2-1. 炭鉱夫の歌

日中、ヨハンは申し訳程度の上着を着て、固く凍った地面に一人で穴を掘らされていた。ツルハシで一週間ほどかけて自分の身長ほどの深さの穴を掘ると次はその穴を埋めろと言われ、その作業を延々と繰り返していた。

カシモフを始めとする帝国の捕虜と和解はできたが、表立ってヨハンに話しかける者はいなかった。それは、敵国の捕虜と親しくしていることで不要な敵意やあらぬ疑いがヨハンに向くことを避けるためにカシモフ達が配慮してのことだった。

ヨハンはあからさまに食糧が減らされ、他の捕虜よりも粗末な虜囚服が割り当てられた。それを受けてカシモフ達は見張りの目を盗んでヨハンに食事を分け、夜は熱した石を渡してヨハンはそれを懐炉替わりにして寝た。


ある日、ヨハンは穴掘りの作業中におかしなものを見た。捕虜と皇国の兵士が収容所の敷地を仕切るフェンス越しに何かを互いに受け渡しているように見えた。

皇国の兵士は背中を向けていて誰かはわからなかったが、捕虜は受け取った品を手早く腹に隠して姿を消した。

「どこでも金を払えば仕入れてくれるやつはいる」

掘った穴の上からカシモフが素知らぬ振りをしながら話しかけてきた。

おそらくヨハンの視線に気付いたんだろう。

ヨハンは頷いた。かつて自分が入った刑務所でも囚人と看守は一部で繋がっていたのを思い出した。カシモフが言うように、場所がどこだろうとがめついやつはがめつく、しぶといやつはしぶとい、世の中はそういうものかもしれない。


「どうやらここの偉い連中は、相当あんたのことを気に入っているみたいだな」

夜になってカシモフは横になっているヨハンに話しかけた。

「その気になれば銃殺で済ませられるってのにご苦労なこった」

ヨハンは、看守の目を気にせず話しかけてきたことに驚いたが、横になったまま答えた。

「こんなのガキの頃に比べりゃ屁でもないさ」

「…苦労したのか?」

「おれの生まれたとこじゃよくある話さ。両親も兄弟も流行病でおっ死んで、何の因果かおれだけ生き残って、頼る相手もいなくて路上にいたってだけの話さ」

「それがなんで軍人に?」

家族が欲しかったから、とは言えない。王国では軍人は軍に入るときに世俗の家族と縁切りし、皆、王の子と呼ばれるようになる。政治的な行為に関与する権利を始め、多くの国民が当然のように行使できる権利が剥奪される代わりに王と直接の繋がりを得られるのだ。街で生きていた若い頃、“クスボリのまとめ役”と祭り上げられるまでになったが、何をしても満たされず渇いていて、どうしても得ることができなかった僅かな潤いを求めて軍の門を叩いた。

「飯と寝るところがもらえるのは刑務所か軍隊かしかなかったからな」

「はっ、じゃあ今はその両方を満喫してるのか」

カシモフはそう言って声を立てず笑った。

「違いねぇや」

ヨハンも同じように笑った。

中には軍人であっても世俗の家族とは繋がったままの連中もいる。クルトのような貴族出身で前線もろくに知らない連中がそうだ。連中はむしろ家族の傘の下で傲慢に振る舞い、更に立場を強固にするために立ち回る。何もかもがヨハンたちとは異なるのだ。

「おれも孤児だ」

カシモフが言った。

「母親はおれを産んで間も無く、父親は鉱夫だったがおれが喋り始める前に落盤事故で死んだ。以来村のみんなに育てられた。だから皆家族のようなものだ」

「カシモフ、お前、」

ヨハンは、突然侵攻して村を占領した自軍の作戦行動を思い出してあらためて恥じた。だがそれを口にするわけにもいかない。

「意外とよく喋るんだな」

カシモフがヨハンの背中を小突いた。

「痛てっ、冗談だよ」

会話が聞こえていたのか周りからもクスクスと笑いが漏れてきた。

何となく空気が和らいでいた。どこかで誰かの放屁が聞こえ、さっきより笑いが大きくなった。

臭ぇだの、手前ぇの口よりはマシだのと軽口を叩き合ってる声も聞こえる。

そんな中で誰かが小声で歌う声が聞こえてきた。

  暗い坑道に入って行く

  我らの人生はそこで始まる

炭鉱夫の歌だ。徐々に歌うものが増えて歌声も大きくなっていく。カシモフも歌い始めた。

  古びたホイストを上げて

  どこまでも上げて

見張りの看守が、おい黙れ!と警棒で牢の格子を叩き始めた。それに反するように一際大きな合唱となった。

  さあ行こう 炭鉱の道

  石炭と石炭のうず

  ホイストをどこまでも上げて、さあ行こう

看守の人数が増えて黙らせるよう大声で指示を出している。声は静まらない。より一層大きくなっていく。

  夜明け前の暗闇の中

  我らの人生はそこで始まる

  太陽が昇る前に潜り

  岩を砕いて進む

檻の中に向かって放水が始まったが逆効果だった。捕虜たちは立ち上がり肩を組んで歌い始めた。

  さあ行こう 炭鉱の道

  我らの父親が掘り

  我らの祖父も掘った道 さあ行こう

遂に房のゲートが開き、警棒で殴りつけるという直接的な措置が取られた。

軽率だな、ヨハンはそう思った。捕虜たちは人数が多く、長い収容所生活で弱っているとはいえ元鉱夫たちである。人数も膂力も上回る相手のエリアに警棒のみで数人の看守が入って鎮圧することができるだろうか。

暴動となって脱獄が始まるのではと感じたのだが、予感に反して捕虜たちは大きな抵抗はみせなかった。看守の応援が到着した頃には歌は止み、ゲートは既に閉じられていた。

ヨハンは違和感を感じた。鉱夫たちには脱獄するチャンスだったはずだ。実際やろうと思えばできる状況だったが、あえてやらなかったように見えた。突然過ぎて行動に移せなかったのか、或いは騒ぎの裏で進めた別の狙いがあったのか。もしくは、既に進めている別の思惑があって脱獄などする必要がない状況なのか。

まあ、今のおれにはどうでもいいか。ヨハンはそう思いながら濡れた服を絞ってくしゃみをした。

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