第2話 滝塚市黄海山事件―②

 翌日午前十時ごろ。トレッキング用の装備に身を固めた加納は、同じくトレッキング用の装備に身を固めた昴と共に、滝塚市中央区の黄海山にやってきていた。


「いい天気だー! 封鎖されてなくてよかったー!」

「どうして、こうなったんでしょう……」


 とてもいい天気だ。両腕を高々と突き上げる加納。肩を落としてため息をつく昴。


「大丈夫だって。ハイキングコースを頂上まで行って戻ってくるだけだから。長めに見積もっても十六時までには帰ってこれる」

「それが行方不明者の続出しているルートじゃなければ、良かったんですけどね」

「このルートに中島が消えた理由があるって、占い師の兄ちゃんが言ってた」

「志村さんでしたっけ。なんだったんでしょうね、あの人」


 結局、加納は昴の反対を押し切り、ローラー作戦開始前に一度黄海山を調べることにした。土曜の午後は押し問答に負けた昴と共に登山用品を専門に扱う店を巡り、バイトで稼いだ金をほぼ全額突っ込んで装備を整えた。

 その途中、二人は不説教事務所で出会った占い師に出会う。そして辻占いの結果、このコースを登ることになった。

 麓から黄海山の周りをぐるりと一周しつつ頂上へ向かうルート。滝塚市市民に人気のルートだ。山の中腹まで行くルートもあり、そちらも軽めの運動として親しまれている。


「なんだかんだついてきてくれたよな、昴」

「あなた一人で行かせるくらいだったら、最初から僕がついていた方がいいでしょう」

「よし、じゃあ行くか!」


 昴が抱えているであろう案件を放り投げて来てくれた、という事実には目をつぶる。


 二人は登山道を頂上に向かって進み始めた。

 季節は春。先月頭に市街地の雪は完全に融けてしまったが、黄海山にはまだ若干残っている。木々もまだ灰色のものが多く、葉もまばらだ。それでも、野鳥のさえずりや吹き抜ける春風が、加納の気分を高めてくれる。


「そういえば、昨日神智さんが言ってたのって、どういうこと? 最先端とかなんとか」

「……僕の場合、炎を扱う場合とそれ以外で違いがあります」


 通り過ぎる人に挨拶をかわす。行方不明事件は噂になっているはずだが、それでも登山客がいるようだ。心なしか、装備が薄汚れているように見えたが。


「炎以外は、そうですね、術式を圧縮して超効率化しています。有り体に言えば」

「つまり、魔方陣を描くのと同じくらい複雑なことをできるようにしていると」

「はい。それを詠唱せず、体の動きに刻み込むことで発動短縮を行っています」

「そんなことできるのか。昨日指先だけ動かしていたのは、それか」

「普通はできないと思います。特に魔導書から魔術を学んだ人には」


 加納は、自分の横を歩く小学六年生くらいの子供を見る。相変わらず中性的で美しい顔。


「……昴は独自に魔術を生み出した、ってこと?」

「元々魔術を教えてくれた人がいて。育ての親なんですけど。彼が使っていた魔術体系をそのまま引き継いでいます。それに、神智さんに教えてもらった魔術の知識を掛け合わせて独自の体系を構築しました。まあ、大体加納さんの理解する通り、ですね」


 加納の鼻息が荒くなる。


「すげーなそれ!」

「はあ……」


 昴はあまり嬉しそうには見えない。光のない青い目と、白く長いまつ毛が細められる。


「で、炎の時は?」

「魔法、と言っていいことができます」


 魔法。その言葉に加納の心が高鳴る。


「僕にとって炎は、呼吸をするのと同じくらい自然に出せるものです。形も温度もどこに出すのかも自由自在。……試してみますか?」

「お願いします!」


 昴が加納に顔を向けた。青い目がトレッキングウェアを捉える。その瞬間、加納の上着と肌着の間を、炎が駆け巡った。


「うおっ!?」


 発生した炎は、上着の間でうごめいている。時折その動きに応じて上着が上下する。温度もかなりのものだろう。あっという間に加納の全身が温まり、汗が噴き出てきた。

 しかし、肌着も上着も燃えない。炎はただそこにあり続ける。普通であれば、とっくに加納は火だるまだ。


「抱きしめてみてもいいですよ。それでも燃えないので」

「あ、ああ」


 言われるがまま加納は自分を抱きしめる。燃え盛る何かを掴む感触。確かに、昴の言う通り燃えない。だけど掴める。抱きしめられる。

 熱いのに背中に怖気が走る。自分の上着の中で、一体何がうごめいているのか。


「暑いですよね。冷まします」


 途端に加納の腕の中で温度が下がっていく。まるで氷枕を抱きしめているかのようだ。流れていた汗はすぐに引き、寒気に震えが止まらなくなる。


「冷ましすぎました」

「わ、わ、わざとやってない!?」


 昴は小首をかしげた。長い髪が端正な顔立ちにかかる。程なくして炎は適温になった。それで温まった後、二人は山頂を目指した。





「なんもなかった!」


 登山道の途中、後十分ほどで入口にたどり着く頃。加納聖は突然天に向かって叫んだ。晴れ渡った空に声が吸い込まれていく。


「お昼ご飯がおいしかったじゃないですか」

「お前のお母さん料理上手だよな。俺の分まで用意してくれて本当に助かった……じゃなくて! 行方不明につながることなんもなかった! 何のためにハイキングしたんだ!」

「僕がついているから何もない方が自然ですけど」


 昴は前方に視線を向けたまま。加納はがっくりと肩を落とした。


「俺だって、俺だってさあ。何か役に立つことがしたいじゃんか。でも昴は危ないことダメって言うし」

「公安として当たり前のことを言っているだけです」

「うぐぐ……ド正論」


 加納が歯を食いしばり、苦悩をアピールしていると、ふいに昴の足が止まった。加納は昴が広げた右手に止められる。


「どうした?」

「囲まれました」


 言われてから、加納は辺りがとても静かなことに気づく。先程彼が叫んだ時も、野鳥が羽ばたく音はしなかった。そして、木の影からぞろぞろと登山用装備に身を包んだ人間たちが現れた。昴が加納の前に出る。

 数は恐らく四。ストックやピッケルなどを持った手をだらりと下げている。昴は手近な木から現れた登山客に一秒で接敵し、手に持っていたピッケルを叩き落した。


「……洗脳とは違いますね。無力化します」


 昴は登山客の足を払う。彼が倒れ込むと同時に地面に魔方陣が展開され、そこから現れた鎖が体を縛り付けた。同じように昴は登山客たちを無力化していく。約一分で場は片付いた。


「どうなってるんだ、この人たち。なんか薄汚れてるし、臭う」

「行方不明になっていた人たちだと思います。人相書きに一致する人が二名。そして……」


 昴は芋虫のようにのたうつ登山客の頭に手を当てる。


「中に機械が入ってますね。この科学力は、“ユゴスよりのもの”ですか」

「ユゴスよりのもの? なんだそれ」


 その時、加納の耳に羽音のようなものが聞こえた気がした。慌てて昴に駆け寄る。昴は自分の背中側に加納を追いやると、周囲を睨みつけた。


「見えています。用心深いですね、バイオ装甲まで持ってきましたか」


 昴が虚空に語り掛けると、突如歪みが発生した。まるで風景に擬態していたカメレオンが姿を現すかのように、人間くらいの大きさをした怪物が三体、姿を現す。


それらは背丈が約一メートル五十センチ程度の桃色がかった体色をした生き物たちだった。甲殻類のような胴体に大きな背びれというか、膜のような翼が付いており、関節肢が数組付いていた。

 そして、普通なら頭のあるはずの部分には、非常に短い触手に覆われた渦巻き状の楕円体が付いている。時折それが光を放つ。


「うわああああああっ! なんだこいつら!」

「これが“ユゴスよりのもの”、ミ=ゴとも言います。平たく言えば宇宙人の一種です」

「宇宙人!? 実在したんだ!」


 恐怖よりも好奇心が勝ったのか、腰を抜かしていた加納は昴の背中におぶさるようにして身を乗り出す。体は震えているが、脳は面白がっている、そんな状態だ。

 加納の耳に、今度はきちんとした羽音が聞こえた。いや、それは羽音というよりも、聞き取りにくい日本語だった。


「キ、サマ。ナニ、モノダ」

「喋った!」

「ミ=ゴは羽を用いることで、人類の言葉を発することができます。後、知能がある程度ありますので、こちらと意思疎通ができます」


 昴は加納を立たせると、ミ=ゴたちと何やら聞いたことのない言語で意思疎通を始めた。

 それから一分。惚けていた加納の前で、ミ=ゴがハサミを光らせた。その瞬間、昴に向かって電撃が走る。

 しかしながら、それは昴の手前で明後日の方角に曲がると、近くの木に命中した。幹が焼き切れ、地面に横たわる。


「コウショウケツレツ、ダ」

「生贄だけよこして去れ、って。最初から交渉する気なかったでしょう」


 昴が首を振った瞬間、ミ=ゴたちが燃え上がった。彼らの体内を中心点とした球状の爆炎。それが炎に耐性のあるバイオ装甲の中からその身を焦がす。

 ものの一分もしないうちにバイオ装甲も灰になった。それは春風に巻かれて宙に舞う。


「本来なら死亡すると液体になるんですけど、処理が面倒なので燃やし尽くしました。お怪我は?」

「昴のおかげでちょっと漏らしたくらい」

「漏らしたんですか」


 若干距離を取られる。加納はズボンの中を確認し、安堵した。


「……もう一匹が巣に向かいました。追いかけましょうか」

「まだいたのかよ!」

「あと四匹くらいいます。地下に研究施設兼前線基地を構えているみたいです」

「何でそんなことわかんの!?」

「魔力検知と、探索魔術をほぼ常時発動しているからです。魔術的防御があったのでちょっと時間かかりましたが。元々、面倒くさい組織内政治がなければとっくに解決している事件のはずなんですけどね」

「はずってなんだよ」

「すごい、嫌な予感がするんです。でも大丈夫。あなただけは命に代えても守ります」


 公安ですので、と昴は言う。それ以上言葉を続けず、二人は逃げ出したミ=ゴの後を追った。


                                  ――続く

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