4-1. 穴の中

王都へ行き、皇帝を殺す。その背後にいる者も殺す。この国を戦争に駆り立てた者を探し出してその尽くを殺す。

ヨハンは、練兵場で鎖に繋がれて晒し者になっている間、収容房で独り目を閉じている間、無意味な穴を掘っている間、そのことだけを考えていた。

そして今、ヨハンは王都に程近い街でスラムと化した区画の建物の陰に座り込んで同じことを考えていた。

皇国は降伏こそ宣言していないが、市民の間でも、もはや敗北は時間の問題と公然と話す状況となり、経済は行き詰まり、治安は悪化し、街にはゴミと浮浪児と街娼が溢れていた。

どうやったら皇帝や軍上層の側近連中の居場所を掴めるだろうか。居場所さえわかれば、何らかの方法で殺せる自信がヨハンにはあった。狙撃には道具がないが、待ち伏せて護衛諸共差し違えるくらいならやってできないことはないと踏んでいた。元より、失敗して死んでしまっても構わないと思っていた。

王都まで行けば何か手掛かりが掴めるものなのか。既に敗色が濃くなってきている状況で今も王都にいるのだろうか。目的を達成できず無駄足になるのではという考えが首をもたげてこちらを見ていた。

そもそも何があって今の皇帝が王位に就くことができたのか。背後に陸軍省の上層がいたのは間違いない。それは周知の事実ではあったが、突然公の場で皇帝を名乗り、あまつさえ神の代理と宣ってしまった経緯を見るに、軍上層部も御しきれていない状態だったように見える。まだ王位止まりの話であれば帝国のみを相手にできただろうが、皇帝だの神の代理だのを名乗れば一神教の聖王国が黙っていないのは明らかだ。だがどう考えても自ら窮地に飛び込んでいったようにしか見えない。

もしこれが誰かの作為的なものであったならばそのシナリオを書いたのは誰なのか。現皇帝が強い妄想から乱心したのか、または王国に対する憎悪から起こした行為なのか。

可能性で考えれば、例えば王国の持つ、都市オルタナからの迷宮資源の交易路を狙って帝国や聖王国が戦争を起こすように仕組んだことだって考えられる。


わからない。

わからないことはあれこれ考えても仕方がない。ヨハンはこれ以上の考察は想像になると判断した。行動前の過度な想像は危険だ。現実と向き合い、必要なのは想像ではなく想定だ。

ヨハンは自分に言い聞かせた。余計な想像に囚われるべきじゃない。しかしヨハンは無意識に考えることを止められなかった。

ヨハンは、眠りにつく前にあの村で起きた出来事が瞼の裏に浮かんでくるようになっていた。頭部を撃ち抜かれた村長、引き鉄を引いた若い将校の引き攣った顔、その将校の喉を突いたときの感触や喉から空気と血が漏れる音、首を裂かれたアーシャの亡骸、太腿から流れる血の量に恐慌状態に陥った部隊長が命乞いする姿、そしてアーシャの名を口にするカシモフの顔、それらが繰り返し現れては消えた。

今またそれらの光景を思い出し、胸の内側が悔恨で塗りつぶされそうだった。そして王都にいながら兵士たちを無意味な戦場へ追い立てた者たちのことを考えると臓物が煮えたぎるような怒りに包まれた。

あろうことか王位を簒奪し、する必要のない戦争を起こし、生む必要のない犠牲を生み、今も尚、のうのうと椅子に座り腹を満たしている者を生かしておく道理は自分の中にはなかった。

それができないときは死のう。自分の中でそう決めていた。

「時間をかけて考えろ。どちらを選ぶにしても」

カシモフはそう言った。ケジメを取るか、取れないときは死ぬか、その2つ以外の選択肢もあるはずだと言っているのだ。

冷静に考えればそうかもしれない。だがヨハンは冷静になれず、またそうする気もなかった。カシモフの言葉はありがたかったが、今は頭の隅に追いやった。

「ちょっとあんた」

街娼と思しき女が話しかけてきた。ヨハンは自分に話しかけてきていると気付かなかった。

「あんただよ、そこのフードの」

ようやく気付きヨハンはフード越しに声の主を見た。

「ヒッ!」

ヨハンの目を見た娼婦の一人が小さな悲鳴を上げた。

「…あ、あのさ、ここらはうちらの仕事場だからそろそろどっか行ってほしいんだよ。そんなおっかない顔してる人がいたら誰も寄ってきやしない」

ヨハンは頷いて立ち上がった。いつの間にか日が暮れかかっていた。

「すまない」

歩き去るヨハンの背中を見ながら娼婦たちは話した。

「ありゃ前線帰りだね」

「そうなのかい?」

「似たような目をした客をとったことあるよ」

「ウチも見たことある。最初は普通の人かと思ったら部屋入った後で急に話しかけても反応しなくなってさ、顔見たらあんな目だった。こっちを見てるようで遠くを見てて全然目が合わないの」

「そうそう」

ああはなりたくないという気持ちと、うちらも似たようなものだという気持ちの両方を抱えて、それを口に出すものはいなかった。

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