第26話 苦しい過去と人として生きる意味

「──吉田よしださん、帰りが遅くなるって」

「そうなん? じゃあ、今日は親いないし、ウチの家で朝まで女子会やな。ちょいと沙優さゆチャソのスマホ貸してみ」

「うん、下手に弄らないならいいよ」


 あれから矢口やぐちさんとも普通に接し、無事に今日のバイトを終え、棒アイスをかじるあさみに忠告する。


 吉田さんは優しいけど、異常なほどに心配性だ。

 だからあれこれ悩んでLINAを送るより、同性で知り合いでもある、第三者の意見でなら納得するかなと……。


余程よほど、ウチって信頼されてないんやな。よよよ……」

「スマホくらいでそんなに泣かないでよ。はい」


 白い布のハンカチを目尻につけて、大袈裟な反応をするあさみ。

 私が慰めるように手を取り、スマホを手渡すと、彼女は落ち着いたかのように大人しくなった。


「うむ。分かればよろしい」

「女子高生なのに中身はオッサンかよ」

「沙優チャソの同居人もオッサンじゃん」

「むう、言ってはいけないNGワードを……」


 あさみの無責任な発言にイラッときた。  

 私は頬を膨らませながら睨むが、あさみにはただの演技だと思っていたのだろう。


「アハハッ。冗談だってば。沙優チャソもクソ真面目やな」

「どれどれ……」


 何かの笑いのツボを受けたのか、豪快に笑うあさみ。

 そして私のスマホ画面を見た瞬間、おぞましい顔でLINAのメッセージを呼びさす。


「……恐ろしいほど絵文字多用で、立派なオッサン言葉やな」

「そうそう。吉田さんらしいよね」

「実はロリコン気質じゃね?」

「違うよ。吉田さん、年上が好みみたい」

「ふーん。そういうことにしとくわ」


 大人で成熟したお姉さんじゃないと興味がない吉田さん。

 でも年下にも魅力があって、なびかないのもどうかと思う。


 星の数ほど女がいるというけど、その中で愛として巡り合う確率は1%未満とも言う。

 そこから吉田さんときたら、新たな趣向を強調させ、さらに見えないフィルターをかけたようなものだ。


 これじゃ、折角せっかくの出会いも、恋愛に旬な二十歳を過ぎても恋人を作れず仕舞い……。   


 ──はっきり言って、吉田さんは誠実で優しい。

 周りに異性が学生しかいない高校生の私から見ても素敵で大人な男の人だ。

 少し視野を広げれば、すぐ目の前に春があるというのに……。


「まあいいか。連絡もとったし、後は返事待ちだね」

「ありがとうね。あさみ」

「当然や。ウチらマブダチやからね」

「……うん」


 あさみがLINAのメッセージを吉田さんに送る。

 今晩はウチの家で一泊するから何も心配しないでと……。


『ピロン♪』


 すると、即座に既読がつき、吉田さんからの返信が届く。


『すまない、頼めるならお願いするよ。

 ありがとう』と──。


「アハハッ。クソのようにお堅い返信メールやな」

「吉田さんってそんな風に見える?」

「いかにも沙優チャソの父親って感じやな」

「父親ねえ……」


 あさみがにまーと幸せそうに笑顔になり、その笑いに私も伝染する。

 ニコニコの連鎖反応、今日は一晩中一緒だからヤバめだって。


「じゃあ、行こうか」


 ──いつもとは逆方向の道を歩きながら、あさみに色々と話をした。


 ──この東京から遠く離れた北海道から家出したこと、

 実は中卒じゃなく、現役の女子高生だということ、

 この場所に来る前のディープな過去に、

 吉田さんと出会い、柚葉ゆずはさんや後藤ごとうさんとの出会い、

 それから、あさみという大切な友達ができたこと。


 あさみはいつものように明るい口調で私の話を聞いてくれた。

 私は心から話せる友達ができたことに嬉しささえも感じていた──。


****


「──ここがウチの家やで」

「えっ、凄い大豪邸だね」


 出入り口の門構えにカードキーを通すと、扉は自動で開き、二世帯の高級住宅が建っていた。

 地面にも赤レンガが隙間なく敷き詰められていて、おまけに雑草も生えてなく、地面も綺麗で手入れが行き届いている。


「お父さんが政治家でお母さんが弁護士だからさ、お金には不自由してないん」


 玄関に入り、赤いカーペットを歩いた先に家族団らんの象徴、何畳かも分からない広すぎるリビングルームが見えてきた。


「だけどさ、両親とも仕事が忙しいせいか、小さい頃から一人で暮らすことが多くてさ」


 あさみが先に私を椅子に座らせ、黒い電気ケトルでお湯を沸かす。


「そんでちょっとした反発心でこんな風にギャル系になってみたんよ。お父さんからは怒鳴られ、お母さんは泣いてさ」


 袋に入った粉末コーヒーを白いマグカップに入れながら、隣接したキッチンの戸棚にあった付け合わせのお菓子をテーブルの上に並べるあさみ。


「どんなに冷たく見える親でもウチのことで涙を流す姿に呆れてさ。もうウザいからほっといて、って言ったらさ、余計に感傷的に思われて……」


 どんなに我が子に冷たい親でも人の子である限り、涙を見せることもある。

 おぼろげな私の過去の記憶がそうだったように……。


「私たちの子供がこんなことをするはずがない。これは何かの間違いかと」


 親バカだなと呟きながら、時に愚痴をこぼし、話を続けるあさみ。


「元々はお母さんはウチを弁護士にしたかったらしくて法学部を推薦してたんだけど、ウチは文学部志望でさ」

「文学部? 何か意味深な志望だね」

「うん……」


 あさみが文学とか言い出したので、何かの呪いでもかけられたのかと感じた。

 心の声とはいえ、失礼な物言いだよね。


「こっからは笑わんで聞いてくれる?」

「なに、急に真面目ぶって?」


 いつになく真剣な顔からして、名声や笑いが欲しいわけじゃないらしい。

 私は黙って言うことに従って、次の言葉を待った。


「ウチね、小説家になりたいと思っとん」

「へえー、それは立派な夢だね。この前の読書感想文も分かりやすくて良かったよ。あさみに向いてる職業だと思うよ」

「ハズいから、そんなべた褒めせんでくれん」


 小説家への夢を気兼ねなく喋ってきたあさみ。

 ただ自堕落に毎日を生きるより、夢を持つことはいいことだと思う。


「そのことをお母さんに話したら大喧嘩になってさ。お互いに口もきかんくなって」

「……だよね」


 小説家とは登竜門をくぐるのが難しく、ギャンブル性の高い職業。

 売れるまでは文無しだし、とてもじゃないけどバイトをしながらじゃないと生活ができない。

 あさみの家はお金持ちで不自由そうに思えても、親からの資金援助がないと、結局は食えない職業では何もできない。

 お母さんとしてはあさみの身を案じて、安定した職についてもらいたいんだ。


「そしたらお父さんが見晴らしのいい小さな丘に連れて行ってくれたん」


 丘の上の夜空には無数の星が輝いていて、お父さんとその丘に寝転んだとあさみが笑う。

 そしてお父さんが星空に手を伸ばし、この星空のようにお前の悩んでることなんてちっぽけなものだと……。


「あのヅラジジイも柄にもなく、似合わないことすんなって思ったわw」

「あははっ。確かにそれは困るね」


 宇宙と比較されても自分たちは小さなアリのようなもの。

 この地球を通じて、他の星から見たら小さすぎる存在かも知れない。


「だけどウチらにはこれまで生きてきた歴史があって未来に繋ぐ光があって、みんな精一杯頑張って生きてんだって」

「一人一人の個性や考え方が違うように?」

「そ。そう考えるとな。ウチの境遇と沙優チャソの今の状況ってそんな変わんなくない?」

「私があさみと?」


 自分語りをするあさみが冷めないうちにと、マグカップに入った温かいコーヒーを差し出してくる。


「沙優チャソのしんどい歴史もやけど、どんなに辛いことでも、それは沙優チャソしか得れんかったきちんとした歴史なんだよ」

「だからさ、意味のない人生とか、人生終わったとか悲観的に思うことないよ。人間として生まれ、生きてるうちがその人の人生なんだと。ウチが保証する」

「……うぅっ。こんな私でも?」


 私はこみ上げてくる感情に耐えれなくなり、大粒の涙を流す。

 あさみの言葉に自分も意味のある人間なんだと自覚して……。


「そ。沙優チャソは真面目にコツコツ生きて、着々とレールを進んでいたけどさ、そんじゃあ疲れるだけやん。

たまにはさ、息抜きのつもりで別のルートに寄り道して、緩やかに進んでもいいと思うさかい」

「うん……、うん……」


 何度、手の甲で拭っても一向に収まらない気持ち。

 でも悲しいとかじゃなく、信頼できる相手と心を通い合わせたという幸せの感情に満ちていた。


「どの道、終点に行っても翌朝は始発に戻るんだからさ、そんなに悩むこともないよ。今までが駄目でもさ、頑張って自分で変えれる未来があるんだからさ」

「うんっ!」

「だから泣かんでよ、ウチも泣いちゃうやん」

「うん、うんっ!」


 あさみの家で私とあさみは涙が枯れるまで泣いた。


 ──あさみ。

 私のこれまでの生き方を否定しないどころか、逆にそっと私の背中を押してくれた。


 今さらだけど、あなたと友達になれて本当に良かった。

 いつもこんな私を励ましてくれて、ありがとう。


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