第14話 九里谷中央高校戦──中盤〈1〉

 墨井監督が九里谷中央を相手にして勝負にこだわるのは、タケルにも理解できないわけではない。

 去年、同じく九里谷中央戦の勝負どころで、エースナンバーを背負っていた洲崎は直球勝負を選択して散った。

 そのあまりにも「らしい」洲崎の敗れ方に、スタンドで喉が潰れるほど応援していたタケルは胸が塞がれたような辛さを感じたのを、ちょうど一年が経った今でも昨日のことのように覚えている。


 エースであった洲崎のプライドを重んじ、結果として敗戦になってしまったのは墨井の中で悔いが残っているのかもしれない。

 胸中は推し量るしかできないが、帰結として徹底した勝利への執着に繋がるのはタケルにも想像がつく。

 三回を終わってスコアは0―0、前年に似た試合展開は重苦しい雰囲気となっていた。しかも実郷学園はモデルチェンジした将野の前にまだ一人の走者も出せておらず、パーフェクトピッチングを許している。


「さーて、いっちょ難攻不落の壁に穴でも開けてきますか」


 四回表、先頭打者である一番の由良が普段通りの軽口を叩いてからバッターボックスに向かっていく。

 右打席で一礼した由良は「よっしゃこい!」の掛け声とともにバットを立てて構えた。上背はさほどないものの構えは大きい。

 しかしスイングは非常にコンパクトで、シュアな打撃をいつでも見せてくれる。


 その由良がベンチの期待に応えた。

 外角への緩いカーブから入ってきた初球、由良はコースに逆らわずお手本のような右打ちで一二塁間を抜く。

 スタンドもベンチも大いに沸くなか、実郷学園最初のランナーとなった由良だが、塁上でガッツポーズもなければ笑顔もない。

 これは監督である墨井の方針で、「喜んどる暇があったらひとつでも次の塁を狙え」という姿勢がチームに叩きこまれているからだ。


「さすが由良っさん、あの右打ちは職人技だよな」


 タケルのそばに寄ってきてそんな感想を漏らしたのは控え捕手の北条だった。

 タケルと仲のいい同学年の北条は同じポジションである先輩の由良に憧れていて、ミットなどの道具類もわざわざ由良と同じメーカーで揃えるほどの心酔っぷりだ。

 タケルはそんな北条に頷いて同意しながらも、ちらりと監督の様子を盗み見る。

 ライト前に弾き返したとはいえ、由良は監督の待球作戦をまるっきり考慮せず一球目から振っていったのだ。

 しかし墨井に表情の変化は見られない。

 自分に従わなければどんな結果であれ責めたてる、チームの監督がそんな狭量な男でないことはタケルも承知していた。

 ただ先ほどの墨井とナツのやりとりがあった後だけに、どうにも意識が過敏になっている。


 ノーアウトでランナーが出た場合、墨井のとる作戦はほぼ送りバントで決まりだ。

 犠打を絡めた手堅い攻撃と鍛え抜かれた守備、それこそが墨井野球の真骨頂であり、県内の高校野球関係者から例年「波は少ないが爆発力に欠けるチーム」ばかりを作ってくると評される一因でもあった。

 だが将野から大量得点など望めない以上、この場面のファーストチョイスはまず送りバントで間違いない。

 墨井から由良への盗塁ないしヒット・エンド・ランのサインは出ておらず、左打席に入った久枝もすでにバントの構えをみせている。


 大きめのリードをとる由良を牽制してから、将野は直球をバッターの胸元へ投げこんできた。

 実郷学園が誇るバント職人の久枝はのけぞりながらさっとバットを引くが、球審の右手が「ストライク!」のコールとともに上がる。


 二球目、セットポジションからの将野のボールは外角への縦のカーブだった。

 今度は久枝もきっちりとバットに当てて打球の勢いを巧みに殺す。

 弱々しく三塁線に転がったボールに向かって九里谷中央のサードが猛然とダッシュしてくるが、そんな彼に将野が大声で叫ぶ。


「捕るな!」


 まるで「だるまさんが転んだ」のようにぴたっと動きを止めた三塁手は、そのままの姿勢で打球の行方を見守る。

 ボールが三塁線上からファウルゾーンへと切れた瞬間、彼がさっと拾い上げた。

 判定はファウル。これで久枝はツーストライクと追いこまれてしまい、次が後のないスリーバントとなる。

 しかし墨井はサインを変えない。たとえスリーバントになっても久枝の技術を信頼して任せるみたいだった。

 もう一度牽制をはさみ、将野は三球目を投げる。インハイへのストレート。久枝は果敢に当てにいくが、無情にも打球は小フライとなってしまった。

 フェアグラウンドでキャッチャーがつかみ、進塁ならずで一死一塁へと局面は移る。

 いつも寡黙で無表情な久枝がこのときばかりは悔しさに顔を歪めていた。

 この試合における先制点がどれほど重要かを理解していたからだ。

 ベンチに戻ってきた久枝は真っ先に墨井監督のもとへいく。


「申し訳ありません。初球と二球目で仕留められませんでした」


 頭を下げる久枝に、怒りを露わにすることなく墨井が言った。


「最後のボールは?」


「動きました。それでつい迎えにいく形となってしまって。自分の印象ではおそらくツーシームかと」


「また厄介なもんを投げてきよるな」


 舌打ちでもしそうな調子で墨井がぼやく。

 同じストレートでもボールが一回転する間に縫い目が四度通過する握り方がフォーシーム、二度の通過ならツーシームとなる。

 よりバックスピンのかかりやすいいわゆる普通のストレートであるフォーシームに比べ、ツーシームは打者の手元で投手の利き腕側へと少し沈む変化をみせる。

 左打者の久枝がボールゾーンからストライクゾーンへと入ってきた球に慌てて対処した結果、本来なら引きつけてバットの芯を外すはずが、自ら当てにいこうとしたためにフライとなってしまったわけだ。


 続く三番の三津浜も簡単に二球で追い込まれた。初球にバントを失敗し、二球目はストライクを見逃し。

 三津浜には久枝ほどのバント技術はないため、墨井はサインを切り替えてヒット・エンド・ランのタイミングを計っているが、将野がなかなかそれを許してくれない。

 執拗な一塁への牽制と、その巨体に似つかわしくないほどのクイックモーション。ここまで毎試合盗塁を記録してきた俊足の由良も将野の巧さに手を焼いている。

 結局三津浜はひとつボール球をはさんだ四球目、真ん中高めややボール気味の釣り球に手を出してあえなく空振り三振。

 だがタケルは「併殺にならなくてよかった」とむしろほっとした。大事なのはどの塁であれ、ナツの前に走者がいることなのだから。


 相変わらずのスタンドからの拍手に迎えられ、ナツは淡々と打席に入る。

 さきほどナツは「打てる」と言い切った。

 タケルの知るかぎり、彼女がそういった類の宣言をして失敗し、すごすごと引きあげてきたことはただの一度もない。

 マウンド上の将野が帽子をとり、丸刈りの頭から滴り落ちているであろう汗を袖で拭った。それから大きく息を吐く。

 やはり将野は打者としてのナツを強烈に意識している、いったん仕切り直したその行動にタケルはそう確信した。

 たとえ練習試合とはいえ、三本ものホームランを許した相手なのだから。


 ナツの一打席目と同じく、九里谷中央の守備位置は全体的に右寄りのシフトとなっていた。レフトが左中間の真ん中、センターは右中間寄り、ライトはほぼライン際。いずれの外野手も相当に深い位置で守っている。

 ナツシフトとでも呼ぶべき陣形だ。

 将野はまた一塁走者の由良を牽制し、それから間を置くことなくクイックで初球を投じた。

 外角低めへ、幅こそ小さいが鋭く縦に落ちるスライダー。


 今日二度目となる二人の怪物の対決はこの一球で決した。

 力強く踏みこんだナツのバットは最短の軌道でボールを捉え、痛烈なライナーとなった打球は右寄りに守っていたショートの左を抜けていく。

 ナツにしては珍しい流し打ちだ。

 左中間にいたレフトも追いつくことができず、球足の速い打球はあっという間にフェンスにまで到達した。

 二塁はとうに回った由良が三塁を踏む手前のタイミングで、外野まで中継に入ったショートへとボールが渡る。三塁コーチャーは両手を広げて制止していたが、しかし由良は迷わず三塁を蹴った。


 九里谷中央はさすがに無駄のない中継プレーをみせ、由良の本塁生還を阻止しようとボールをホームまで素早く戻してきた。

 一方の由良は躊躇することなくキャッチャーが死守するホームベース上へとそのままのスピードで足から突っ込んでいった。

 非常に際どいタイミングのクロスプレーとなったが、球審の手は横に開いた。


「セーフ!」


 ホームインが認められ、実郷学園は待望の先制点を力ずくでもぎ取った。

 その間にナツは快足を飛ばし、抜け目なく三塁を陥れる。

 期待に応える形での巧打と好走塁、チームの主軸である二人の活躍に一塁側ベンチは大いに沸き返った。

 それぞれ近くにいる選手とハイタッチを交わし、絶対王者相手に先手を取って優位に立った喜びを表現している。

 一見厳しい表情のままの墨井ですら、手には小さな握り拳が作られているのをタケルは見逃さなかった。

 タケルも「ナツが打った!」とそこらじゅうを跳ね回りたい気持ちをぐっと抑え、思いっきり両手を突き上げるに留めておいた。


「やったなタケル! とうとうウオッカの本領発揮だよ!」


 隣にいる控え捕手の北条も、何度もタケルの背中を叩いて得点を祝う。

 しかし実郷学園が喜んでいられたのはそこまでだった。殊勲の二人がいるグラウンドでは異変が起こっていた。

 ブロックを恐れない見事な走塁を披露したはずの由良が、スライディングで滑りこんでから立ち上がることなくうずくまっていたのだ。

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