第36話 同居生活の終わりと秘められた作戦

『──ピンポーンー♪』

「ちっ、こんな時間になんだよ」


 ──午前10時前。

 今日は夕方から出勤の要請だから、昼過ぎまで惰眠を貪ろうとしたらこれだ。


『ピンポーンー♪』

「分かったよ。出ればいいんだろ」


 俺が居ると分かってるだろうにわざとか?

 何度も鳴るインターホンに苛立ちながらも黒いジャンパーを着て、玄関に向かう。


 リビングのテーブルには沙優さゆが作ってくれた目玉焼きにサラダという朝食が置かれていた。

 トーストとコーヒーは冷めると美味しくないので自分で作るというスタンスだ。


『ピンポーンー♪』

「ああ、そんなに鳴らすなよ。寝不足の頭に響く……」


 昨日、中々寝付けなくて、結局深夜まで寝れなかったんだよな。

 やっぱり先に風呂入ってでも、晩飯は21時までに済ませとかないとな。

 胃がもたれて寝れやしない。


『ピンポーン♪』


 ぐっ、腹立つな。

 どんだけチャイムを鳴らせば気が済むんだ。

 近所迷惑だし、ちょっと一言注意しとかないとな。


「おい、誰だよ。朝は忙しいんだから来るなら、電話してから来いって……」


「──うっ!?」


 玄関のドアを開けると同時に威圧感のある相手に尻込みする。   


 黒いスーツに黒いウルフカットの若い男。

 横にはサングラスをかけたスキンヘッドの男もいて、俺は一瞬動きが止まった。

 体格の良いボディーガードに怯んだわけじゃない。

 俺の目の前にいる若い男の堂々とした立ち振る舞いにだ。


 口は弧を描いて微笑んでいても、鋭いつり目の眼光に飲まれてしまいそうだった。

 俺よりも少し背が高いせいか、立ってるだけでも迫力がある。


「……え、何か用で?」 


 まるで男が百獣の王のライオン、俺がウサギと亀のウサギになった状況で、俺は思わず出かかっていた言葉を詰まらす。


「こんな朝の時間帯に失礼いたします。この時間帯でないとじっくりと会話もままならないと思い、こうして私直々にやって来たのですが……」


 ごく自然体を装う男が背広の胸ポケットから名刺ケースを出し、ご丁寧に頭を下げて手渡してくる。


「ご紹介が遅れて申し訳ないです。わたくし、おぎわらフーズの代表取締役社長の荻原一颯おぎわらいっさという者です」

「はぁ……荻原ねえ……」


 俺は何気なく名刺に目を通しながら、バイト中の彼女の姿が脳裏に浮かぶ。


「えっ!?」

「あなたのお察しの通り、荻原沙優おぎわらさゆの兄でもあります」


 長いようで短かった沙優との同居生活の終わり。

 相手が親ではなく、兄だったことが意外だったが、ついにこの時がやって来たんだ。


「今日は沙優を引き取りにお伺いいたしました」

「そうですか。でも沙優はバイトで外に出ていて」

「居候な上にバイトですか……」

「強制はしてません。彼女が自分で決めたことですから」

「なるほど。あなたは沙優の想いを尊重しているのですね」


 お兄さんがもう一度頭を下げながら、沙優が起こした失礼を詫びる。

 人を動かす社長の座に就いてることだけあり、常に礼儀正しい人だ。


「あの、ここじゃなんですし、暖房の効いた家に上がって話しませんか」

「お気遣いありがとうございます」


 こんな北風の吹く玄関先で話せるような内容じゃないだろう。

 平な会社員でもある俺はお兄さんを家に上がらせた。


****


「さてと……」

「どこかにご連絡でもするのですか?」


 俺が持ち前のスマホを手にすると、お兄さんが不思議そうに問いかけてくる。


 突如現れてインターホンを何度も押し、安眠妨害もしたんだ。

 とりあえず逃げられない家に入れ、不審者扱いとして警察に電話するのかと勘違いしたらしい。


「会社にお休みを取るんですよ。こんな状況下で呑気に勤務するわけにはいかないですし」

「それもそうですね。ご配慮が足りなくてすみません」

「お兄さんが謝ることじゃないですよ。これは俺の責任でもありますから」


 家に招いておいて立ち話もなんだろう。

 俺はインスタントのコーヒーを淹れ、お兄さんをリビングの椅子に座らせた。


****


「吉田さん。今まで沙優を匿ってくださり、ありがとうございました」

「いえ、いずれあのままだと凍死になるところでした。人として弱い人を助けるのは当たり前かと……」

「しかしどんな男と生活してると思いきや、変な環境下でもなく普通の家ですし、沙優を本当に大事にしてくれ、それにやましい関係もないと知って驚きました」

「この歳にもなって性犯罪で人生を棒に振りたくないですからね」


 俺を人生の先輩と思い、頭が上がらないのか……常に敬意のある言葉遣いだ。

 色々と癪に触る喋り方だけど、このお兄さんは沙優の味方のポジションなんだな。


「ハァー……」

「これだけの期間、女子高生に家事だけをやらせて匿うなんて逆に異常さを感じますが……私としても何とお礼をしていいものか」

「別に普通ですよ。俺は弱い身分の彼女を救ってあげたかっただけですよ」

「世の中が吉田さんみたいな人ばかりだと、変に気苦労もしないのですが……」


 お兄さんがコーヒーを口に含み、朗らかに笑いかける。

 沙優が何ごともなく、無事だったことに気が緩んだのだろう。


『バアーン!』


「はあっ、はあっ、吉田さん! 一颯兄さん!」

「「沙優!?」」


 俺とお兄さんの驚きの声が綺麗に合わさる。

 玄関のドアが乱暴に開き、血相の色を変えた沙優がリビングに滑り込んできたからだ。

 髪はボサボサで着衣は乱れ、紫のカーディガンの片側が肩からずれ落ちている。


「どうした、そんなに急いで? お前バイトはどうしたんだよ?」

「途中で抜けてきた」


 沙優が息を整えながら、本来許すべきじゃないことを呟く。

 おい、これが原因でバイトがクビになったらどうするんだ。


「おい? お前には協調性というものはないのか?」

「そんなことよりも命の方が大事でしょ」


 今度は何を言い出すんだ。

 ちゃんと決まった休憩もあるし、そんなにハードな職場でもないだろ?


「兄さんもお久しぶり」

「沙優、見知らぬ男の家に住み着いて。これはどういうことだ」

「兄さんごめん。積もる話があるだろうけど、時間がないの。これから言う作戦を黙って聞いて」

「作戦だって?」

「……うん」


 作戦という内容からしてお兄さんにドッキリをするような冗談でもないらしい……。


 沙優が至って真面目な顔つきで作戦とやらを話し出す。

 俺と沙優のお兄さんも彼女の言葉に疑いもなく、素直に応対することにした……。

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