第2話 滝塚市黄海山事件―①

過去に新興住宅街のモデルタウンとして発展してきた地方都市、滝塚市。

土曜日の昼下がり。加納聖は神智探偵事務所があるビルの地下階にいた。すると、鉄製の扉が開き、入ってきた人物がぴくりと肩を震わせた。加納は椅子に逆向きに座り、背もたれに両腕をかけながら話しかける。


「なあ昴。ちょっと聞いてくれよ」

「……なんであなたがここにいるんですか」


 南方昴の声が、若干震えていた。軋んだ音を立てて扉が閉まる。この部屋は射撃訓練場のような構造だ。昴や、先客としてやってきていた加納がいるエリアから、奥に向かってレーンが五本伸びている。

 ドアから向かって左手奥に木製のテーブルがあり、その周囲に四つのパイプ椅子が。加納以外は誰も座っていない。


「クラスメイトの中島がさぁ、行方不明になってもう一週間経つんだよ。なんか知らない?」

「僕の質問には答えてもらえませんし、話を聞くとも言っていないんですけど」


 昴は加納を一瞥するとレーンの方に向かった。加納はその姿を見ながら頬杖を突く。


「何でここにいるかって? 偶然このビルにある探偵事務所の人と知り合ってさぁ。そうしたら昴のこと知ってたから」


 昴は表情を変えず小さく嘆息する。すると、軋んだ音が響いた。鉄製の扉が開き、一人の女性が入ってくる。

細いシルバーフレームの眼鏡をかけた、整った顔立ち。少し大きめのカッターシャツとタイトなスラックスをさらりと着こなすスタイルの良さ。長い髪を後ろで無造作に結ってあるのも、何故か格好いい印象を与えてくる。

 昴は入り口の方に振り返ると、いつも通り無表情のまま彼女に話しかけた。


「神智さん」

「やあ南方くん。いつも通り五分前には必ず来ているね、君は」

「あなたが話したんですか」

「彼の事? 思いがけない出会いだったね。そう、あれは……」

「別にいいです。興味ありません」


 彼女は肩をすくめると、困ったような笑みを浮かべた。


「神智さんが守秘義務も守れないポンコツ探偵であることが分かった事だけが収穫です」

「辛辣だなぁ。そう言わずに今後ともよろしく頼むよ」


 昴は再度嘆息するとレーンの方に向かう。昴が右手をかざすとレーンの向こうに浮遊する的のようなものが虚空から現れた。


「で、中島の件は何か知らないの?」

「黄海山で行方不明になった人の一人でしたよね。今度滝塚市警察で黄海山のローラー作戦を行うので、その結果を待っていてください」

「でもさ、もう一週間だぜ。一週間飲まず食わずだと死んじゃうだろ」

「それは、そうですが」


 昴は加納の方を見ながら、浮遊する的を魔術で叩き落していく。一見したところ、特に何かしている様子はない。だが、昴氷の礫、雷の槍、竜巻、時空を引き裂く刃、真空波などなど、様々な攻撃が的を破壊していく。


「というか、中島に限らず黄海山で行方不明になる人多すぎないか? ここ一か月で十人だっけ」

「正確には十八人です。僕が一か月留守にしたタイミングを狙ったんでしょうね」

「そこまで知っててさっさと解決に行かない、ってことはさ。お前が動くと誰かに迷惑がかかるとか? 例えば水戸瀬さん」


 魔術が止まる。神智が手を叩き、手近なパイプ椅子を引いてそれに腰掛けた。


「なかなか聡いね加納くんは。だが、それを南方くんに聞かせることそれそのものがまずい、という考えに至らないところがまだ子供かな」

「あっ」


 沈黙が下りる。昴は無言で訓練を再開した。


「そ、そういえば、さっきからやってるの魔術?」

「そうです」


 昴はそっけなく答えた。加納は目を輝かせて立ち上がる。


「うおー! すげー!」

「この前も見せたと思いますけど」

「あの時は目をつぶってたからよくわからなかったんだよ」


 昴は反応しない。的は次々破壊されて行く。


「加納くんは魔術に興味があるのかな」

「はい! あります!」


 即答。直立不動で敬礼をする姿に神智は口元を緩めた。


「じゃあ、簡単な説明をしておこうか」

「神智さん。加納さんは授業料払えませんよ」

「授業料あるの!?」

「本来は魔導書数セクション、と言いたいが、出世払いでいいよ」


 昴が加納の着ているトレーナーの袖を引く。相変わらず美しい顔。しかし表情も、声の抑揚もない。


「加納さん。この世の裏に潜む冒涜的な知識なんて、知る必要ありませんよ」

「でもよ、俺が強くなるためには必要だと思うんだよな。夏希姉のためにも知っておかなきゃならないと思う」

「ですが……」

「今回に関しては加納くんの言う通りだね。知っておいて損をすることはない。君が首を突っ込んだ世界は、魔術を使える人間がゴロゴロいる。対処法を学んでおくことは重要だ」


 加納はガッツポーズをした。昴が目を背ける。再度レーンに戻って訓練が再開された。そして、加納はふと思いついた疑問を口にする。


「……対処法? 魔術を学ぶんじゃなくて?」

「そう。残念ながら、君の魔力は一般人のそれだ。別に強くも弱くもない。私や、南方くん。それに南方くんが相手にするような魔術師や邪神相手からすると、取るに足らない程度の強さしかない」


 加納が膝から崩れ落ちる。この世の終わりが来たかのような顔だ。高橋夏希が洗脳されていたと知った時とほぼ同じくらい、彼は傷つき、涙を流している。そんな加納に、神智は追撃をかけてきた。


「重要なことが一つあるよ。魔術の威力は魔力量で決まる。つまり、君が魔術を使えるようになったとしても……」

「……ろくにダメージを与えることはできないッ! 大魔王バ〇ンがメラを撃つとメラゾーマ並みに強くなるのと原理は一緒! 俺がメラを撃っても多分十ダメージにしかならないッ!」


 加納は地面に両手をつき、超えられない現実に絶望する。昴は訓練を止めない。


「理解が早くて助かるよ。私も幼少期は遊んだものだ。まあ、魔力量が少なくても強い魔術師もいるんだけどね」

「ど、どうすれば一般人でも強い魔術が撃てますか!」

「命を削る。それ以外だと、体に元々受け継がれている特殊な術式がある、とかね」

「命削るのはその時に決めるとして。俺にも何か特殊な術式ありませんか!? 例えば時空を超えられるとか!」

「ないよ」

「えっ」


 膝立ちになっていた加納が再度崩れ落ちる。惚けた表情。目尻から涙が零れている。


「加納くんは本当に一般人だ。体に刻み込まれた術式も、特殊な魔力経絡も、その身に何らかの神話生物や邪神の血を引いているわけでもない。普通の人間だ」

「Nooooooooooooooooooo!」


 加納は横たわったまま動かない。よほど精神にきたらしい。何かぶつぶつとよくわからない言語をつぶやいている。


「君の絶望は放っておくとして、まずは基本から。魔術というのは魔力というリソースを術式に送り込んで起動させることで発動するものだ」


 神智は足を組みなおすと、空間に指先で円を描く。すると、黒い穴のようなものが発生した。彼女はそこに手を入れると、赤い革装丁の本を取り出す。そして、それをパラパラとめくりながら話を続ける。


「魔力はイメージが付きやすいだろうから、術式について。魔方陣が一番わかりやすい。自分が求める結果を生み出すために魔術記号を組み合わせて魔方陣を描く。そのため、魔方陣は強力で複雑な魔術を発動させることができるが、発動までに時間がかかるし、魔力もかなりの量を必要とする。咄嗟に使うのには向かない」


 倒れている加納の傍に、昴がやってきた。そして、コンクリートの地面に簡単な魔方陣を描く。するとそこに花が咲いた。加納は泣くのを止めた。


「なので、普段使いの魔術はもっぱら術式詠唱で行うことになる。これは法則に従った言葉を口にすることで、魔術を発動させる形になる。ブリザドと言ったら氷の魔法が出るのと一緒だ」


 加納が花をしげしげと眺める。昴はその傍にしゃがみこみ、何事か呟く。すると花の上に小さい雨雲が出現し、雨を降らせた。その後、雨雲は小さな光源に変わる。目の前で起こった不思議現象に、加納聖は目を離せない。


「詠唱のメリットは簡便さ。デメリットはあまり複雑なことはできないこと」

「でも、その話だと俺も魔方陣を描ければすごい魔術が使えるんじゃ」

「リソースどうします?」

「あ、そうか」


 加納は手を叩く。昴は小さく嘆息すると訓練に戻った。指先や肩の動き、足の位置など、ごくごく小さな動きで魔術を連発していく。そのどれもが高威力、高精度を誇っていた。

 それを見ながら加納は腕を組む。そして首を傾げた。


「神智さん。さっきの説明からすると、昴ってものすごく詠唱が早いんですか? それとも本人の魔力が強いから、短い詠唱でもあんなことできるんですか?」

「加納くんはいろんなことに気が付くね。正解から言ってしまうと、どっちでもない」


 赤い革の本が閉じられる。神智は先程開けた空間にそれをしまうと、黒い穴を撫でて消し去った。


「どっちでもない?」

「そう。私も南方くんに師事するようになってから知った事なんだけどね」

「嘘つかないでください。僕の魔術の師は神智さんじゃないですか」

「もうその関係性は逆転しているだろう。私から南方くんに教えられることはなく、君が私に教えられることは星の数ほどある」


 大げさな、と昴は呟く。加納は尊敬のまなざしを昴に向けたが、無視された。


「あの子の魔術を見せられてから、私がどれだけ進化したか。加納くん。実はね、先程教えた魔方陣や詠唱といったものは、スタンダードでしかない。今の最先端は、君の目の前にいる南方くんの在り様、そのものなんだ」

「いったいどういうことです?」

「あの子と一緒にいれば、おのずとわかる。幸運だね、君は。この世界に最も安全に踏み込むことのできた人間の一人だろう」


 神智は高笑いすると再度パイプ椅子に腰かけ、足を組んだ。磨かれた革靴がぼんやりとした明かりに映える。


「で、昴。話戻すんだけどさ」

「ローラー作戦がありますので、大人しくしていてください」

「俺、山登ろうと思うんだよね」


 雷撃が的を貫いた。振り向いた昴の口は、流石に開いていた。



                                  ――続く

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