なにを考えたのかよくわからないが、深夜の通話中に私はビデオ通話にしようと提案した。

 これを読んでいる読者は絶対ロクでもない結果になることがおわかりだろう。

 結果から言うと、本当にロクでもなかった。ロクでもないことを、しでかした。

 私はSの顔の幼さに罪悪感を抱いた。こんな幼い子、職場のアルバイトの子に手を出しているようなものじゃないか。今まで文章のやりとりではSは年齢差を感じさせることはなかったから、そこを意識したことはなかった。複雑な感情にかき乱された。なにをしているんだろうと正気に返った。

 私は過去の事象から、私自身を性的にみる人に対して嫌悪感を覚える。婚約者は数少ない嫌悪感がほぼない人だ。Sにカメラ越しで直接的ではないにしろ、性的な目線でみられていることがわかって、私は正直引いた。自分で性的な話を持ち掛けることもあったのに、もっと言うなら自分からSを誘うような言動をしていたのに、自分勝手に自分の事情で、引いて蔑視を向けてしまった。いままで盛り上がっていた気持ちが自分のなかで冷めていくのがわかった。私はこれを恥じた。傷つけないよう悟られぬようにしようと思ったけれど、いったん気持ちが冷めてしまうと、離れたいという欲求がわきでてきた。

 私が私自身に性的な目線を向ける人を蔑視しているという話はしたくなかった。私が性的なことに瑕疵を抱えているのは、私の過去を知る者ならば思いつくことだろうけれども、私自身はそれを認めるわけにはいかなかった。私の弱みは晒さないでおきたかった。それに正直にそう伝えてしまったら、誘うような言動をした私が悪いことになる。私が悪いのはわかっている、けど、これ以上責められたくはなかった。だから、「Sの容姿が事前に交換していた写真と違った」という話にすり替えた。これはSに直接言わず、私の友達に愚痴のように言った。まるきりの嘘ではなかった。私は私を抱くはずもない異性の容姿なんかあまり興味はないから、とるに足らないどうでもいいことだったけれど、そう愚痴を垂れると気分が清々した。すごく女だ。

 そのあとも一回、ビデオ通話をした。

 このビデオ通話でどういう会話をしたのか細かいところは覚えていない。朝五時くらいまでやって、寝かしつけてから通話を切ったが、通話終了十分でSが起きだしてきたのは覚えている。

 それから。

 それから、いろいろやりとりをして、「彼氏とは別れてほしい」と言われたので、私と付き合いたいのか訊ねると「わからない」と回答された。私は「別れるとしてもSとは付き合わない」と告げた。このころの私はSに恋愛感情に似た想いを抱いているのに、彼氏と交際し続けていることに迷っていた。

 ある晩「刺し殺したいほど好き」とSが狂った。「きみを刺して、時間の許す限り、一緒に過ごすのは幸せかな」「ねえ好きだよ」「ほんとに好き」「やばいくらい好きどーしよほんとに好き」「だめだやばい好き刺したいかも」「気持ちで言うなら殺したいくらい好きだよ」「ほんとに殺してやりたいほど好き」「あー好き」「好きだな」「好き」「殺したいほんとに」「大好き」「好きって言えば言うほどもっと好きだよやだなぁほんとに」「本気で刺したくなっちゃうじゃん好きって言い続けてたら」「なんできみはぼくのことこれくらい好きじゃないの」「殺してやりたい」。

 これには恐れおののいたのだが、私と彼の間には五百キロ以上の距離がある。わけあって、バイトの給与を三万にセーブしているSが、新幹線乗り継ぎで殺しに来るわけがない。だから冷静に「好きだよ」「大好きだよ」で落ち着かせた。Sが言いたいのは「本気で好きになっちゃったのに、彼氏と付き合っているのはどうして、ぼくのこと弄んだの、ぼくのこと選ばないの」ということだったと思う。殺意を抱くくらい好かれているのは嬉しかったけれど、同時に、もう抱えきれなくなってきた。Sとどう離れればよいかわからなくなった。だからスクショを撮影し、友達に相談した。以降、友達が私にはわからないSの心理を説明してくれるようになった。私ではもうSがなにを考えてそういう発言に至ったのか理解できなかった。第三者であれば客観的にみて判断をくだせるのだろうけれど、当事者の私には難しかった。

 Sが別の女の子の話題を出してくるようになった。私はなんとも感じなかった。S自体には独占欲はなかったためだ。最初のほうにも「私ではSを救えない」と書いたとおり、「Sを救うのは別の人」と発言することもあったし、「好きな人と幸せになってね」と伝えることもあった。ほかの女の子の話題を出してきたことで、これで私のことはそんなに好きじゃなくなって、穏便に離れられるかもしれないと希望を持った。

 実家に戻って二週間が経過しようとしていた。週末、婚約者が買い物に行くというので、私もついていくことにした。腰はわずかに痛むが、外出には耐えるレベルにはなってきていた。帰りに家に買ったものを置いたとき、そういう雰囲気になり、セックスをした。そのとき、婚約者の姿にSが重なった。吐きそうになった。婚約者に対して罪悪感が募って、まともに顔を見ることができなかった。私は私自身に引いた。浅ましい、醜い、これは浮気だ、女のよくない性を感じる――自分自身を糾弾した。

 自分があまりにもSが好きすぎて怖かった。いつかSと交わした「チャットでここまで人を好きになれるんだね」という言葉が脳裏を駆け巡った。私は、その日、その話をSに話した。友達にも相談した。予想外にも二人には引かれなかった。Sからは「優越感。セックスしたことに嫉妬」と言われ、友達からは「人が人を好きなだけだよ。なにがおかしいの」と言われた。

 実感した。私はSが好きなんだ。自分の感情に驚いた。恋をしているんだ。間違いなく、恋をしている。

 でも婚約者がいる以上は、どうしようもないし、それ以前にSと付き合いたいという気持ちはなかった。

 Sは私より年下で、五百キロ以上離れていて、車すら持っていないし、あまり良くない事情を持っているし、感情の上下がきつい。婚約者は私と同い年で、すぐ会える距離にいるし、車は持っているし、フツーの人だし、感情の起伏はなだらか。話していて楽しいのはSだけど、結婚するなら間違いなく婚約者。ここ最近の私の頭を占めているのは結婚のことばかりだった。結婚指輪はもう買ってしまったけれど、本当に結婚していいのか考え続けた。Sと比べればなんだって婚約者が勝つ。けれど感情はどうしてSに傾くのだろう。婚約者のことはそんなに好きじゃないのか、別れるべきなのだろうか、と自問自答を続けた。

 考え続けながら、Sに「離れたい」と口にした。

 私はもう自分の問題と、Sへの感情で手がいっぱいで、Sの感情を慮る余地がなかった。

 後から推測するに、SはセックスしたときにSが想起されたのが嬉しかったようだ。直接的でないにせよ、そういうことを言っていた気がする。なおのこと「離れたい」と言ったことに腹が立ったのだと思う。Sの感情をかき乱す私の言葉に、ひどく侮辱された気がしたのだと思う。

 だから他の女の子の話題を、またさらに出すようになったのだろう。ほかの女の子の話題でのろけていても、私はどうでもよかったけれど、というかそちらのほうが安心できたけれど。友達には「Sを好きな感情は推し活に似ている」と話したことがあった。見返りはいらないのだ。ただ愛させてくれればいい。愛情のはけ口として私はSを求めている。自分勝手に私はSが好きだった。

 Sとのやりとりが気難しい感じになってきていた。ひとつ回答を間違うと、揚げ足とりされる、というふうに。

 もうそろそろ潮時だと思った。

 腰もだいぶ治ってきていた。二回目に医者に行った際に、また痛くなった時に来てくれということになった。

 タイミングよく、実家の洗濯機が壊れた。洗濯物が溜まっているので、急遽、家に帰ることに決めた。

「家に帰るね」とSに話して、ボイメのやりとりをした。「ばーか」と本当にバカにする感じで言われて、笑ってしまった。これまでボイメで「好き」だとか「ばか」だとかやり取りしたものは全部keepに保存していた。

 よく「婚約者がいるからSを一番にはできない」と話していたが、このときはもう「一番好きだよ」と伝えた。洗濯機を買いに行く最中、ずっと関係ないSのことを考えていて、いやその前からずっとずっとSのことが頭から離れなくて、私はSが大好きだった。自覚しているよりずっと、Sが大好きだった。

「刺し殺したいほど好き」と言われたのが感情のボリュームゾーンなら、これも次のボリュームゾーンだった。

 帰宅してからもSとはやりとりを続けたが、「彼氏にぼくとのことを言ってね」「彼氏に浮気をなんで隠そうとか思えるの? 面の皮が厚い」「悪いことしたくせに甘ったれないで」というような発言や私に暴力を振るいたいという発言が増えた。「殴りたい」「前歯欠けさせたい」「前歯欠けた私を彼氏の前に突き出して、お前のだろ処理しろよ、とか言いたい」というようなバイオレンスなことを言われた。

 Sにしてはめずらしく朝からそうやって絡んできた。私の寝起きは起立性調節障害と低血圧で気分が悪い。朝からそういう絡み方をされて疲れた。婚約者の元に戻ってから、Sへの恋愛感情は落ち着いていたため、ふつうに傷ついた。今ならば自分と同じように私に傷ついてほしかったのだろうとわかるが、Sの感情がそのときはわからず、友達に説明して嘆いた。Sは言葉が達者なので、相手している間は返答に必死になってしまって、本心を考える余地がなくなる。表面上の達者な言葉に私は騙される。私はSが傷ついているとも知らず、オプでできた頭の回転が早く口の回る荒らし友達にも愚痴を垂れた。昼の十二時を過ぎても絡まれていたので布団にくるまりながら呻いた。「ぼくの何が嫌なわけ」「何が足りないわけ」「どこがだめなの?」「なにが不満なの」と話はずれにずれまくって、欠点の話題に移動していた。もうまともに相手するのがだるかった。その質問に含まれる真意を、今の私ならば察するけれど、そのときは無理だった。私は夕方になって「私はSの気持ち以外、可愛いと思ってない」と返答した。さんざん交換した写真を「可愛い」などと褒めたたえたあとの告白だった。「Sの容姿が事前に交換していた写真と違った」という悪口と辻褄の合う告白。ビデオ通話である単語を口にしたのだが、その件を引き合いに出してSはキレた。一時間後にSの思い込みのすれ違いだとわかったのだが、それまでずっとキレ続けていた。Sは過去に、嫌な人をオプから退会させるため三十分その人にキレ続けたことがある。感情の起伏が激しいエピソードというよりかは、怒りの矛先を詰めるのが上手というエピソードになるだろうか。

「ぼくのほうから離れたら、きっときみは得意になる」と言われたが、その発言の意図は今の私にもわからない。

 というわけで私のスクショはここで終わっている。

 九月九日。私はその日、婚約者にSと連絡を取り続けていることを白状した。白状せざるを得ないほど、Sとのやりとりが苦痛で、現実に支障を及ぼすほど考え込んでしまっていた。

 婚約者に平手打ちされた。頬と顎全体が痺れた。

 Sに最後に通話をかけた。Sは出なかった。出なくて助かった。でなければ婚約者が電話口で問い詰めていただろう。私からの「ばいばい」がブロック前の最後の発言だった。あっけない。

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