気に入られて放免された。そのことがきっかけで孤児たちがヨハンの周りに集い、いつしか“クスボリ(不良孤児)のまとめ役”などと呼ばれるようになった。

ヨハンは掏摸や窃盗は下手だったが、計画を立てて実行を指揮する能力があった。しばらくすると仲間と共に金を持っている大人を騙すことに夢中になった。目的は金を巻き上げることではなく、自分が苦しむ社会で胡座をかいている連中の鼻を明かすことだった。金が入ると仲間は喜び、ヨハンを囃し立て、更に仲間が集まった。

ある時ヨハンは、ドブ鼠のような自分たちの生活を利用して得られるものの中で一番価値が高いものが情報だということに気付いた。噂話や目撃情報などありとあらゆる街の話が自分のところに飛び込んできた。一つ一つは取るに足らないが結びつけると大きな像を描くことがあり、それを元に行動した。その結果、裏街の元締めたちとも取り引きできるまでになった。

そんな時、かつて自分を痛めつけた連中から呼び出された。要件は「傘下に入れ」というものだった。仲間たちは半分に割れた。願ってもないことだ、これは出世だ、食べることに困らなくなる、という者。いや怖すぎる、おれたちはヤクザじゃない、何をさせられるかわからない、という者。

前者を選べばもう抜けることはできないだろう。かといって後者を選んでも、これを機に分裂してヤクザ者になりたいやつが組織に入り、今の自分たちと同じことをやるだろう。ヨハンはもう自分の役割はないと感じた。

「出ていきたいやつは出ていけばいい。おれたちは元々失くして困るものなんかない」

ヨハンはそう切り出した。

ヤクザ者になりたいやつは喜んだ。そう言ってから出ていきたいやつが出て行くのを待って、残った連中に言った。

「おれも消えるよ」

そして持っていた有金を皆に振り分け、それまでに自分が得た情報を集めて処理する方法を伝えて街を後にした。付いて来ようとする者もいないではなかったが、街を出ることがわかると結局ヨハンはまた一人になった。

そんなことを思い出しながらヨハンは通りを歩いた。日も暮れて金も尽きかけ、腹が減り、頭も回らない。どうすれば標的に辿り着けるか、皆目見当がつかなかった。

薄暗くなった路上で目の前に鼠がいる。バカでかい鼠だ。小さな猫くらいの大きさに見えた。

住人たちが食うに困っているのに鼠が肥えているのか。そう思うと腹立たしく思えてきた。おれは、おれたちは、守るべき民を守れず、守るべき王を守れず、王宮の豚や路地裏の鼠を肥え太らせたのか。

鼠は通りを堂々と横切り、地下マンホールの少しだけ空いた隙間にでかい体をねじ込ませて暗闇に消えていった。

地下に何か食べ物があるのだろうか。ヨハンはマンホールの蓋をずらして、穴ぐらを覗き込んだ。

重い臭気が地を這うように広がり、ヨハンの鼻をついた。クスボリとして生きていた頃に嗅いだ匂いだった。石を拾って投げ込んでみると、カランッと乾いた音が聞こえた。

屈んで穴の中に頭を突っ込み、耳をすませてみた。遠くで話しているような声が聞こえてきた。反響で距離や方向はわからないが、おそらく地下で生活している者がいるんだろう。

ヨハンは意を決するでもなく、勢い込むでもなく、ただ考えるのが面倒で穴の中に降りて行った。

地下の配管は大きく、大人が屈まずに歩ける大きさがあり、どちらかと言うと地下施設の道といってもいいくらいだった。適当な当て推量で、声が聞こえると感じる方に歩いてみた。地下は入り組んでおらず一本道で、歩いていると声はどんどん大きくはっきり聞こえてきた。子供たちの声だ。自分の少年時代と同様なのだろう。家のない子供にとって飢えも怖いが寒さも恐ろしいのだ。何を話しているのかは聞き取れない。だがその柔らかな声を聞きながら歩いていると、さっきまで発せられていた異様な殺気が急速に萎んでいった。

そうか、ここもきっと、あの時のおれたちみたいな子供が必死で探して見つけた場所なんだな。ヨハンはそう思った。今のおれみたいな胡散臭いおっさんが簡単に見つけていいものじゃないか、でもまあ見つけちゃったものは仕方ないか。子供たちの声を聞くうちにヨハンの心は不思議と軽くなっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る