第3話 滝塚市九紫ビル事件―③
九紫ビルの住民から情報収集を済ませた加納聖は、ビルの一階で南方芳野から電話がかかってきたスマートフォンを手に取った。
しばらくして、通話口から声が聞こえる。加納は通話をスピーカーモードにした。傍にいたポラリスも芳野の声に聞き入る。
「あ、ども。加納です。芳野さん、部屋について教えてもらえませんか?」
『ええと、そうですね。ドアは内鍵を外しても開きませんでした。なのでとりあえず手持ちの食材を冷蔵庫に。はい。何故か電気ガス水道は通ってます~』
スマートフォン片手に部屋の中を歩き回っているようだ。時々足音が聞こえる。
「ドアってどの辺りにありますか? 間取りは?」
『入り口のドアがどちらの方角にあるかはわからないです~。部屋は、恐らく1Kでしょうか。入り口からすぐのところに居間があります。入り口の左手にキッチンと冷蔵庫。右手に洗面所とトイレ、そしてお風呂です』
「窓とかありますか? 何か見えます?」
『窓は一つだけですね。玄関と居間を挟んでちょうど真正面にあります。風景ですか~? 少々お待ちください』
一瞬会話が止まった。困ったような息遣いが聞こえてくる。その間にポラリスが今まで聞いた話をメモしていく。とても綺麗な字だ。年相応にひらがなが多い。
『向かいに建物があります~。アパートでしょうか。空も見えます。いいお天気ですね~。……あれは、上の階のベランダでしょうか。何か出っ張りのようなものが確認できました』
「アパートと、上に出っ張りですね。その他は何も見えないんですか?」
『そうなんですよ~。絵が貼り付けてあるようになっておりまして。真正面以外の角度から見ようとすると、真っ暗闇なんです』
先程の志村の占いと合わせ、加納は確信する。芳野は九紫ビルの個室と同じ構造をした異空間に閉じ込められていると。彼は更なる情報を収集するため会話を続ける。
『他には……空の本棚があります。ここに入った時に、テーブルの下に落ちていた紙切れと、部屋にある机の上に置いてあった紙切れもありますね。書いてあること? 少々お待ちいただけますでしょうか~』
また足音が聞こえた。ポラリスに目を向けると、視線が合った。ポラリスはにっこりしている。
『机の上にあったものは、“とはぎらそかか” “れらなななけいばけあ”と書いてあります。テーブルの下にあった方は、“みばひくちぎをぬてうとうれ“と書いてあります。右下に、”ぬ⇒に”と書いてありますね~』
ポラリスが紙にシャープペンシルを走らせる。凄まじい速度だ。加納は話を続けようとする。その時、ポラリスが顔を上げた。
「ちょっと待ってくれないか、聖。芳野さんに聞きたいことがある」
「お、いいぞ」
加納はスマートフォンの画面をポラリスの方に向けた。
「初めまして。ポラリスと申します。不躾ですが、本棚は動かせますか?」
『初めまして~、南方芳野です。え? 本棚を動かせるか? 少々お待ちいただけますでしょうか~』
ややあってガタガタと音がした。
『あ! 小さい穴があります! 直径二センチ程度ですね』
「覗いてみていただけますか。何が見えます?」
『……向かいの部屋が見えます。ドアから見て左手の部屋の景色ですね。誰も住んでいなさそうです。間取りは……おそらくこの部屋と一緒かと。テーブルや机にうっすら埃が積もっています』
ポラリスは先程までの会話を紙にメモした。そしてスマートフォンを自分の方に向ける。
「ありがとうございました」
『いえいえこちらこそ~』
「じゃあ、これからスマートフォンをお届けに行きますね」
『あ、お届けに来てくださる? そうですね~、お食事中なので後十五分ほどお待ちいただけますと~』
そして、加納は通話を切った。同時に、スマートフォンの電源が落ちた。
♦
九紫ビル一階ラーメン屋脇。ちょうど、九紫ビル向かいの安アパートが北側に見える位置。加納聖とポラリスは集めた情報を整理していた。
「芳野さんから得られた情報で、部屋のことは大体わかったな。今のところ問題は二つだ。“開かずの間とは何か”、“紙切れに書かれている文字はどういう意味なのか”」
「開かずの間。管理人さんが言っていたけど、“なぜかマスターキーを用いても開かない部屋がある”らしいね。計五部屋。おかげで家賃収入がいつもギリギリだって言っていたよ」
「世知辛ェ」
九紫ビルは一階が牛丼屋とラーメン屋。二階がふぉうまるはうとの他にスナックと志村の経営する占いの館が入っている。そして三階から五階はマンションとなっていて、適度に入居者がいる。
「三階から五階まで計十五部屋。その内の三分の一が使えないのはちょっと辛いな」
「でも、住んでいる人たちの話だと、時々開かずの間を開けている人が目撃されている」
「誰だよそいつ。それが見つかればあっさり解決なんだけどな」
加納はため息をつく。そちらに関しては手掛かりがない。電話口では平気そうだったが、何があるかわからない部屋に芳野を放置し続けるわけにもいかない。あまり時間をかけてはいられないのだ。
加納が唸る間にポラリスは彼の手から紙片をそっとかすめ取る。そして二、三秒ほどそれを見て笑みを浮かべた。
「“鍵は外から開けなければならない”。比較的簡単なアナグラムだね」
「どうした突然」
ポラリスは芳野から聞いた情報をメモした紙を差し出した。、「とはぎらそかか」、「れらなななけいばけあ」と書いてある。それを三分ほど見て加納は手を叩いた。
「紙切れの文章か。ひらがなを入れ替えると確かにそうなる。そうすると、もう一つのやつは?」
「窓は北側についている」
「どうして?」
「あいうえお表を作ろう。紙はあるかな?」
「検索すればあっという間よ」
スマートフォンの画面にあいうえお表が映し出された。ポラリスの華奢な白い指がひらがなをなぞる。
すると突如画面が切り替わった。きょとんとしてしまったポラリスの代わりに、加納は再度表を画面に出す。
ポラリスは軽く礼を言うと、今度は慎重に指を画面に近づけた。
「ヒントは“ぬ⇒に”。一つ戻せばいいという事だね。この通り戻せば“まどはきたがわについている”となる」
「なるほど。……“ば“の前は違くね? は行の前はな行じゃん」
「君の言う通りだ。だけど、この場合に関しては“ば→ど”でいいんだ。そうじゃないと文章として成り立たなくなる」
「“まの”は北側についている、は確かに意味わかんねぇな。誰だよって話」
「人間を窓に貼り付けたまま生活するのは、流石に悪趣味だね」
加納はウェブブラウザを落とし、スマートフォンをポケットにしまいながら深く頷く。そしてあることに気づいて首を傾げた。
「鍵?」
そんなものは加納の手にはない。もちろんポラリスの手にも。頭を回転させる加納。額に脂汗が浮かぶ。ポラリスはその様子を笑顔で見守っている。
ややあって、何かを思いついたかのように彼は顔を上げる。ポラリスは彼の答えをじっと待っている。
「あー、鍵ってそういう事か? どこかに開かずの間を開く鍵があって、それを共有している何者かがいる。だからそいつらを探さなきゃならない」
ポラリスはちょっと眉を下げた。
「大丈夫だよ、聖。この場合、鍵は概念的に捉えてしまえばいい」
「え? どういう事?」
「要するに、外から開けることが重要なんだ」
加納はぽかんと口を開けている。ポラリスはそれを見て微笑んだ。
「部屋の場所は大丈夫? その、南方芳野という人がいる部屋の場所」
「あ、ああ」
加納は管理人や住人から集めた情報で作成した見取り図を取り出す。窓が北側にあり、西側に空き部屋、ベランダと思しきものが見えることから五階を除く、そして向かいに建物がある。その条件を満たす部屋は。
「三階から四階への上り階段隣の部屋だ」
――続く
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