3-3. 邂逅と別れ

捕虜を救出した帝国軍は、駐屯地の各施設を全て制圧し、使用しない施設は封鎖、使用する施設のみ歩哨を立てて管理し、駐屯地全体を掌握した。民間人への影響を鑑みて、付近一帯の占領には時間を空けることとなった。

駐屯地掌握の速度と無駄の無さは、事前にカール副官として潜入していたボリスの手腕によるものだった。


「ボリス、ここにいたのか」

駐屯地に侵攻した大隊司令官が、かつてクルトがいた隊長室で書類整理しているボリスを見かけて話しかけた。

「長い潜入とここまでの計画立案、見事だった」

「いえ、自分は自分の仕事をしたまでです」

「まあそう謙遜するな。ここには2人だけだ。胸襟を解いて話そう」

「ありがとうございます」

「それでその後、例の研究所の成果に関する報告はあったのか?」

手元の書類の山を見ながら司令官が質問した。

皇国が行った、異界からの召喚実験に関する報告は帝国内でも極秘だ。

「いえそれが、研究所自体が消失したとの報告はありましたが、それまでの間の情報、及びその後の続報はこちらに対して秘匿されているようです」

「そうか。実は先行している部隊からの報告で研究所跡地の確認がされたのだが」

「“消失”の部分ですね」

「そうだ。研究所があった場所には今何も無いとのことだ」

「何も、ですか?」

何らかの事故を想定していたボリスは、崩壊した建物跡を思い浮かべていた。そのため、「何も無い」が意味するところが理解できなかった。

「ああ、何も無いではないな。より正確に、報告の記載をそのまま言うなら“穴だけがあった”とのことだ」

「穴…?」

「研究所があった場所が丸々消えて馬鹿みたいに巨大な穴ができてるそうだよ。どれくらいの深さかなどそれ以上のことはまだわかっていない」

「そうですか、地盤沈下により研究所が崩落してしまった可能性は?」

「それが起こったとしたら超局地的な地盤の変動になるが、可能性としては考え難いだろうな。一帯の地下には水源や空洞となり得る地層の情報がない。故に研究所の設置場所として選ばれた経緯もある」

ボリスも、確かにと頷いた。考えれば考えるほどわからない。だがボリスは軍人で、特に帝国軍人の多くは現実主義だった。今考えてもわからないことは考えてもしょうがない。わからないことを想像することは余計なリスクを招く。

「皇国側も今頃は痕跡の隠滅に勤しんでるだろう」

おいそれと帝国や聖王国に研究成果を渡すことのないよう機密は消し去られるだろう。だが、全て消せるものではない。ボリスは経験上、どんな情報でも時間と手間をかければ必ず炙り出されると知っていた。消したい情報であれば尚更だ。敗戦後にどう立ち回るかジタバタ足掻く輩は必ずいる。そいつらの中には機密を知るものもいるだろう。

「まあ時間の問題ですね」

「そうだな」

大隊司令官もそう理解しているのか頷いて答えた。


ヨハンは収容房に一人残された後、封鎖された官舎に忍び込んだ。この官舎は比較的階級の低い兵士向けの官舎で重要視されていないのか監視もなかった。人気のない通路から屋上へ登って周囲を確認すると、すでに駐屯地全体が帝国軍に占拠されていることがわかった。

どうやら投降した者、捕まった者は拘束されて練兵場に集められているようだった。

帝国による駐屯地の包囲はまだ続いていたが、ところどころに不自然な隙があった。おそらく帝国軍側には、想定以上の捕虜を抱えるリスクを避けたい思惑があるのだろう。実際、拘束されている兵士はそこまで多くない。多くが逃げ出してしまったのだろう。

元々この駐屯地は新兵を訓練して前線に送り込む拠点だった。前線は押し込まれて後退し、人員も物資も不足していた。傷病兵を多く抱える一方で戦場を知り、かつ五体満足で戦える古参兵は殆どいなかった。そしてある日、その日の朝まであったはずの前線が崩壊し、突然目の前まで帝国が迫ってきたのだ。しかも圧倒的な大軍で。新兵でなくとも武器を捨てるだろう。


ヨハンは暗くなるまで待って脱出することにした。何はともあれ風呂に浸かりたい。将校の部屋には小さいが個人用の浴槽があったはずだ。

適当な見知らぬ将校の部屋を開けると部屋の中は散乱していて、どうやら逃げ出したクチらしかった。浴槽に湯を溜めている間に使えそうな服や道具、そして路銀になりそうな金を物色し、大きな帆布の洗濯袋に詰め込んで口を縛った。

風呂に浸かる前に湯を浴びて汚れを落とした。髪や髭はガチガチに固まり、泥なのか垢なのかわからない汚れを洗い落とした。

湯に浸かるときはさすがに声が漏れた。腰を曲げると骨が軋んで痛かった。傷に湯が染みて痛かった。だが熱い湯はそれ以上に染み渡った。汚れは落としたと思っていたが湯はあっという間に垢が浮いてきた。しかしヨハンは構わず顔をつけて洗った。

風呂から上がると伸び放題の髪や髭が気になったが今は放っておくことにした。

そうこうしてると辺りが薄暗くなり始めた。

部屋にあった目立たない服装に着替えると、そのまままとめた荷物を持って官舎を出て暗闇に乗じてあっという間に駐屯地から脱出した。事前に帝国軍の配置を確認していたのもあり、勝手を知り尽くした地で身一つでの行動であれば抜け出すのは特に問題なかった。

次の問題はどこに向かうかだが、ヨハンの心は決まっていた。

王都だ。

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