第34話 二人のいがみ合いと迫る発作

「やっぱりここに居たか」

「さっさと持ち物を纏めろ。家に帰るぞ」


 一颯いっさ兄さんがレジ前まで歩を進め、私に向かって手を取る形になる。

 その反応にビクつきながらも、隣の矢口やぐちさんはひょうひょうとした表情で別のお客の会計をしていた。


「何で……帰ったんじゃあ……」

「念の為、部下に張り込みをさせてたからな。あのスキンヘッドの男には見覚えあるだろう」


 私の疑問に淡々と応える兄さん。

 あの時の停車の時に動きを下調べをしてたんだね。

 抜け目がないというか、何ていうか、兄さんの行動力は侮れない。


「あの野郎、何もかも知っていてカマをかけたのか」

「いかにも兄さんらしいよね……」


 会計を終えた矢口さんが悔しそうに拳を握りしめる。

 自ら誇っていた砂山のプライドを存分に崩された気分なのか。

 受け答えも何もかも兄さんの方が上手うわてだった。


沙優さゆ、これで子供のお前が保護者なしでは、生計すらも立てることができないことが分かっただろう。馬鹿な真似をやめて、家に帰るぞ」

「嫌だ。まだ家に帰りたい気分じゃない……」

「この期に及んで、まだそんな子供ガキみたいなワガママを言うのかっ!!」

「ちょっと、いくらお昼時でも声が大きいよ……」


 兄さんが怒鳴り、私は慌てて周りを見渡すが、店内は兄さんと連れ揃った数人のサングラスをかけた黒服の男性以外にお客はいない。

 駐車場にも何人かの黒服が立っていて、コンビニの周囲をぐるりと取り囲んでいるみたい。

 なるほど、自身の権力を利用して、ここを貸し切り状態にしたんだね。


「自分一人で生活もできないのに家出だと! 僕の連絡も全くしなくなって、さらに北海道から逃げて、こんな辺鄙な東京まで来て!」


 一方的な兄さんによる、やるせない怒りは続く。    

 実の妹が相手でもあり、遠慮というものはないようだ。


「もし、ろくでもない相手に関わって悪い道に進んでいたらどうするんだ。沙優はまだ高校生なんだぞ!」

吉田よしださんはそんな悪い人じゃない……」

「沙優、大人は子供とは違い、表面上では作り物のいい人を演じられるんだ。いくら表向きには優しくても、裏ではどんな悪どいことを考えてるか分からないんだっ!」 


 吉田さんの名を口に出しても、兄さんは、特に気にもせずに、冷たい言葉で言いくるめる。


 大人というからには少しくらい吉田さんに関して質問してくれてもよくない?

 これじゃ、吉田さんも私と同じく悪者みたいじゃん。


「ああ、そのことなんですが、実は彼女のお腹にはすでに僕の子供がいて、彼女とここで暮らしていこうと思ってるんです」

「はあっ? どういうつもりだ、沙優!」

「どうもこうも、お互いに愛し合ってたし、デキたもんはしょうがないですよ」

「ハァー。次から次へと問題を……」


 突然の矢口さんの話に兄さんは整った黒髪に手を当てて、深刻な顔をしている。


 えっ?

 この数日間、矢口さんには何もされてないんだけど?

 それなのに赤ちゃんを授かったって、まさかのコウノトリが持ってきたとか?


「……矢口さん、それって……」

「……ただの口実こうじつ合わせだよ。こうでも言わないとあの堅物のことだ。納得しそうにないじゃん……」

「……でも誤解されたままでは……」

「……嘘も方便っていうじゃん。幸い、あの正義感の固まりのような男はいないんだから……」


 私は矢口さんと小声で会話しながら、とりあえず妊娠の設定で話を進めることにした。


 矢口さんの言う通り、ここに吉田さんが居なかったことが唯一の救いだ。

 彼は曲がったことが大嫌いでおまけに正直者だし、こういう厄介ごとに絡むと余計にね……正直者は馬鹿を見るという名言がしっくりくるよ。 


「──おい、しょうがないどころじゃ、済まないだろ……」

「なっ、吉田さん!?」

「沙優のお兄さんが俺の家まで来て、詳しい詳細を話してくれたんだ。それで車の後部座に同乗したら、勤務してる時間帯なのにお前が居なくてな」


 突然、黒服が左右一列に並び、その開けた中央を黒いジャンパーを着た吉田さんが歩いてくる。

 まるでお城の舞踏会にて王子様のように現れた吉田さんは、いつもより凛々しく見えた。

 表情は凄く不機嫌なんだけどね。


「それよりも矢口、同じ勤務先とはいい、見事にやってくれたな」

「ああ、お陰様で心は晴れやかさ」


 私との関係を守り通し、矢口さんが嘘を貫こうと必死に立ち向かう。

 そこには平和を愛する優男の姿はどこにもなかった。


「だったら、ちょっと場所を変えないか。他のお客の迷惑だし、沙優もいるし、ここじゃ分が悪い」

「はいはい。早速懲りずに説教モードですか……鬱陶うっとうしい男だなあ」

「能書きはいいから、さっさと来い!」

「何だよ、そんなに怒らなくてもないじゃん」


 吉田さんがコンビニの目の前にある廃ビルに向かって、親指を突き立てる。

 あんなところにビルなんてあったかな。

 私抜きの話し合いといっても都合が良すぎない?


「あの、私は行かなくても?」

「大丈夫。あさみちゃんだけに店番頼めないでしょ。何とかおっさんとの誤解を解くからさ」

「はい、すみません……」


 矢口さんが私に軽く微笑みながら、吉田さんに対して真剣なまなざしをする。

 吉田さんは私の方に少し複雑な目つきをし、矢口さんと一緒に外に出る。


 ──それから10分くらい、兄さんと無言で店内に居て、呼吸をするだけの何ともない雰囲気を感じた。


「──沙優。君には厳しい現実というものを突きつけないと分からないようだな」

「兄さん、それってつまり……」

「ああ。こういうことだよ」


 しびれを切らしたのか、兄さんが誘ってきたので、私はあさみにすぐに戻るからと店番を頼んで、兄さんとコンビニの自動ドアを抜ける。

 冷たい風が吹く外は冷たい雨が降っていて、道端に巨大な黒い肉塊が転がっていた。


「えっ? いやあああー!?」


 その正体が例の廃ビルから転落死した吉田さんと知った時、私はショックにより倒れ込み、目の前が真っ白になる。

 何これ、胸が締めつけられて苦しいし、まともに息ができないよ──。

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