第3話 滝塚市九紫ビル事件―①

「ねえ、そこの君」


 過去に新興住宅街のモデルタウンとして発展してきた地方都市、滝塚市。その南部に位置する三竹区、心包しんぽう商店街にある肉屋の前。コロッケを口に咥えた加納聖は、背後から声をかけられた。

 振り向いてみると、そこには小学生くらいの子供が。


 身長は加納より頭一つくらい低い。背中の中ほどまで伸びたサラサラの金髪が風に揺れ、あどけなさと気品を感じさせる甘い香りが加納の鼻腔をくすぐる。眠たげに細められた瞳はルビーのように紅く、口元には人当たりのよさそうな笑みが浮かべられている。

 ダボダボのボタンダウンシャツの袖をまくり、これまたサイズの合っていないチノパンを穿いているあどけない子供は、加納のことをじっと見つめている。正確には口の中に吸い込まれて行くコロッケにだが。


「それは、何?」

「ほほっへ」

「食べている最中にすまないね。咀嚼してからでいいよ」


 加納はコロッケを三回噛むと喉の奥に流し込む。


「コロッケ。ここのコロッケは特上和牛の切れ端を使ってるから美味いぞ」

「ころっけ?」

「もしかして食べたことないのか。日本に住み始めたくらいか?」


 それにしては日本語が達者だ。変な外国訛りもない。

 加納の質問に対し、子供は顎に手を当てて考える。一つ一つの動作が絵になるほどの美しさだ。


「食べたことはないね」

「じゃあ、食うか?」

「いいのかい?」


 子供の目が見開かれた。紅い瞳に好奇の光が輝く。


「いいよ」

「どれがおすすめ?」

「牛肉コロッケかな。1か月食べても飽きない」

「それは凄いね! ぜひ食べてみたい」


 加納は店主にお金を払うと、油を吸わせるための紙に包まれたコロッケを二つ受け取る。そしてその一つを子供に手渡した。


「お金は払うよ」

「いいよ。小学生に金出させるほど貧乏でもねぇし」

「そうかい? ありがとう」


 金髪の子供は天使のように微笑む。美という言葉が相応しいその表情に、加納は南方昴のことを思い出す。

 先程から幾度となく発せられる、鈴を転がしたかのような耳障りのいい声。

どことなく、似ている気がした。




「へー。ポラリスって言うのか」

「ああ。君の名前は?」

「加納聖。滝塚市立紅葉台高校三年」


 加納と金髪の子供、ポラリスは二人並んでベンチに座っていた。日曜日の昼下がり、道行く人の数は多い。

 ここ、心包商店街は滝塚市中心部からは少し離れた位置にある、昔ながらの商店街だ。数年前に滝塚市太白区にオープンした大型ショッピングモールのせいで、年々客足は少なくなってきている。

 そんな商店街に、加納は好きで通っている。おかげで顔なじみも多く、ちょくちょくサービスしてもらっている。ポラリスに手渡したコロッケもその一つだ。


「いいのかい?」

「俺はもう三つ食べたから。店主さんに後でお礼言っておくんだぞ」


 ポラリスは包み紙を開ける。同時に、衣が躍っているかのような香りが立ち昇った。三つ食べたはずなのに、加納の口が潤ってくる。ポラリスは宝物を見つけた子供のようにそれを両手で包むと、一口一口味わうように食べていく。

 サクサクとした咀嚼音。脳内で否が応でも味が想起される。ポラリスと同様、加納は目を瞑って舌に感じる旨味の幻影に身を任せた。

 そして、最後の一口がポラリスの喉を通った。二人は同時に感嘆の息を吐く。たった二、三分の間だが、二人は確かに同じ世界を共有していた。自然と目が合う。


「おいしいね。教えてくれてありがとう、聖」

「どういたしまして」


 ポラリスは加納に向き直り、ちょこんとお辞儀をした。首をかしげて微笑む姿はとても愛らしい。


「昴もこれくらい愛想よくすればいいのな。綺麗なのに勿体ない」

「スバル?」

「知り合い。ポラリスくらいの年頃で、お前と同じくらい可愛いというか、美しいというか、そんな子供。ちなみに白い髪に青い目をしてる」


 ポラリスの目が細められた。視線が加納の鎖骨部分に向けられる。


「ねえ。その痣は何?」

「ん?」


 加納はポラリスが自分のことを見ているのに気付いた。今日は休みなので学校制服ではなくVネックのシャツにジーンズというラフな格好だ。ならば見えてしまってもおかしくないだろう、と彼は思う。


「この前会った邪神とやらにつけられた。見た感じはめっちゃ美人のお姉さんだったんだけどな」

「そうなんだ。それは大変だったね」

「そうなんだよ。俺も昴も触手攻めされて……」

「しょくしゅぜめって?」

「ええと、お前はまだ知らなくていい言葉だよ」


 永遠に知る必要のない言葉である。ネットで検索すれば一発だが。


 そして、邪神について話してよかったものかと加納が思った時、彼の耳に着信音が響いてきた。自分のものではない。

 ポラリスにも聞こえるらしい。二人はきょろきょろと辺りを見回す。道行く人々にも目を向けるが、誰もポケットに手を入れるそぶりがない。


「あった。ここだね」


 ポラリスは二つ離れたベンチの下に手を入れ、パッヘルベルのカノンが鳴り響くスマートフォンを拾い上げた。画面には十一桁の番号が表示されている。


「貸してくれ」

「出るのかい?」

「持ち主かもしれないだろ」


 加納は画面をタッチした。そしておもむろにスマートフォンを耳に当てる。すると、おっとりとした女性の声が聞こえてきた。声だけ聴くなら二十代から三十代かと思われる。


『もしもし? 私、南方芳野と申します~』

「加納聖です。芳野さん。あなたがこのスマホの持ち主ですか?」

『あら。わざわざ拾ってくださったんですか。どうもありがとうございます』

「いえいえ。滝塚市の心包商店街近くに公園があるんですけど。そこにいます。もし来れなさそうなら住所教えてもらえれば……」

『まあまあご丁寧にどうも。ですけど、本日中の受け取りはできないと思います~』

「なんか用事でもあるんですね。わかりました、じゃあ後日伺います」

『いえいえ。多分家には誰もいないので大丈夫ですよ。ここから出られたら受け取りに向かいます~』

「そうですか。じゃ、俺の住所は――」


 住所を伝えた後、加納は通話を切った。そして拾ったスマートフォンをポケットに滑り込ませる。数名の通行人が、一瞬加納の方を見た。だが、何事もなかったかのように通り過ぎていく。

 ポラリスが加納を見上げた。相変わらず柔和な表情だ。


「いいのかい?」

「そのうち受け取りに来るだろ。住所も教えたから大丈夫大丈夫」

「そうじゃなくて」


 加納は怪訝な顔をする。ポラリスはさして何事もないかのように言う。


、ってことは、電話の相手は今現在どこかに閉じ込められているんじゃないのかな?」


 別に暑くもないのに、加納の首筋に冷や汗が流れた。


                                  ――続く

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