第2話 滝塚市黄海山事件―③
黄海山の中腹。登山ルートから外れて十分ほど走ったところ。そこにぽっかりと空いた洞窟の入口があった。加納と昴は慎重にそこに近づく。
「こんな目立つ洞窟が見つからなかったのって、魔術?」
「そうですね。カモフラージュするものか、あるいはこの洞窟に意識が向かないようにする魔術か、どっちかだと思います」
入口のクリアリングが済んだらしい。昴が顔だけを後ろに向けて頷いた。二人はミ=ゴの前線基地へ足を踏み入れる。
そこは、近未来的な廊下だった。どこかの研究所を想起させるような白い床と壁。天井からは、電灯もないのに真昼の太陽を浴びせられたかのような光が降り注いでいる。
奥に続くまっすぐな廊下の両脇に扉がそれぞれ三つずつあった。昴は一番奥の扉に近づく。加納も後を追った。
「ん?」
その途中、入口から二番目の扉を通った時。加納の耳にか細い声が聞こえたような気がした。先程の聞き取りにくい日本語ではない。彼は中に何があるのか気になったのか、扉に近づいていく。
すると、扉は左に音もなくスライドした。加納は足を踏み入れる。
中央に手術台のようなものが一つある、会議室程度の広さの部屋だった。壁際には、先端がガラス張りになっている銀色の円筒が幾本も存在している。そして、その全てに灰白質の物体が納められていた。
灰白質の物体にはコードが繋がれており、それはガラス内部にある謎の装置に接続されている。加納は円筒に近づいた。
「なんだこれ……」
「加納さん。何してるんですか」
加納は振り向く。昴が廊下の様子を確認してから部屋に入ってきた。そして、部屋の様子を見て動きを止めた。
「やっぱり」
「何か知ってるのか? これ一体何なんだよ」
昴は何も言わない。表情は変わらないが、何かを逡巡しているように見える。
「教えてくれ」
「……ミ=ゴについての知識がある人類からは“脳缶“と呼称されています」
脳缶。その言葉を聞いた瞬間、加納の頭を嫌な想像が走った。
灰白質の物体。そこにつながれたコードと謎の機械。虚ろな登山客。ミ=ゴの科学力に関する言及。昴が言っていた洗脳とは違うという言葉。あの昴が鎖で縛りあげるしかなかったという事実。
それらは彼の頭の中で一つの仮説を形成する。そしてそれが口をついて出た。
「まさか、ミ=ゴは人間の脳を取り出して、この円筒に入れているってのか! もしかして、この機械は発声装置や、外部情報を脳に伝えるための機械なのか!?」
昴は答えない。だが、この場においてそれは明確で残酷な答えであった。加納は脳缶に向き直る。そして衝動のままそれを蹴倒そうとした。
「やめてください」
すんでのところで昴に羽交い絞めにされる。華奢に見える外見からは想像もできない程強い力で地面に押し倒された。端正な顔が目前に迫る。変わらない無表情。
「わ、悪い」
「いえ。こんな事実を知れば、当たり前です」
加納は額の汗を拭う。昴が彼から離れると同時に、何かいい匂いがふわりと香った。
「なあ。これ、何とかできないか?」
「何とか、ですか」
加納は起き上がり、脳缶に近づいた。昴は脳缶を前にして考え込む。
「ちょっとアイディアに技術力が追い付いていなくて」
「なんか、入れ替え魔術とかでどうにかならないの?」
「思いついたんですけど、入れ替えたところで脳と元々の人体を接合することができるかどうか」
「どういうこと?」
「脳って、脊髄とか神経とか血管と繋がっているんです。仮に脳だけを戻しても、元々の体の血管との繋がりが断ち切られていたら、酸素が行き渡らなくて死にます」
「血管だけ繋げても、神経が繋がってなかったら体は動かない。血管や神経を繋ぎ間違えると大変なことになる、ってことか」
「正直、僕には個人差のある人体の血管や神経を一瞬で繋ぐことができません。切るのはできますが」
「時間をかけてもいいけど、それまで生きていられるかもわからない、と」
「医学界でも前例がない、と思います。調べてみないとわかりませんが」
二人は脳缶の前でうんうん唸る。
「一旦、置いてきませんか。後で回収します。電力があればとりあえず生命活動は続けられるので」
「なんか、それも残酷というか。でも、仕方ないんだよな」
「……申し訳、ありません」
「ごめん。責めてるわけじゃないんだ。ただ、昴だったら、って思っただけで」
加納は膝をかがめ、昴の両肩に手を置く。ぎこちない笑顔を向けられた昴は、目を逸らした。
ふと、加納の頭に想像がよぎる。とても嫌な想像が。
「こ、この中に中島がいるんじゃ!?」
「いえ。まだ、いません」
「なんでわかる……って、探索魔術か!」
「先程僕が行こうとした扉の向こうに、牢屋があります。その中にまだ人間が数名捕えられているようです」
加納は最後の言葉を聞かずに走り出した。その後を昴が追う。彼は扉を出て右手に向かった。扉が音もなくスライドする。その先に地下に続く階段が。加納はそれを一気に駆け下りた。
――続く
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