第38話 さよならとありがとう

「あー、流石さすがにこの高さからだと死んだかあ。素直に俺に殺られたら良かったのに、誠に残念っす」


 俺、遠藤えんどうは煙草を吸いながら落ちていった先に目をやる。

 分厚い雲と降り注ぐ雨の影響で吉田よしだの成れの果ては分からない。

 だが、下はアスファルトの固い道路。

 7階建ての屋上から飛び降りて、無事に助かったという例は聞いたことがない。


 邪魔者が消えてせいせいしたのか、俺は苦笑しながら煙草を床にもみ消す。


「後は荻原おぎわらに関わる人間を全て罠にハメて、この俺が一番偉い男というのを見せつけてやんよ」


 俺はまさにこの国の王になったような気分だった。

 空は冷え、所々に雪が混じる。

 俺の心もみぞれのように冷え切っており、人を殺めることも何とも思わない。


「残念ですが、そう簡単に良い方向に向かうでしょうか」

「なっ? 俺とあれだけ共同作業をやって来て、今さら裏切るのか?」

「確かに沙優さゆを取り返したい相談はしましたけど、危害をくわえてとは言ってませんよ」


 一緒に計画を練っていた沙優のお兄さんが、俺に向けて皮肉な意見を口にする。

 それに加えて最高に良かった俺の機嫌がみるみる悪くなっていく。


「それにバックアップしてくれるスポンサーはわたくし以外にもう一人いるのでしょう?」

「何だって!?」


 こんな急展開、誰が予測したか。

 お兄さんに意表をつかれた俺は駆けつけた相手に対して、真っ青な顔色になる。


「あははっ。遠藤のおじさん、だからもっとセキュリティがしっかりした相手に頼めっていったじゃん」


 親による金持ちの道楽で、好き勝手に生きている結城ゆうき家の娘であるギャル系の女子高生。

 お兄さんだけではなく、彼女にもお願いし、特殊メイクなどの変装道具の手はずを整えていたのだ。

 その裏切り者……いや、こんな幼稚な計画なんて、結局はバレるものだろう。

 でもそこがウケ狙いと勘違いしたあさみが笑いながら、目元の涙を指で拭う。


 ちなみに入れ違いで矢口やぐちはコンビニの業務へと戻っていった……。


「あさみ、こうなることを読んでいたんっすか?」

「元より何も沙優チャソのアニキは最初から何もかも知ってたよ」

「えっ、マジ凹むっすね……」


 所詮しょせん、俺ごときでの単純な作戦では隠し通せなかったようだ。

 地面にひざを下ろし、大きく頭を抱えたままで……。


「おーい、吉田っち無事かあ?」

「ああ。いい感じに助かったよ。ありがとなー!!」


 あさみが下に向かって呼びかけると、それに応えるように大きな返事が返ってくる。

 大きな感謝の言葉からして、吉田は元気そうで、沙優が事前に用意していた折り畳みの黒いトランポリンの上で大きく跳ねていた。


「こんの通り、アンタの起こした問題は全部白紙に戻したさかい。ざまあなさい」

「く、クソッ! このアマめがー!」


 面目丸潰れの俺は苛立ち、あさみに対して暴言を吐く。

 相手が女性だろうと俺にとっては都合の良いコマだったが、こうまで茶化されて黙ってるわけにもいかない。


「だったら計画は変更するっす。目の前のお前から片付けて」

「うおっ!?」


 あさみに続き、後から来た沙優に手をかけようとした直後、片腕を掴まれ、俺の大きな体が軽々と宙を舞う。


「片付けてどうするんだっけ?」

「イツツ……お前、護身術ができるんすか!?」

「吉田さん直伝だけどね」


 綺麗なフォームで投げ飛ばされた俺は腰に手を当てて、ゆっくりと立ち上がる。

 固い床に直に投げられたせいか、腰を痛めたらしい。


「遠藤さん、今ならやり直しがききます。これに懲りたら、無闇に人を傷つけるのをやめて下さい」

「そうですよ。沙優の言う通り、君はまだ若いのですから」


 沙優兄妹が揃って思いを述べる。

 同じ血筋だけあり、考えた結論は同じようだ。


「若い? この俺が?」

「きゃっ!?」

「笑わせてくれるっすよね。もう俺は20歳は過ぎているっつうにー!」


 考えずとも単純明快な話だ。

 沙優が駄目なら他の女を拉致すればいい。


「こうなったらあさみは俺の人質だ。沙優が俺のものにならないなら、この女は刀の餌食だ!」


 俺は確信していた。

 この俺の策略はマニュアルと同時ではなく、何もかもが臨機応変で完璧だと……。


「ふがっ?」


 そこへ俺の顔面に見事にぶち当たる手の平サイズで陶器のツキノワグマの置き物。

 突然の攻撃も理解できないまま、そのまま鼻血を吹いて視界が黒くなった……。


「──誰が餌食なのかしら?」

「うわっ、後藤さんもえげつないですね……」


 ──物を投げつけた後藤さんに対して、私はえらく犯人を気遣っていた。

 そんな甘さがあるから、三島さんは仕事もこなせないのよと後藤さんに小言で注意されながらも……。


「三島さん、正当防衛ってご存知かしら?」

「あのですね、こっちから手を出して言う台詞ですか……」


 後藤さんが転がっていた置き物を拾い上げ、つまらなそうに遠藤を見る中、私は彼を介抱する。


 同じ会社での上司と部下の関係。

 このことが原因でトラブルの元となり、何かあってからでは遅いのだ。


「あー、どうします? 遠藤、完全にのびちゃいましたよ……」

「全く、最近の男の子は根性がないわね」

「いや、顔面KOで根性とかいう問題じゃないですよ……」


 私は遠藤を床に寝かせて、救急車に通話

をする。

 その雰囲気の中、後藤さんは缶ビールを飲みながら余韻に浸っていた。

 どうやら酒に酔った勢いでの行動だったらしい……。


****


 ──翌日の朝、いつものように吉田さんの家で寝泊まりした私はリビングで焼き立てのトーストをかじっていた。

 昨日までのぐずついた天気が一変して晴れて、絶好のお出かけ日和だった。


「──さて、これで全て終わったな」

「うん」

「沙優を脅かす者はいなくなった。今度こそ、お前はもう生き死にに戸惑うことはないんだ」

「うん、ありがと」


 吉田さんが目玉焼きの半熟な黄身の部分を箸で摘んで一口で頬張った。

 なぜだろう、私流の食べ方を真似る吉田さんが本当の恋人のように思えてくるのは……。


「それに北海道にも帰れるしな」

「吉田さん、私はまだそんな気分じゃ……」


 正直、この家の居心地が良くて、吉田さんとこれからも暮らしたい。

 頭の中では帰りたくない気持ちで一杯だ。

 だけど吉田さんは頑なに、この純愛な想いを遮ってくる。


「沙優、親の好意を無駄にするな。お前は何とも思われていないって言っていたが、我が子を卑下にするような肉親なんていない」

「そうかな……」

「ああ、だから苦手だと親を突き放して生きるな。親に甘えられるうちは存分に甘えろ。お前は社会から見たら、まだ弱い立場の女子高生なんだから」

「うん……」

「だからここでお別れだ」


 吉田さんが私の体を優しく抱き締める。

 恋人同士ではなく、海外では当たり前の友達の印のハグを……。


「ありがとう。俺の大好きな沙優」

「えっ?」

「きちんと学業を卒業し、いいとこの会社に就職して、金を稼ぎ、とびっきりのいい女になったらこの場所に戻ってこい」

「それって……」


 どこをどう捉えても、私に対するプロポーズだよね。


「オッサンは一足先にここで待ってるからさ……」

「うん……。待っててね……」

「泣くなよ。今生の別れじゃねーんだから」

「そういう吉田さんだって」

「ああ、俺のは寒暖差アレルギーだからな」

「何、その言い草w」


 私は吉田さんにお礼をし、外で待っている兄さんの車に向かう。

 そんな中、私と兄さんを見送ってくれる吉田さんは泣き顔も見せず、始終笑顔だった──。


 吉田さん、あの日、行き場のない私を拾ってくれて、本当にありがとう……。

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