2-2. 炭鉱夫の歌
暴動騒ぎから数日後の朝、ヨハンは収容房で朝食の配膳を待っていた。その日、ヨハンはいつもと少し異なる雰囲気を感じていた。捕虜の中でもカシモフや村長代理など主だった連中の姿が見えない。それとなく周りを見渡した。
配膳された朝食に手をつけているものが少なく、僅かな緊張感が感じられた。
何かが起きようとしている。ヨハンは直感でそう感じた。
そこへ、ヨハンが房に放り込まれたときに殴りかかってきた若者がきて隣りに座った。
「あんたが心配するようなことは起きないよ」
ヨハンの視線に気付いたのかそう言って、朝食を分けてくれた。
看守の目を気にする素振りがない。若者の目を見て確信した。
「終わるのか」
「そうだ」
「いつだ」
「詳しくは言えないがもう間もなくだろう」
さっき心配する様なことは起きないと言った。それはつまり暴動による脱獄ではないということだ。暴動が起きれば鎮圧のため多数の犠牲が出るしヨハン自身も巻き込まれる可能性がある。そうでないということは、この収容所自体が解放されるということだ。それはこの駐屯地が落ちることを意味する。要するにこの国は自らが始めた目的不明な戦争に敗北するのだ。
「そうか」
ヨハンはさすがに匙を置いて黙った。顔を覆いたくなった。鉱夫たちは嘘を言わない。おそらく外部との連絡方法を確立して得た情報なのだろう。やっとこの苦痛が終わるという安堵感と戦わずして祖国が敗戦する虚しさが入り混じり、複雑な感情が駆け巡った。だが元々は先王が突然崩御された直後の王位空白時に、軍上層部に担がれて現れた素性の知れない王族の一人に王位が簒奪され、そいつが突然皇帝を名乗って以降迷走した挙句の結末なのだ。敗戦だろうと何だろうと受け入れる他ない。
「わかった、おれにしてほしいことは何かあるか」
驚いた顔で若者は答えた。
「いや何もない。あんたはおれたちと一緒だ」
そう言ってくれるのは嬉しかった。素直に嬉しかった。だがそれでも祖国の愚かな行いと敗北はヨハンの胸に暗い感情を残した。
「くそっ!」
その日、朝からクルトは苛立っていた。自室を忙しなく歩き回り、爪を噛みながら悪態を吐いた。
帝国の不意を突いて押し込んだはずの前線が各地で押し戻され、自分の管掌においても幾つもの部隊が反撃にあって後退の報告を受け取ることになった。今や本部からは増援どころか物資の支援も滞りがちになっていた。
実験作戦に成功したはずの第九研究所からの続報は途絶え、状況確認には返答すらない。
そこへきて先日の暴動騒ぎである。実際には暴動には至らず実害も出ていないが、これまで比較的おとなしく、コントロールできていた捕虜たちが数日前に突然事件を起こしたことに妙な胸騒ぎがした。
包帯を巻いたままの鼻が疼いた。思えばヨハンの件があってから状況はおかしくなっていった。村を秘密裏に占拠し、同時に兵站の拠点として前線を押し進めるという自分の作戦が、ヨハンが無駄な正義感で部隊長を殺してしまい、村住人の逃亡を助けたことで作戦行動が明るみになって反撃をくらい、指揮官不在の部隊は村を奪還されてしまった。拠点化ができなくなった時点でその後の作戦継続の前提が破綻してしまった。部隊は大打撃を受けて撤退したがせめてもの抵抗として村の住民を捕虜にしていた。今後の交渉や情報取得に使うつもりだったが連れ帰ってわかったのは彼らがちょっとやそっとでは折れそうにない屈強な元鉱夫たちだということのみだ。
それもこれもヨハンの責にしてしまって即刻銃殺してもよかったが、捕虜たちと同じ房にぶち込むことを選んだ。房内でなぶり殺される方が苦しめられると思ったし、捕虜たちのストレスの捌け口にもなると判断したからだ。しかしヨハンはなぜか今も生きている。捕虜連中と繋がっている気配はないと報告を受けているが、どんな取引をしたのか、初日にあったような暴行痕はその後見られない。やはり何か帝国と取り引きがあったのか。だがヨハンは軍人としてそこまで重要な情報を知る立場にはなかった。叩き上げな分、現場からの信頼はあったろうが厳しく甘えを許さない分、嫌ってる兵士も多かった。階級的にも皇国の重要情報を持っているわけではない。帝国にとっても大した情報源にはならないはずだ。
「痛ッ!」
爪を深く噛み過ぎて血が滲んできた。
自分は何かを見落としているのだろうか。自分が知らない重要な情報をヨハンが持っているのだろうか。
わからない。わからないが禍根は断つべきだろう。
「よし、今からでも銃殺しよう」
考えた末、クルトはそう口にして机の上に置いてあった短銃を取った。そのとき、連絡官の一人がノックもせずに慌てて入ってきて告げた。
「参謀本部より至急の通達です!」
聞きたくなかった。嫌な予感しかしなかった。カール副官が自分に付いてからはその有能さを見込んで多くの仕事を任せてきた。参謀本部からの連携もその一つだ。それが一介の連絡官がカール副官を通さず、ノックもせずに部屋に入ってきて至急の通達だと宣った。こんなことはこの駐屯地に配置されて以来一度もなかった。今この通達を見ることで自分は永遠に何かから遠ざかることになりそうな気がした。それが何なのかはわからないが、自分が手にすべきもの、立つべき場所、そう思っていたものから決定的に隔たれた場所へ追いやられることになる気がした。
クルトは唾をぐいと飲み込んで言った。
「読め」
連絡官は持っていた紙面を広げて読み上げた。
「第九研究所消失す。詳細不明。貴大隊に於いては帝国攻撃に備えられたし。奮戦を期待す」
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