第1話 滝塚市不説教事件―①
過去に新興住宅街のモデルタウンとして発展してきた地方都市、滝塚市。その中央区にある劇場で映画を見た帰り。加納聖は年上の幼馴染である高橋夏希と大通りを歩いていた。
「でさ、クライマックスのシーンとか超盛り上がるじゃん? ドゥ〇イン・ジョンソンがヘヴィマシンガン二挺抱えてエントリーするところとかさぁ!」
「確かに! あそこは盛り上がったよね。その後テロリストたちが滅多撃ちにされていくところとかスカッとしたもん」
二人は先ほど見てきた映画の話題で盛り上がる。ふと、加納は通りで立ち往生している老婆に気づいた。キャリーケースを傍に置き、行き交う車が止まってくれるのを待っている。
だが、目の前に横断歩道があるというのに、車は止まってくれる様子がない。
「夏希姉、ちょっと待ってて」
「あ、聖くん!?」
加納は老婆の方に駆けよる。
「おばあちゃん、どうしたの。なんか困りごと?」
「え? ああ、向こうに渡りたいんだけどね。ちょっと信号機まで遠くてさ」
「よっし、任せて」
加納は信号機めがけて走り出す。五十メートルくらい先にある信号機のボタンを押し、そのまま帰ってくる。そして、信号が変わって車がスピードを緩めたところで横断歩道に一歩踏み出し、大きく両手を振った。
「はーい、ちょっとストップストップ。おばあちゃんがここ渡りますよー」
「すまないねぇ」
「気にしないでください。本当は止まらない方が悪いんですから」
加納は老婆のキャリーケースを持つと、そのまま彼女と共に道路を横断した。その後から高橋が慌ててついてくる。
「ちょ、ちょっと。置いてくなんてひどいよ~」
「いや、待っててって言ったじゃん。何でついてくるのさ」
「坊や。彼女さんを無下にしたらいかんよ」
「違います! ただの近所の幼馴染です!」
高橋はぶんぶんと手を振って否定する。加納はほんのちょっぴり傷ついた。
二人は老婆を見送ると、また並んで歩きだす。さりげなく加納が高橋の荷物を持った。
すでに黄昏時。住宅街に差し掛かってきたためか、行き交う人もまばら。そんな中、二人は他愛もない話で盛り上がる。加納が通う高校の話、高橋が勤める会社の話、互いの趣味の話、そして幼馴染だからこそできる昔話。
そうしているうちに、二人は十字路にたどり着く。すると突然、高橋のスマートフォンに着信が入った。
「ごめん、ちょっと出ていい? ボランティア活動やってるところからの連絡なの」
「いいよ。夏希姉、ボランティア活動かなり熱心にやってるもんな」
「やってみるとこれがなかなか楽しくって……、じゃあ行ってくるね」
近くにあった電柱まで高橋が駆けていく。それを見送った加納は、ふと周囲を見回した。辺りに人はいない。社会人たちの帰宅時間には少し早いが、それでも一人もいないのは不自然だ。
何か言葉にできない不安を覚えた加納は、思わず拳に力をこめる。突如、どこからか笛の音が聞こえてきた。
続いて、名状しがたき何かを暗唱する声。耳障りな女性の声。加納は思わず膝に手を突く。暑くもないのに額から汗がにじむ。
「なん、だこれは」
ふと、高橋のことを思い出し、顔を上げる。すると、数メートル離れたところに、パーカーを着た子供くらいの背丈をした人物が。フードを被っているため顔は見えない。
加納がその人物を警戒し、高橋の方を向く。彼女は電柱の傍にいた。目が虚ろであることを除けば、特に変わったところはない。
もっとも、彼女は加納が振り返る少し前に、手に持っていた石笛をハンドバッグにしまっていたのだが、それに加納が気づくことはない。
「夏希姉! なんか、なんかおかしいぞ。行こう。あそこにいるパーカーの奴、なんか怪しい」
加納はぼうっとしている高橋に駆け寄り、手を掴んで走り出そうとする。高橋は最初の数歩だけ、彼に引っ張られるまま歩くと、突如手を振り払った。
「夏希姉?」
加納が振り返る直前。高橋夏希は右手を天に掲げていた。そのはるか上空には、体長三メートルほどの巨大な生物がいた。一見蟻のようだが触角は短く、人間のような皮膚と目、爬虫類のような耳と口、肩と尻の付根辺りにそれぞれ鋭い鉤爪が付いた手足を左右2本1対ずつ持っている。背中にある翼は蝙蝠のようだ。
だが、彼は自らを醜悪な怪物が狙っていることなど知りもしない。高橋に手を振り払われたことを疑問に思いながら、彼女の方を振り返る。
その瞬間、高橋夏希は業火に包まれた。叫び声が上がる。
「やめろっ! 頼むからやめてくれぇっ!」
加納は思わず叫んでいた。パーカーの人物に向かって。
衣服や肉が焦げた臭いが周囲に漂う。彼の叫びが届いたのか、パーカーの人物は高橋に向かって手を伸ばした。その瞬間、地面で燃え盛っていた火が消える。まるで、最初からそこになかったかのように。
「夏希姉っ! 大丈夫か、しっかりしてくれ!」
加納は高橋に駆け寄る。彼女を抱き寄せ、具合を確認する。衣服は焼けただれているが、皮膚は赤みを帯びているだけのところが多い。だが一方で呼吸は浅く、今にも消え入りそうだ。
加納はスマートフォンを取り出し、一一九をダイヤルする。そして、顔を上げた時にパーカーの人物がまだそこにいたことに気づいた。
「お前、なんだってこんなことしたんだよ!」
目尻に涙を浮かべ、怒りと憎しみに任せて叫ぶ。耳には、無機質なダイヤル音だけが返ってくる。
「夏希姉が何をしたっ! この人殺し!」
パーカーの人物は微動だにしない。そのうち電話がつながり、オペレーターの声が聞こえてくる。
「はい。わかりました……。あれ? くそ、アイツどこに行った!」
数分後、オペレーターに事情を伝えた加納が顔を上げると、そこには誰もいなかった。
――続く
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