3-2. 邂逅と別れ
カールが帝国の人間であることを明かし、クルトが帝国に逮捕される少し前、収容所は帝国小隊の出現によって歓声に沸いていた。
見張りの看守はなす術なく制圧され、あっという間に房のゲートが開けられた。ヒーローとなった小隊隊員たちはそれでも緊張感を切らすことなく、喝采を上げる捕虜たちと短い握手をして名前を確認し、素早く脱出の手順を説明していた。
カシモフが小隊の隊長らしき人物と言葉を交わしていた。
「鈍足だからもっとかかると思ったよ」
「お前たちの減量を邪魔したくなかったんだよ」
どうやら顔見知りらしい。
「お前もしばらく泊まっていけ。少しは痩せるぞ」
カシモフが隊長の腹を指差して笑った後、二人は額を合わせて小声で何か祈りの言葉を呟いた。その後カシモフの肩を叩き隊長が周りを見渡してヨハンを見つけた。
「彼が?」
カシモフが頷いた。
隊長が近づいてきて手を差し出してきた。
ヨハンはその手を取って名乗ろうとした。
「ヨハンだ。おれは」
「言わなくていい。大体のことは聞いている」
戸惑うヨハンに隊長も名乗った。
「おれはアレクセイ。この小隊を率いているが、まあこいつらと同じ村出身なんで親戚みたいなもんだ。そして」
一瞬、カシモフの方に視線を向けて言った。
「アーシャの名付け親だ」
ヨハンはまたバツの悪い思いでいっぱいになった。だがそんなことは気にせずアレクセイはこう言ってきた。
「色々話したいことはあるが、まずはここから出たい。一緒に来てくれるか?」
「だがおれは、」
「ヨハン、頼む」
カシモフが口を挟んだ。この収容房の中でカシモフにお願いされたことなど一度もなかった。彼らがいなかったらここで生きて話してるなんてありえなかった。そう考えると首を振る選択肢はなかった。
それでもやはりヨハンは頷くことができなかった。
「すまないカシモフ。やはりおれは王国の軍人なんだ。もちろんすでに王国なんてないし、おれは軍属も剥奪された。だがかつてそうであった者として取らねばならないケジメがある」
それを聞いて顔を顰めるカシモフの肩に手を置いてアレクセイが言った。
「ほらな、言ったろ?」
「ああ」
「おれが聞いてた感じでは、あんたは一緒に来ないだろうって予想してたんだ」
「うるさい。おれだってそんなことはわかってはいたんだ」
カシモフは大きな溜め息を吐いてヨハンの目を真っ直ぐ見据えて言ってきた。
「ヨハン、お前の考えていることは何となくだがわかる。だがまだ急ぐな。まず国を出ろ。時間をかけて考えろ。帝国に来いとは言わない。もちろん来るならおれたちの村はいつでも歓迎する。おれたちの村ならお前を守ってやれる。だがお前の中のケジメとやらで来られないというなら別の場所でもいい。とにかく一度時間を置け」
そこまで言ってから一呼吸置き、最後に一言だけ付け加えた。
「どちらを選ぶにしても、だ」
カシモフには考えていたことが全部見透かされていたようだ。
「すまないカシモフ。ありがとう」
ヨハンはその言葉に全てを込めた。アーシャに対する懺悔の気持ち、カシモフの心意気に応えられない申し訳なさ、そしてこの環境と状況で手を差し伸べてくれたことへの感謝。
「これは独り言なんだが、」
横からアレクセイが口を挟んで言った。
「おれなら聖王国はやめとくな。あそこはまだまだきな臭い。行くならオルタナあたりかな。あそこはよそ者に優しい土地だ」
「覚えておくよ、ありがとう」
「珍しくよく喋るカシモフを見せてくれた礼だ」
ヨハンは笑ってアレクセイと握手を交わした。
カシモフはヨハンの肩をがっしりと握って言った。
「いつか必ずもう一度村に来い。おれはこの先何年でも待つ」
ヨハンはカシモフの真っ直ぐな目を見て思った。おれは生まれて初めて生涯の知己を得たのかもしれない。
「よし、そろそろ行くぞ」
アレクセイが声をかけ、その後はカシモフは振り返らず駆け去った。
収容房にはヨハンだけが残された。
練兵場を駆けているとき、アレクセイが思わず呟いた。
「しかし、あれが“グリズル”か」
「何ですか?」
そばにいた部下が聞き返した。
「いや何でもない」
アレクセイはそう返した。だがアレクセイは思い返していた。おそらく隣りを走るこの若い兵士は知らないだろう。20年ほど前、王国と帝国との間の政治的なイザコザがきっかけで、帝国から王国に潜入部隊が送られたことがあった。だが国境の山中で部隊からの連絡が途絶えてしまう結果になった。10人の部隊員の内、帰還したのは1名で、警戒中の王国兵士にやられたという報告だった。だが本当に驚いたのはその後だ。
とある、国境近くの村に泥だらけの浮浪者風の者が現れて、山中で怪我をした仲間がいるので助けて欲しいと言ってきた。村の者が訝しみながら山中に赴くと応急手当てがされた帝国兵士が9名いた。事情を聞こうとした頃には村に現れた者は消えていて、事の経緯はわからなかった。
程なくその情報は軍に報告され、潜入部隊を送り込んだ当時の帝国上層部は赤っ恥をかいた。そしてそれ以上に山中で10人の精鋭を相手に単独で撃退した相手兵士のことが話題になり、村人が伝えた風貌から“グリズル”、土地の言葉でハイイログマと呼ばれ、噂されるようになった。
“内部”からの情報でヨハンがそのグリズルだと聞いていたアレクセイは、アーシャの件とは別に、ヨハンと顔を合わせるのを楽しみにしていた。実際に会うと、一目見たときから鳥肌がおさまらなかった。ずいぶん酷い扱いを受けていたようだがどこも弱っているようには見えず、話していてもまるで隙がなかった。
あれで50代だって?化け物だな。
そう思ったアレクセイには再び鳥肌がたった。
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