第1話 滝塚市不説教事件―②
高橋夏希が搬送された滝塚市立病院の一室。スチール製の机を挟んで、加納聖は黒いスーツを着た男性に事情聴取されていた。年齢は三十代といったところか。黒い直毛を軽く後ろに撫でつけている。
「突然燃え始めた。そして、気が付くとその不審人物はいなくなっていた」
「……アイツが夏希姉を殺そうとしたんだ。頼むよ、必ず捕まえてくれ!」
「分かった。それと一応伝えておくが、高橋夏希さんは命に別状はないそうだ」
その言葉を聞いて、加納の両肩から力が抜けた。
「とりあえず、今日のところはタクシー代を出すから帰りなさい。それと、連絡先はこちらになる」
黑スーツの男は名刺入れから取り出した名刺を加納に手渡す。加納はそれを受け取るとポケットにしまった。その直後、部屋に別の警官が入ってくる。どうやらタクシーが到着したらしい。加納は彼に促されて部屋を出た。
帰りのタクシーの中、ネットニュースを確認したが特に情報はない。当たり前だが、捜査は先程から始まったのだ。
手持ち無沙汰になった加納は、先程受け取った名刺に目を通した。所属と階級、連絡先が記載されている普通の名刺だ。裏に何か変なことが書かれているわけでもない。
「滝塚市警察署捜査一課、水戸瀬敏孝警部。警部ってどれくらい偉いんだろ。割と若そうに見えたけど……」
調べてみると、警部は地方警察署レベルではかなり偉い人に当たることがわかった。同時に、漠然とした不安に包まれる。それなりに偉い人にあまり関心を持たれなかったためだろうか。加納はスマートフォンを強く握りこむ。
そうしていると、自宅についた。去っていくタクシーを見送っている内に、加納はいてもたってもいられなくなってきた。
玄関で靴を脱ぎ、心配そうに声をかけてきた両親に適当に返事をする。そのまま二階の自分の部屋に入ると、新品のメモ帳と筆記用具を取り出した。そして普段使いの鞄にそれを突っ込んでいく。
他にも安物のボイスレコーダーなど、調査に使えそうと思ったものを片っ端から入れていく。幸い、明日は日曜日。朝から動くことができる。
「じっとしてられるか。警察にアイツが捕まったら、一発ぶん殴ることもできなくなる。その前に何としてでも見つけ出すんだ。なぜ夏希姉が殺されそうになったか、聞き出すんだ」
♦
翌日の午後五時。加納聖は滝塚市中央区の喫茶店で机に突っ伏していた。
「ダメだ……、アイツに関して何の手掛かりもつかめやしなかった」
当たり前の話である。一介の高校生がフィクションのように情報を収集できるなんてことはなかった。
高橋夏希の自宅や親族の家にはすでに警察が入っており、調べることができなかった。新聞記者ですら入れないのだ、加納は猶更だった。
図書館にも情報はなかった。ネットニュースや掲示板も空振りだった。高橋とのLINEのチャット履歴を見返しても特に何もない。
そんな状況下でも、足で稼いでわかったことが二つある。
「夏希姉のやってるボランティア活動は、“不説教”という新興宗教団体が主催しているものだった。なんか教義は怪しいけど、事務所にいた人たちは普通の人たちだったな。信者の人もおじいちゃんおばあちゃんが多かったけど、変な感じはしなかったし」
不説教とは、滝塚市青梅区に三階建ての事務所を構える新興宗教団体である。教祖が六年前、“名状しがたき神”の神託を受けて設立した。教義は信者の救済と幸福というどこにでもあるようなもの。
午前中。高橋がボランティア活動をしていたという記憶からネット検索をし、滝塚市界隈で一番有名なこの団体に行ってみたところ、当たりだった。教団事務所という建物内に飾られていた写真の中に、高橋の姿があった。
その写真は一年前のボランティア活動時に撮影された記念写真。特に怪しいところはなかったが、割と若い人が多かったことだけが気にかかった。
しかし、そこでは高橋がボランティア活動に勤しんでいたこと以上のことは全く分からず。加納は一旦途方に暮れた。
「一体何だったんだろう。あの占い師のお兄さん。事務所でやってた出店コーナーの中で、めっちゃ目立ってたし。なんか若い女の人ばっかり並んでたし……」
その時。途方に暮れていた加納は、とぼとぼと事務所から出てきた。事務所前は広場になっており、そこにいくつかの出店が並んでいた。尋ねてみたところ、時折商店街の出店がここの広場に出ているとのこと。地域活性化を目的としているようだった。
その中に、異彩を放つ黒いテント。サーカス小屋を二回り小さくしたようなその佇まいから、サスペンダー付き黒ズボンを着こなす、黒い長髪の男が現れたのだ。
占い師と名乗るそのイケメンの言葉通り、滝塚市富永区に向かったところ、ある情報が得られたのだ。
「ホームレス集団失踪と、黄色い雨合羽集団による拉致事件……か」
滝塚市富永区にある公園で、ホームレスが集団失踪した事件。先月地方紙の一面を飾った記事だ。未だに彼らがどこに消えたのかわかってない。
そして、一週間ほど前に路上で会社員が黄色い雨合羽の集団にリンチに会い、そのままハイエースに乗せられて連れ去られた事件だ。こちらは現在も捜査中である。
そして幸運なことに、加納は会社員拉致事件の目撃者に話を聞くことができた。正確には、リンチの現場ではなく、その会社員らしき人が不説教事務所に運び込まれるところを目撃した人だが。
「拉致事件については警察にすでに伝えてある、って言ってたな。そうすると、警察が未だに動かないのはなんでなんだ?」
腕を組んで考える。が、特に思いつくことはない。加納は氷の溶けきったクランベリージュースを飲み干す。薄まっていて味はほぼないが果実の風味だけは伝わってくる。
「わかんねぇ。そもそもこれが何で夏希姉に繋がるんだ?」
頭を抱えて再度テーブルに突っ伏す。周囲の人間が不審者を見るような視線を送っているが、加納は気にしている余裕がない。
高校受験以来久々に脳をフル回転させている加納。そうすること五分。彼はある考えにたどり着いた。
「……もしかしたら。夏希姉は何かヤバい秘密を知ってしまったんじゃないか?」
顔を上げる。窓の外には暗くなった大通りと、道行く人々。
「不説教は人間を拉致監禁して何かをしようとしている。何かわからない神様祀ってるし、実はヤバい宗教だったんじゃないか? そして、そこのボランティア活動に関わるうちに、夏希姉は、例えば教祖の計画とかを偶然知ってしまった。それで命を狙われた」
周囲の人間に聞き取れないほどの小声で、ぶつぶつと呟く様は正に狂人。
「なら納得がいく。アイツは教団の刺客。夏希姉を殺すために差し向けられた」
ならなぜ自分は生きているのか、という疑問が湧くが、彼はそれを一旦脇によけた。
「もしかしたら、俺のこともどこかで監視しているのかもしれない。警察に余計なことを言わないように。いや、警察とも繋がってる? そういえば、目撃証言があるのに一週間も動かないのも変だ」
実際にはきちんとした物的証拠を用意してから捜査令状や逮捕状の請求となるのだが、加納はそこまで警察機構に詳しくない。彼の妄想はどんどん加速していく。
「……不説教が滝塚市警察と繋がっているとしたら、もう俺自身で何とかするしかない。何とか証拠を掴んで、誰かに助けを求めるんだ」
加納は伝票を手に取ると席を立つ。高校生にはちょっとお高めの金額を支払った後、その足で日本最大級の総合ディスカウントストアに向かう。
「待ってて、夏希姉。俺が必ず、真実を暴いてやる」
一人意気込む加納。その後ろ姿を遠巻きに見つめる姿があった。
――続く
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