1-3. 繋がれた男

顔をぼこぼこに腫らしたヨハンが仰向けに寝転がり天井を見ている。

房の中の男たちは体から湯気が出るほど殺気立ち、口々に殺せ、殺せと喚いている。

その中で一際年配の男が進み出て言った。

「もういいだろう」

更に殴ろうとする若い捕虜をそう言って諌めた。

「止めないでくれ村長代理。こいつらが来なければ村のみんなは」

「そんなことはわかってる」

房の捕虜たちはまだ騒いだままだが徐々に二人の会話が聞こえてくる。

「わたしはその男に見覚えがある」

ヨハンは天井から目を離して話の主を見た。そうかあの村の長の家に居合わせた者だ。ヨハンにも見覚えがあった。

「その男は村長が殺されたときその場にいて、唯一止めようとした者だ。村長を撃った者の喉を手刀で突いて殺すのを見た。そしてその後、村の娘に乱暴を働いた自分の部隊の長も縊り殺したと聞いた。大方その罪でここに入れられているんだろう」

房が静まっていく。

「つまり、ここにいない者が逃げることができたのはこの男のおかげでもある。敵ではあるが仇ではなく、殺してはならない」

そう言い放つと、人一倍巨躯の男がヨハンの前に現れ、殺気立つ男たちとの間に割り込んだ。

男の背中は筋肉で盛り上がり、眉間には皺が刻まれ、いかにも一筋縄ではいかない表情でヨハンを見下ろしていた。

「おれはカシモフ。あんたは?」

男が低い声で尋ねた。

「ヨハン」

男は頷いて続けた。

「ヨハン、おれはあんたの部隊の長に犯され、殺された娘の父親だ」

ヨハンは腫れた瞼を閉じたが、起き上がり、座して頭を下げた。

「頭を下げるということは、ヨハンお前が事の責任を取るということか?」

捕虜たちは全員口を閉じた。

ヨハンは言うべき言葉を探した。沈黙の後、ヨハンは口を開いた。

「おれにはあんたの娘を生き返らせることはできず、あんたの心の傷を癒すこともできない。だから責任を取ることはできない。だがおれはあの豚野郎を殺してしまったからあんたにはおれを殺す権利があると思う」

「おれの娘は豚野郎に犯されたのか?」

ヨハンは再び黙った。

「答えろヨハン。おれの娘は豚野郎に犯されて首を掻っ切られたのか?」

「すまない、カシモフ。あんたの娘を侮辱する意図はなかった。あんたの娘は」

「アーシャ」

ヨハンはカシモフの、娘の名を呼ぶ声にわずかばかりの柔らかさを感じた。

「娘の名はアーシャだ」

ああ、この男は心底娘のことを愛していたに違いない。ヨハンは頭を上げて真っ直ぐにカシモフを見た。カシモフもヨハンを見た。

「あんたの娘、アーシャは美しく、そして誰よりも気高かった。おれが異変に気付き部屋に入ったとき、アーシャは既に犯された後だったが、押さえ付けられたまま、部隊長のナイフを奪ってあいつの太ももの内側に突き刺した。バカな部隊長は逆上し、そのナイフを抜いてアーシャの首を裂いた。おれは部隊長の首を膝で蹴り折ったが、太ももの動脈が裂かれたあの状態ではいずれにしても死んでいただろう」

カシモフはそれを聞きながら黙って目を閉じた。

「ヨハン、今の話に嘘偽りはあるか」

「何ひとつない」

「誓えるか」

「ああ」

「何に」

少しの沈黙の後、ヨハンは答えた。

「おれには家族がなく軍人としての人生しかなかった。だから王国の祖たる正統なる王家の血に誓おう」

それを聞いてカシモフは頷き、小さな声で何かを呟き唱えた。おそらくは祈りの言葉なのだろう。

「村の皆、」

カシモフが捕虜の男たちに向き直って言った。声は低いがよく通る声だ。

「おれはこの男、ヨハンの言葉を真だと信じることに決めた。娘は自ら名誉を取り戻した。天と祖霊に祝福されて迎えられたはずだ」

捕虜たちは悲しみを堪えて頷き、片膝を突いて頭を垂れ、前にいる者の背中や隣りにいる仲間の肩に手を置いた。

村長代理が一人立ち上がり、何かヨハンの知らない言葉で述べていた。その間皆が目を閉じて死者を悼んだ。

しばしの沈黙が流れ、再度カシモフが口を開いた。

「ありがとう、村長代理、そしてみんな。大事なことだからおれはここで皆に伝えておく。これから先、アーシャの名誉の伝え手たるヨハンに仇なす者はカシモフを敵に回すと知れ」

捕虜たちは一斉に声を上げた。みな、ヨハンの元に寄り、抱き起こし、肩を叩き、抱いて口々に礼を言った。

ヨハンは面食らいながらもカシモフに礼を言った。

「礼はいい。ここからは対等だ」

カシモフはそれだけ言い、その後この事を口にすることはなかった。

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