第16話 九里谷中央高校戦──終盤〈1〉
鬼神のごときナツの打棒が炸裂していても、ゲームの行方はいまだ予断を許さない。
彼女のツーランホームランに続き、五番清水にも待望の初ヒットが出たが後続が打ち取られて六回表は2点どまり。
その直後の六回裏に二塁打から送りバント、そしてスクイズで得点、と九里谷中央の下位打線に効率よくやられてしまう。
七回表の実郷学園の攻撃はあっさりと三者凡退、3―3の同点ではあるが、流れはわずかに九里谷中央へ傾きかけていた。
九里谷中央にとって一番打者から始まる七回裏は「ラッキーセブンになってくれ」と言いたくなる好打順だろう。
実郷学園の四番がナツなら向こうの四番も大黒柱の将野だ。ランナーをためて主砲まで繋げ、という気持ちは両チーム共通に違いなかった。
「頼むからストライクを先行させてくれよ、みーやん」
この回からは、墨井監督の命令で由良がベンチの最前列から配球のサインを逐一バッテリーに送っている。
墨井は勝利を追求するタイプの監督であると同時に、選手の自主性を重んじる姿勢もあわせ持っていた。
墨井いわく「言われたことだけやっとる奴は逆境に弱い」というのがその理由だ。
宮田―北条のバッテリーは練習試合でも何度か組んでいたが、やはり公式戦、それも優勝候補との大一番でとなるとかかるプレッシャーは桁違いだ。
何が何でも甲子園へ、と息巻く墨井がよく3イニング我慢したとみるべきだろう。
潰れる寸前の北条がこれで何とか持ち直してくれれば、とタケルや他の控えメンバーも必死の声援を送っている。
だがそうそう上手くことは運ばない。
宮田の投球数はすでに百球を超え、ボールのキレが少し落ちてきているのがベンチからでもわかる。
そこに付け込んでこないほど九里谷中央の打線は甘くなかった。
コントロールが疎かになったスライダーを先頭打者に痛打され、次の二番バッターにはまさかのバスターを決められて無死一塁三塁の大ピンチを招いてしまう。
ここからクリーンナップを迎える踏ん張りどころだったが、あろうことか宮田が投じた初球のシンカーを北条が大きく後逸してしまう。
ランナーはそれぞれ進塁し、九里谷中央が難なく勝ち越しに成功してなおも得点圏に走者が残る。
あまりにもあっさりと実郷学園は再度のビハインドを負ってしまった。
「くそっ、ままならねえな!」
ベンチの手すりを叩いて、苛立ちまじりの声を由良があげる。
こんな感情剥きだしの由良の姿は非常に珍しい。いつだってチームを明るく盛り上げ、士気を鼓舞してきた彼らしくない。
それほど自らがプレーヤーとして流れを変えられない現状へのフラストレーションが鬱積しているのだろう。
ベンチが静まり返る中、そんな由良をたしなめたのはやはり墨井だった。
「由良よ、捕手であるおまえが先に切れてどうする。チャンスであれピンチであれ、勝機は落ち着いてこそ見えてくるものよ」
墨井にしたっておそらくは内心穏やかならざる思いが渦巻いているだろうに、そんな態度はおくびにも出さないのはさすがに年の功か。
その墨井に背番号10をつけた三年生右腕の加藤が呼ばれた。確かに綱渡りを続けているような宮田がいつ決壊してもおかしくはない状況だ。やむを得ないか、と眺めていたタケルだったが、そんな彼にも墨井からお呼びがかかる。
「日比谷、加藤の投球練習はおまえが受けろ」
青天の霹靂とはこれか、それがタケルの最初の感想だった。そんな言葉を実感する機会など一生に何度もあるものではない。
もし北条が降ろされるなら、次に出るのは自分だと指名されたも同然なのだから。
実郷学園三人目の捕手としてベンチ入りしているのは経験を積ませるための一年生酒見だ。ここで出すのは荷が勝ちすぎている。
内外野どちらも守れるユーティリティープレーヤーとして自分が評価されているのはタケルにもわかっていた。
それでも、一通り基本を習得しているとはいえ、捕手のような専門的なポジションでこれまで頑張ってきた下級生を押しのけるような形になるのは本意ではなかった。
だが、勝つためだ。自分が勝利に貢献できるのであればそんな感情の小波など取るに足らないはずだ。
頻繁に四人目の捕手として投球練習の手伝いを行っていたおかげか、ベンチ内に「何でこいつが」という空気が流れないのはありがたい。
特に去年まではよく洲崎の自主的な投げ込みに付き合わされていたのをみんなよく知っている。
慌てて予備の防具をつけるタケルの元に、首を鳴らしながら加藤がやってきた。
「よっしゃ日比谷、ちょいとサインの打ち合わせもしとこうか。まあ、みーやんと違っていうほど球種もないんだが」
何種類もの変化球を自在に操る技巧派の宮田とは対照的に、加藤は上背はないながらも球威のあるストレートとタイミングを外すチェンジアップによる小気味いいピッチングを身上としている。
強いていえばタイプとしては洲崎に近い。
「そうですね、じゃあ二回目に出した指の本数でいきましょう」
タケルの提案に「おう、じゃそれな」と加藤は軽く頷く。
二人が揃ってグラウンドのファウルゾーンにある投球練習エリアまでやってきたとき、宮田は三番バッターに三遊間を破られてさらにピンチは広がっていた。
いい当たりだったために二塁走者はホームまで戻ってこられず、再び無死一塁三塁の形となる。
そして迎えるは前の打席でタイムリーヒットを放っている九里谷中央の主砲、将野。相手としてはまさに願ってもない打者に回ってきた。
九里谷中央応援団の大声援を受け、ゆっくりと将野が打席に入る。そして目の高さと同じ位置にバットのグリップを上げた。懐の深い、大きな構えだ。
ここでおれが決める。表情までは見えずともそんな気迫がタケルにまでひしひしと伝わってきた。
タケルとしては当然ながら試合に出たい。だが最優先するべきはチームの勝利であり、甲子園出場だという意識に依然としてぶれはなかった。
ここは何としても凌いでくれ、そんな祈るような気持ちでグラウンドを横目にタケルは腰を落とした。
今の自分の役目は少しでも早く加藤が登板できる状態に仕上げること、ただそれだけだ。
ぐいっと胸を逸らす力感あふれるフォームから加藤が投げこんでくる。できるだけ乾いたいい音が鳴るようなキャッチングでタケルは捕球した。
「今日の加藤さん、球走ってますよ!」
スタンドからの声援に負けないよう、大声で加藤に呼びかける。
「おっ、そうか? クリ中相手にもいけそうか?」
「もちろんです!」
タケルからの返球を受けた加藤は「よーしよし」と顔を綻ばせていた。
これでいい。加藤は考えこんで投げるときより、無心に投げているときのほうが明らかに被打率が低い。下手の考え休みに似たり、を地でいく人なのだ。
とにかく気持ちよく乗ってもらえれば、それだけをタケルは気にかけていた。
すぐさま二球目のモーションに入った加藤だったが、振りかぶったまま動きを途中で止めた。彼の視線は釘付けになったように真横に向けられている。
快音を響かせた将野の打球が右中間を真っ二つに割っていたのだ。
三塁側のスタンドから大歓声が上がるなか、三塁走者がまずホームイン、続いて一塁走者も還ってきた。
将野も痛んでいるであろう足で激走、二塁にまで到達する。
ぎりぎりのタイミングで二塁に滑りこんだ将野は、立ち上がる際に力強く拳をベースに叩きつけた。
そして九里谷中央ベンチに向かって鬼の形相で吠える。激しい闘志を剥きだしにしたその姿に、三塁側ベンチはお祭り騒ぎだ。
3―6。重い2点が九里谷中央に加わり、実郷学園はさらなる苦境に立たされた。
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