第33話 正論と毒牙
「ええっ!?
「うん。私を捜しに来たんだと思う」
休憩室で数学の勉強をしていたあさみが驚いて、折りたたみテーブルから立ち上がる。
私はとりあえず、あさみをなだめて席に座らせる。
私の消えていた記憶から、顔を見た途端に蘇った兄さんと母親との影。
兄さんは親元で居場所がなかった私に多額の生活費を援助してくれた。
その30万ほどのお金をかき集めて、毎日、母親と顔を合わせるのが嫌で、北海道から家出した記憶も──。
「なら、帰った方がいいと思うけど……正直、まだここにいたい気分っしょ?」
「うん。何か家に帰る覚悟が足りないというか……わがまま言ってごめん……」
「全然。時には甘えることも大事さかい」
ついに兄さんが私の所まで来てしまった。
父親と離婚して変わった母親との
そんな兄さんの鋭い洞察力により、居場所が見事に的中し、あさみに駄々をこねる有り様だ……。
『カチャ』
休憩室の扉から
いつものようなヘラヘラとした顔つきだったが、私を不安にしたくない気持ちは十分に伝わってくる。
「
「そっか……良かったー」
重苦しい空気を感じさせないよう、平静を装う私。
これ以上、私の家族の問題で二人に迷惑をかけたくない。
育ちがいいからと思っているのとは真逆の冷たい私の家族構成。
いつからあんなにも私はお腹を痛めてまで生んでくれた母親が嫌いになったのか。
「さあ、戻ろうか」
「あっ、はい。仕事サボって、あさみの邪魔もしてごめん」
あさみに謝ると彼女はシャーペンを回して、すぐになんてことのない素振りになる。
本当は私が何とかしないと駄目なのに、向こうから気遣ってくれるんだ。
この温もりを手放したくないと思っていたのは私だけじゃないんだ。
「別にウチに謝らんでいいやん。それに今日は暇やし、
「そうなんだけど……」
「はいはい、さっさと行く。ウチは受験間近やから休憩時間ギリまでお勉強だし」
あさみから背中を押されるように追い出される。
嫌味のように見えて、そんなことは一ミリも感じさせない。
親友の私でも分かりにくい見事なポーカーフェイスだった。
「あっ……ごめんね」
「大丈夫。これはウチが選んだ道やしな」
「ありがとう」
あさみによる表裏のない言葉に、私の心が少し救われたような気がした……。
****
「──さっきの人、年齢的に若かったけど沙優ちゃんのお兄さん?」
「はい……」
「だよね。あの若さで父親だったらヒクし」
レジのカウンターで疑問を投げかける矢口さん。
もしそうなら学生結婚でデキ婚の可能性もあり得る。
矢口さんはヤることは子供でも、考え方は大人だった。
快楽に度が過ぎて、望まれない子の命を孕ませたくない気持ち。
どんな綺麗ごとでうやむやにしても、生まれてくる子供に罪はないのだからと……。
「でもまあイケメンだったし、沙優ちゃんの家系は美形家族認定だな」
「この非常時に茶化さないでください」
「ワハハッ。照れてるぅー」
この人はこんな時に何を言ってるの。
デリカシーの欠片もないよね。
そう言おうとして、人さし指を唇に当てる矢口さん。
黙っていた方が得策ということね。
「でも助けてくれてありがとうございます」
「いんや、助けた義理はないよ。目の前で可愛い女の子が困っていただけで」
「そうだとしても匿ってくれましたよね」
「まあ、流れ的にね。客商売だし、不用意にトラブルを防ぐためだったし」
以前の矢口さんとは違い、この世界の矢口さんはとても優しかった。
とてもじゃないけど、私の色恋を巡って、吉田さんと口喧嘩したようには見えない。
「それに権力持ってて思うように世界を操れますっていう自信家の男、僕的には嫌いな相手でさ、少し意地悪してみたんだ」
「はあ……」
そんな平和主義な矢口さんでも根っこのダークな部分は変わってない。
雑草をむしってもすぐに生えてくるように、女好きからは切っても切れない運命なのか。
「基本、僕は快楽に従い、生きてる方が人間らしくていいと思うんだ。僕自身も快楽主義だしね」
「だから沙優ちゃんが帰りたくないのに、強引に連れて帰るって言うんなら、こっちも黙ってはいられないなあって」
矢口さんにしては珍しい正論な答え。
この口の上手さで女の子を毒牙にかけるのか。
「でもね……」
矢口さんが真剣な面持ちとなり、そして暗い表情を見せる。
何もかも兄さんに負けたことが悔しかったのか、きつく唇を噛んだ……。
「堂々とした佇まいや目付きの鋭さ、あれは必死に沙優ちゃんを捕らえようとする本気の態度だよ」
「本気となった大人には壁となる障害も通用しないし、マジで怖いんだ」
腕を抱き、身を震わせて説明する矢口さんは微かにおびえてるようにも映った。
「いずれ近いうちに、お兄さんと顔を合わせる日が来るだろうね」
「……そうですよね」
──兄さんがここに来た以上、もう私には逃げられる時間は残されていない。
私の長くて短い逃亡期間も終わりを迎えつつあるのだ。
──私は北海道の家に帰る時期は悠長に構え、吉田さんのサポートも受けながら、自分自身で決めると思っていた。
だけど現実は冷めていて、そんなに温かい雰囲気ではいかないらしい。
私はこの家出による本当の意味にさえ、理解すらもしてなかった。
何度考え抜いても、高校生の子供には攻略できない心の壁に当たるのだ。
「吉田さん、私どうすればいいの……」
答えのない答えに私の心は押し潰される。
その時、出入り口の自動ドアが開き、満面の笑みの兄さんが立っていた。
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