第3話 滝塚市九紫ビル事件―②

 あれから一時間後、滝塚市三竹区心包商店街。九紫ビルと呼ばれる古い雑居ビルの前。加納聖とポラリスはこの五階建てビルの一階に入っているラーメン屋で遅めの昼食を取っていた。


「食べ〇グで星四つ。サクラかと思ったけど結構うまいな」

「ぼく、ラーメン食べるの初めてだけど、この店が最初で良かった」


 上品に麺をすすった後、天使のようにはにかむポラリス。店主おすすめの激辛担々麺を汗一つかかず完食する姿に、中年男性客たちが畏怖の視線を向けている。もちろんボタンダウンシャツにシミは一切ついていない。

 十分ほど後、加納は野菜大盛り五目タンメンを平らげた。その間にポラリスは追加でギョーザ三皿とチャーハン一皿をその小さい体に納めている。普通のラーメン屋に、紙ナプキンで楚々と口を拭く金髪の子供はとても似つかわしくない。


 二人は会計を済ませて店を出た。そして目的のコーヒーショップ、“ふぉうまるはうと”に続くスチール製の階段を上る。


「肉屋、和菓子屋、金物屋、古書店、八百屋、そしてコーヒーショップ。マジで普通に買い物に来ただけ、って感じだな。芳野さんの痕跡」

「次の行き先がわかるといいね、聖」

「だな。早くこれ返さないと。もう電池無くなりそうだよ」


 加納は左手で拾ったスマートフォンを弄ぶ。そして、空いている右手で木製のドアを押し開けた。軽やかなドアベルが鳴り響く。ほぼ同時に焙煎されたコーヒーの香りがふわりと漂ってきた。

 向かって正面にコーヒー豆が陳列されたショウウィンドウ。隣接されたレジで商品を受け取る仕組みらしい。今はボウタイをしたマスターと思しき男がレジ近くに立っている。

 右手にはテーブル席が五つ。全て四人掛けの席になっており、今現在客は加納達を除くと一組だけだ。加納はおもむろにレジに近づく。


「いらっしゃい。どの豆にします?」

「あ、今日は豆を買いに来たんじゃないんです。芳野さんって人ここに来ませんでした? 落とし物したらしくて、探してて」

「南方さん? 午前中にキリマンジャロを買いに来たけど。それ以降は見ていないな」

「どこに向かうとか言ってませんでしたか?」


 マスターは首を振る。加納は唇をへの字に曲げた。その後、マスターに礼を言い、ふぉうまるはうとを退出する。

 ドアが閉まったところで、彼は大きくため息をついた。


「マジかよ。ここで足取りが途絶えてるのか」

「周辺のお店に聞き込みをしよう。何か知っている人がいるかもしれないよ」

「そうだな……って、あれぇ?」


 見知った顔が階段からせりあがってくる。加納より十センチほど高い塩顔のイケメン。女性のものかと見まごう程艶のある黒髪を肩の長さまで伸ばしている。白と黒のストライプシャツに、黒いサスペンダー付きズボンを穿き、黒の革手袋をしている。片手には紙袋。中からミカンが覗いている。


「占い師の兄ちゃん!」

「志村針巻です。名乗るのは三度目でしたかね、加納聖さん」


 志村と名乗った占い師は疲れた笑顔だ。彼は加納の傍にいるポラリスに目線をやる。その瞬間、志村の右眉がぴくりと動いた。それを認識したのか、ポラリスは志村に笑顔を向ける。彼もまた笑顔で応えた。


「買出し? めっちゃ儲かってそうなのにわざわざ商店街行くんだ」

「加納さんが思っているほど儲かってませんよ。自宅が近いので商店街の方が便利なんです」


 加納は志村から手渡されたミカンを頬張る。ポラリスも同じものを渡されたが、どうすればいいのかわからないのか、それを握ったまま動かない。


「こうするんですよ。皮をむいて」

「なるほど。御親切にありがとう」


 ポラリスはミカンを一房取って口に入れる。途端に口元がすぼまった。


「酸っぱいね、これ」

「季節外れですからね。旬のものはもっと甘酸っぱいです」

「冬?」

「そう。後半年くらい先」

「楽しみだね」


 ポラリスはもう一房口に入れる。慣れてきたのか、目を瞑って味を堪能しているようだ。


「ところで。加納さんはどうしてこちらに?」

「そうだ。聞いてよ。実はさ……」


 加納はこれまでの経緯を説明した。その間ポラリスは加納の後ろで補足や解説を行ってくれた。一通り聞いた後、志村は自らの仕事場へ彼らを案内する。


「とりあえず奥へどうぞ。ああ、お客さんじゃないから、案内はしなくていい」


 一見すると歯医者のような店構えの扉が開くと、目の前に受付があった。志村はそこに座っていた女性が立ち上がろうとしたのを制す。無表情のまま、女性は椅子に座り直した。顔立ちが良いのも相まって不気味さを感じさせる。


 受付を右に曲がると待合室。これまた医療施設のような簡素さだ。四人掛けのソファが三つあるだけ。今現在客はいない。時間帯的に長めのお昼休みなのだろう。クリーム色をした壁には占いに関するポスターが掲示されている。

 その奥にある占い師の部屋に、二人は通された。こちらはいかにも水晶占いをやっていそうな趣の部屋だ。真ん中に様々な模様が刻まれたテーブルクロスがかかった丸テーブルがあり、その上にタロット、水晶、筮竹などが置いてある。


 加納とポラリスは志村が持ってきた椅子に腰かけた。志村は二人の向かい側に座る。


「わかりました。その女性の居場所ですね。占いましょう」


 そして数分後。


「彼女はこのビルにいます。正確にどこであるとは言えません」

「マジかよ。やっぱすげーな占い師の兄ちゃん」

「志村です。やはり覚えてもらえませんか……しかし、これは……」

「どうかしましたか?」


 筮竹を弄んでいたポラリスが尋ねる。志村は眉間に皺を寄せながら顔を上げた。


「彼女の居場所なのですが、ずれている(・・・・・)、と出まして」

「どういうこっちゃ?」

「具体的なことはわかりません」


 志村はかぶりを振る。ポラリスは二人の様子を見て、得心したかのように目を閉じた。


「まあなんにせよ、芳野さんがこのビルにいるってことがわかったからよしとするか! ありがとうな、占い師の兄ちゃん!」

「志村です。お役に立てれば幸い。ですが……」


 志村はポラリスから差し出された筮竹を笑顔で受け取る。


「占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦。信じるかどうかはあなたたち次第です。どうか、お忘れなきよう」


 志村は深々と礼をする。そして、二人は占い屋を後にした。


                                  ――続く

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