人魚のお姫様
陸地の殆どが水に覆われた惑星フランドレア。聞くところによると昔は陸地面積が多かったらしいが、今では原住民による環境破壊によって海の惑星と呼ぶべき場所へと変わってしまった。
端的に言うと温暖化の影響である。
そんなフランドレアを覆う海面の中に、人工的な建造物が集まる場所が一つ。オーウェル研究所だ。
穏やかに波打つ海面と対照的に、漆黒の建物が幾重にもそびえ立つ研究所は、突然花園に降り立った死神のように見えた。
しかし、最初から建物自体が漆黒だった訳では無い。
元々は近未来的な純白の建物だったらしいが、今では帝国のシンボルカラーである黒一色に塗りつぶされていたのだ。
「海姫の童話に出てきそうな風景ですねぇ」
「ほう。その海姫の童話とは、子供に聞かせる類いの物語か?」
窓から海が見渡せる廊下を歩いていると、同行してきたルイーズが歓声を上げた。
当初、彼女にはお留守番してもらう予定だった。
しかしルイーズからは「不器用なアステル様が運転したら、宇宙船がドッカンしますよ!」と言われ、仕方が無いので運転手として連れてきた。
正直ルイーズだけには言われたくない。
アポ無しで研究所まで来てしまったが、不幸中の幸いか通りすがりの警備兵に「おい。そこのお前、何をしている?」等の質問をされることは無かった。
「えーと、この話を子供に聞かせるかどうかは――親御さんによると思います」
「何故だ?」
「この話バッドエンドなんですよぉ。だから子供の夢を守るためには聞かせない方がいいって――」
「お母様も昔は色んな惑星の御伽噺を聞かせてくれたが、その中にはバッドエンドを迎える物語も多かった。そして最後にこう言うんだ。『アステル。これが現実なのよ』と」
「わぁ、子供の夢を踏みつけてから原子炉に投げ込むような暴挙……」
みるみるうちにルイーズの顔から血の気が引いてゆく。
いや、流れている血が無いけど。
「それで、その海姫の童話とやらはどのような話だ?」
「うーん、短くまとめますとねぇ……人間に恋をした魚のお姫様が
「聞く限り子供の童話らしいメルヘンチックな物語に聞こえるが?」
「それがですねぇ。物語の最後に王子様は他の女の人と婚約しちゃうんですよ」
「ほう?」
「そして、お姫様は
「とんだマジックアイテムだな。結局お姫様はその短剣を使ったのか?」
「いいえ。結局、お姫様はその短剣を自身に使いました。王子様の幸せを願って海の泡沫となったのです」
ふむ。確かにこの話を子供に聞かせたくは無い親御さんは多そうだ。
少なくとも『自己犠牲』という言葉を毛嫌いしているルナベルが聞かせることは無いだろう。
「ルイーズがもし海姫様であったならば、その薬が欲しいか?」
「えぇ、欲しいですよ。私の場合『尾ひれに代わる足』では無く『ハート』です」
ハート? 心のことか?
さて、無機物である彼女にとって心とは何か――。
そうして、あれこれ思考を巡らせていると、背後から懐かしい男性の声が響く。
「チッ、誰かと思えば生意気な小娘とおしゃべりな機械かよ」
いつの間にか背後でこちらを観察していたのは見覚えのある男性。
二メートルを超えるであろう巨体。赤黒く染まった左手。
私がルナベルの養子となった際、呆れ半分でこちらを眺めていた男。ブラフマだ。
「お久しぶりです。審問官第四位ブラフマ様」
「あぁ、こうしてまた会えるとはなァ。てっきりお前はもうくたばっちまったかと思ったよ」
「おや、残念ながら私はピンピンしておりますよ」
返答を聞いたブラフマは腹を抱えながら笑う。
「そうかい。それにしても、あんなにチビだったくせに、でっかくなったナァ。どうだ、態度だけじゃなくて中身も成長したかァ?」
「はい、昔よりは」
「ホォ、それは良いことだ。でも、まだ俺達に生意気な口をきく権利は無い。お前はまだ誰かの助けが無ければ生きられない。無力だなァ。惨めだなァ」
挨拶をした時のこちらを心配しているような態度から『この人も完全な悪人では無いのでは?』と考えたが、前言撤回させて頂きたい。
師匠さえ居ればこの人の顔面に一発パンチをかましてくれるのに。
皮肉でも返そうかと口を開くと同時に、彼の頭上から泣き声が響く。
「キューイ!」
何事かと思い彼の頭上を見ると、そこには犬と狐を足して二で割ったような白いモフモフが居た。
――え? この人に小動物を飼うような趣味があったの?
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