あなたの行く先に幸せがありますように

待鳥月見

 私は近々、結婚するかもしれない。お相手さまと結婚指輪をオーダーまでしたので、それはもうするかもしれない、という予測の話ではなく、ほぼほぼ「する」のだ。

 その状態で、8月、私は別の男の子が好きだった。

 今日はそのことを書こうと思う。

 文章にすることでこの想いを留めておけるとは思わない。ただ限りなく私にとって至福の時だったから、記録として残しておきたい。恋愛をしているときというのは、かぎりなく至福で、高揚感があり、十代のころに戻ったような気分だった。


 私が彼と出会ったのは、LINEが提供するオープンチャットである。通称「オプ」「オプチャ」と呼ばれるそれらは、話題ごとに部屋が分かたれている。私がいるオプ界隈では時間があり精神に揺らぎの多い十代の少年少女が管理主となっているところが多い。私は統合失調症で頭をやってしまい、失業中の身なので時間がそれなりにある。それでオプ界隈をふら~っとしていた。

 オプ界隈というのは悩み相談や愚痴を吐露して慰めてもらったり解決策を提示してもらったりすることが多いのだが、若い世代の悩み相談に乗るのもなかなか楽しかった。私の人生経験が活かせたと思う。

 そのうちにとあるオプに入って、そこで目立つ男の子に出会った。

 仮にSとしておく。Sは美しい本名をオプで晒しており、歌がうまくて、独特の感情の起伏が文章から受け取れる十九歳の男の子だった。

 私はいつだって自己満足したがる。他人を使って自分が気持ちよくなることに躊躇いがない。私はこの子を利用した。統合失調症になって戸惑いながら結婚を目指し、けれども一方でそのストレスと空虚さに圧迫される、私の心の隙間を埋めるために利用した。「好き」「大好き」「愛してる」の言葉で篭絡して、相手の求めるものを与えるふりをしながら、その実、私の欲望を満たした。

 最初から書いていこう。

 そのオプに入ったとき、窮屈な想いがした。というのも、とある副管理人がものすごい量のノートを投稿しまくっていたからである。さらに副管理人・管理者権限を持つ人は、チャットの発言を跡形なく消去できるのだが、彼はこれも繰り返していた。自分の感情的な発言を消す、他者と自分のやりとりを消して最初から会話をなかったことにしてしまう、などわがままな使い方をしていた。

 その特権使い放題の彼が、Sである。

 オプはそのオプごとに色がある。私はそのオプの副管理人Sのことが怖かったしストレスに感じていたのだが、新天地を求めていたので、しばらく様子をみることにした。

 やってくる相談者の相談にのりながら、ふらふらと二週間ほど。

 深夜にSと会話することがあった。他愛もない会話だった。私からしてみるとSってそんなコミュニケーションとれたんだぁと驚くような、平凡な会話だった。それから数日、Sの急激なテンションの上下とオプの入退室を繰り返す行為を、私は私自身の言葉で咎めた。これまでSを観察してきて出た言葉だった。Sに反発されるかもしれないと考えたが、思うような反応はなく、Sは私と普通のテンションで言葉を交わした。

 そのときからSは「ちょっと気難しいけど、気安く話しかけられるやつ」にカテゴリされた。急に親しみを感じた。「好き」「大好き」それに類することを、チャットで言い募った。これは悪癖とも長所とも言える点なのだが、私は好意を率直に伝えることができる。臆することがほぼない。だから、オプの**人が見ることができるチャットでそういうことを言うのに、躊躇いがなかった。

 言葉の上ではSは好意に応えてくれたので、もうちょっと踏み込んだ遊びもした。性的な発言でからかったり、深夜のテンションで騒いだりもした。Sはだいたいついてきてくれた。

 私ひとりだけSに狂っているのではなくて、最低限一人は私と一緒にSを持ち上げる人がいた。多い時は五人以上いたかもしれない。オプはSに好意的な人ばかりだったので、Sのファンクラブ的なオプに見えなくもなかった。

 オプでは彼氏と同棲している、ということは最初から話していた。私が自分の話をするときは、彼氏のことを話題にあげることは多かった。

 たぶんこのころが感情などがお互いの関係に影を落とさずにいられる距離感で、いちばん楽しかったころだと思う。

 好意を口にしているせいか、私は日増しにSへの好意を大きくさせていった。就労を医者から止められており空虚な毎日だったのでオプが心の支えとなっていた側面もある。

 愚かにもSともっと親しくなりたいと思って、ある晩、Discordを交換してしまった。SはこのときまでDiscordは持っていなくて、私の申し出でアカウントを作ってくれた。意気揚々とDiscordでチャットし始めた。今はもう履歴も消し飛ばしたので見ることは叶わないのだが、「SとDiscordで話せるの夢みたーい」と無邪気に言ったのを覚えている。

 少しして、オプでまたSが抜けた。すぐに戻ってきたがなにかを言おうとして言葉がまとまらず、発言しては消しを繰り返していた。私は「言いづらいなら、私にだけ打ち明けごらん」と促した。Discordのチャットで「オプでの人気が誰かに移ってしまうのが怖い」とSは言った。意外だった。たった**人しかいないオプで人気に拘泥しているとは思わなかった。私はSを観察していて、簡単に推察することできることを指摘した。つまりは「Sは愛情を求めて同じところをカラカラ回っているように見える」と。回し車で走るハムスターをイメージしながら、そんなに深い意味を込めずに言った。けれども、Sにとっては違ったらしい。そのときの心境をSに直接訊ねることはもうできないのだが、ここから関係が少し変化する。なにかほかにもやりとりした気がするが、覚えていない。覚えているのは「(じゃあ)愛情をちょうだい」と言われ、「あげる」と返したこと。

 「チャット上ではどれくらいあげられるかわからないけど」とちゃんと断りをいれた。私と婚約者は毎朝キスを交わす。愛情を確かめあうためにセックスもする。チャットは明らかにそういった対面のコミュニケーションより劣る。だから「好き」「大好き」「愛してる」などを会話に用いても、このときはべつに浮気だという自覚はなかった。「私ではSを救えない」ということもはっきりとした言葉で伝えていたから。

 SとLINEを交換した。

 LINEを交換して三日目くらいで婚約者からキレられた。

 というのも、私がオプやLINEに気をとられて、婚約者が帰ってきたときに見向きもしなかった……というのが原因だ。そのときはSへの好意的な会話が、五人以上で行われて高速でレスが流れていく状況だったはずだ。幼児がおもちゃから目を離さないでいるように、オプの醍醐味である高速でチャットが流れていく光景から目を離せなかった。いまにして思えば、婚約者にとても悪いことをしたと思う。

 ともかく、婚約者からキレられて、SとLINEしているのも浮気だと指摘された。オプも退会してLINEもブロックした。「もうSとは連絡をとりあうな」と、婚約者は私に言いつけた。

 強い虚無感に襲われた。八月十二日。墓参りに行く最中ずっとSのことを考えていた。顔面蒼白な自覚があった。「捨てないで」というようなことを言われたのに「捨てないよ」と返した記憶。ブロックする間際、前後の会話は覚えていないが、「ぼくのものにならないならいらない」とも言われた。その言葉がぐるぐると脳内で回る。私はSのことを考え続けた。空虚な毎日に刺激を与えてくれたSという存在。私はSに途轍もない価値を感じていて、価値を持つSが接してくれることに意味があると感じていた。

 二日間、私は考え続けて、耐えきれなくなった。SにDiscordで連絡をとった。「返事はいらないから」と何度か挟みながら、気持ちを書き連ねた。「捨てないって言ったからには最後まで付き合うべきだよね」とか、そんな感じのことを書いた気がする。

 Sはそれに返事をよこした。怒っていなかった。三日前に別れたとき、Sは怒っていたのだが、その感情は引きずっていないらしかった。私は安堵して、けれど婚約者を裏切っていることに懊悩した。

 婚約者に秘密で連絡をとった翌日、腰をやってしまった。腰椎椎間板症。安静にするために私は婚約者と同棲している家を離れて、実家に戻ることにした。婚約者とは顔を合わせない気楽な生活。ここからSとのやりとりは密になっていく。というより、婚約者は平日、当然のように仕事だから連絡をとりあうわけにいかなかったし、夏休みの大学生くらいしか相手にしてくれなかったという表現が正しい。

 まあSは「おはよー」と朝十時に送っても返事がなく、二十三時くらいにいきなり自分の出したい話題で話しかけてくるくらい、コミュニケーションが一方方向な感じだったのだが。婚約者は私の言ったことに対しては絶対即レス、即レスができなくても休憩時間に絶対に返してくれるので、婚約者の愛情を感じた。Sは自分の気分のいい時にしか話しかけてこない。未読無視を平気でする。未読無視しながらオプで活動するのは当たり前だった。仕事で未読無視・既読無視するなと躾けられた私にとっては考えられない行為ではあるけれど、べつに他人にその行為がダメとか説くような真似をしようとは思わなかったため、私はなにも言わなかった。

 しばらくDiscordでやり取りをしていたのだが、ある日、深夜に外にいるというSに話しかけられた。Sには相談者の多いオプに在籍するに足る事情があった。それはここでは伏せる。ともかく深夜に外にいるというSに異常を察知した私は、心配して通話したがった。ここでLINEのブロックを解除する。通話したSは泣いていた。泣きながら「好き」、と言われた。なぜそれだけを覚えているのかといえば、あとから「泣きながら好きだって言った時点でわかってよ」と言われたからだった。私はこのときの会話はよく覚えていない。

 それからDiscordではなくLINEで会話するようになる。咎める人はだれもいない。前述したとおり、未読無視されまくっていたので病んだものの、大筋からみると別に大事なことではなかった。

 たまに未読無視されず長時間やりとりが続くことがあった。いつだったか、「Sに価値を感じる」と伝えた。Sは「きみがいるからぼくもそう感じる」と返してくれた。「私の全部をあげたら、Sの全部をくれる?」と訊ねると、「うん」と言ってくれた。幸せだった。

 そしてビデオ通話まで飛ぶ。

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