4章 灼熱の裁定者~虚構任務

 思い出に浸って

「おはよう。バカ弟子」


 伏せていた顔を起す。

 膝を折り曲げて座り込む、私の前で美しい女性が笑っていた。

 薄紫の髪に、曼珠沙華が描かれた振袖。

 胸や首だけを守る鎧。


 もう、この世には存在しない女性。


「師匠……どうして、ここに?」


 女性――否、シデンは膝立ちとなり、私と視線を合わせた。


「どうしてって……私は、ずっとここに居たよ」

「ここ?」


 そして、胸に手を当てる。

 丁度、因子がある位置に。


「アステル。お前はよく頑張っているよ。ずっとお前を見てきた私が保証する。それでもさ……少し無茶しすぎじゃないのか?」


「無茶しなきゃ駄目なんです。だって、私は何も持っていないから。何もなければ何も守れません。ルイーズだってシドがいたから助かっただけですから。私一人では何もできませんでした」


「だから、お前は自分を追い詰めるのか?」


「はい。もう痛いことも、苦しいことも慣れました。もう……」


 両目から涙が溢れる。

 胸の奥から、やるせないような、悔しいような、そんな感情が溢れてくる。嗚咽が漏れそうになった、その刹那。


 パシッという乾いた音と共に、右頬に鋭い痛みが走る。

 シデンにビンタされたのだ。


「あのさ、そうやって力ばかり渇望していると、因子に侵食されちまうぞ。もっとシャキッとしろよ。私の弟子らしくないな」


 シデンにビンタされる。これは初めての経験だ。

 紫電の裁定者ラプトールたる彼女の訓練は、もはやスパルタとしか言いようがなかったが、こうして暴力を振られることは初めてだった。


――要するに、今の師匠は本気で怒っている?



「外で誰かが、お前を待っているぞ。さぁ、行ってこいよ。バカ弟子」


 シデンの髪に閃光が走る。

 まるで霹靂のように。


「はいはい、分かりましたよ。バカ師匠」





 耳元にアラーム音が響き渡る。

 閉じていたまぶたを上げて、音がする方向を確認してみれば、犯人は目覚まし時計であった。

 手を伸ばしアラーム音を止める。


 そして、簡素なベッドから降り、素早く制服に着替える。

 壁に付けられた姿見に映る部屋の内装は、至って簡素であり、もし囚人の部屋だと言われても疑わないであろう。


 一日中、真っ黒な窓の外と、完璧に調整された空調のせいもあり、長時間この部屋に滞在していると、気が狂いそうになる。

 これが帝国の審問官用にもうけられた仮眠部屋だという事実が信じがたい。


 顔を洗い、一通り身支度を終えると扉の外から声が響いた。


「審問官様。お迎えに上がりました」


 扉を開き、外に出ると、そこにはルイーズと私の小隊に属する青年が一人立っていた。正面に立つ青年は、狐のような耳が生えた可愛らしい見た目とは裏腹に、氷のように冷たい視線をこちらに向けている。

 対して、ルイーズはいつもの如く、満面の笑みであった。


「待たせて、すまない。行こう」

「はっ」


 戦艦の端にある審問官用の仮眠室から出て、そのまま中央にある会議室へ向かう。今日は初めて審問官の定例会議に参加する――すなわち、顔合わせをする日だ。

 緊張のあまり、心臓が飛び出しそうになる。


 無機質な黒色の壁に包まれる廊下を歩いていると、隣から艶やかな女性の声が響いていきた。


「まぁー、可愛らしい新人ちゃんね」


 隣へと視線を移すと、身長二メートル程の巨大な女性が隣を歩いていた。海藻のようにゆらめく緑の髪に、巨大な鹿の角。

 見たことが無い種族だ。どこの惑星から来たのだろうか?

 極めつけは彼女の服装。制服を着崩すどころか、胸元が第一ボタン以外全開なので、色々危うい服装になっている。

 いや、そもそも彼女の体型からして、ボタンは、しめられないのであろう。


「可愛すぎて、いたぶちゃったら、すぐに死んじゃいそう」


「いたぶる……?」


 彼女の口から飛び出た衝撃的な言葉に、思わず背筋に悪寒が走る。


「あらら、怖がらせてごめんなさいねぇ。ワタクシ痛いのが好きで、痛めつけるのはもっと好きなの」


「はぁー」


 女性の言っていることは理解出来ないが、とりあえず関わらない方が良い人であることは容易に分かった。謎の女性が、私の物より、はるかに大きい歩幅で、こちらを追い抜かそうとすると、女性の後ろから小さな少年が顔を出した。

 少年の髪は羽毛のようになっており、耳は妖精のように尖っている。

 こちらも見たことがない種族であったが、制服の徽章からして、彼も審問官なのだそう。


「ワルプルギス姉さん。こいつルナベルの娘だよ。関わらない方が身のためだと思うけど」


 こんなに小さい子供まで審問官をやっているのか……?


「まぁ、ジュナちゃん。そんな事言わないで。後輩には優しくしないと」

「ちぇっ、何が後輩だよ」


 ワルプルギスと呼ばれた女性はジュナという少年の頭を撫でてから、ニッコリと微笑む。


「挨拶が遅れたわね。私は帝国審問官第三位ワルプルギスよ」


 第三位。つまりこの女はルナベルより階級が高い審問官だ。


「えぇ、こちらこそ挨拶が遅れました。私は帝国審問官第十二位アステルです。えーと、よろしくお願いします」


 深々と礼をし、顔を上げると、ワルプルギスは私の頭を優しく撫でた。


「期待しているわよ。せいぜい長生きしてね。アステル……いえ、E12」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る