第4章 一歩踏み出すJKと見守るサラリーマン(転生四回目)

第24話 自己犠牲と変わっていくもの

「──もう大丈夫だ。アイツ……矢口やぐちは帰らせた」


 ──薄暗い月明かりの下。

 照明も付けずに暖房の風にあたり、体育座りをしてた私に吉田よしださんが優しく声をかけてきた。


「あれ、私どうしてこんな場所にいるんだろ……」


 幾度もの涙が頬を伝い、拭っても流れてくる。

 しかも、ちょっと前まで何をしていたのも分からない。

 ただ吉田さんの心配してくれる顔を見てみると、また、何かやらかしたのかと……。


沙優さゆ、今回のアイツはお前に危害は加えなかった。俺は無事にお前を守れたんだ」

「それって、さっき言ってた矢口さんのこと?」

「ああ、もう一人の俺が書き記した伝言が役に立ったんだ」

「何かよく分からないけど、矢口さんから助けてくれたんだね」


 乱れた仕事着を着たままの吉田さんが心配そうに、私の前にしゃがんで目線を合わせる。


「あれ、私……」


 そんな吉田さんが涙を拭いてる手の甲をそっと手に取り、ギュッと握る。


 思い出した。

 矢口さんって過去で出会って、色々とあった危険人物だ。


「吉田さん、軽蔑するかもだけど、私、あの人とヤッた覚えがあるの」

「そうしないと自分の存在価値が消えてしまいそうで、来る日も来る日も拒まずに……」


 吉田さんが『もういいんだ……』と小声で発して、次に来る言葉を止めようとする。

 だけど勢いを増した水かさは溢れる一方で……。


「それなのにね、矢口さんの言動を思い出すと、またされそうと思ったら、ヤるどころか、ここから一歩も動けなくて……」


 吉田さんが差し出した大きな片手を握り締めながら、ずっと怯えていた胸の内を伝えていく。


「吉田さん……私、自分の置かれた状況が上手く飲み込めなくて、何もかもおかしくなっちゃてさ……もう、まいっちゃうよね……」


 吉田さんが気が抜けたような表情をして、素早く手を伸ばし、私を抱き締めた。


「いや、それでいいんだよ。それが普通の女子高生の考えなんだっ……!!」


 私は涙を堪えながら、吉田さんの温もりを服ごしに感じる。


「だけど私、色んな男の人と渡り歩いて、ここまで来たんだよ」

「いや、もう過去のことはいいんだ。お前の考えは間違ってない。生きるためには仕方がなかったんだろ。だからここに居るんだ」


 ポタポタと自分の涙が床に落ち、私の中の何かが外れる。 


「ううっ……」

「ウアアアアアアアー!」


 我慢の限界となり、嗚咽おえつを上げて泣く私に吉田さんは黙って、背中をさすってくれた……。


**** 


 ──俺はあのノートを読んで、矢口という人物をよく理解し、家に来た矢口と多少言い合いになりながらも、平和的な話し合いをした。    

 ……にも関わらず、何でこんな湿っぽい現状になってるんだよ……!!


 ようやく沙優の中にある、自己犠牲の気持ちが変わりつつあると思ってたのに……。


「沙優、もう心配は入らないさ。お前は矢口の存在を拒んだ。それだけでも一歩成長じゃないか」


 暗闇のリビングに冷たい涙が、今日おろしたてのズボンに落ちる。

 俺にできることは、こうやって彼女の気分を落ち着かせることだけだ。


「だけど矢口さんが私のことを言われたらと思うと……」

「店長にも警察にもバレて、下手すれば吉田さんも逮捕されてっ……」


 次々と溢れてくる涙を拭いながら、自分よりも世間体を気にかける紗優。


「今はそんなこと考える必要はないだろ。それらはお前を泊めてる俺の責任でもあるんだから」

「そんなこと言われても!」

「だから、少しは理解しろよっ!!」


 俺は怒鳴って、混乱してる沙優の目を覚まさせる。


「周りのことも見るのもいいが、お前はまだ高校生のガキなんだぞ。お前は自分のことを優先的に考えてくれよ……」


 沙優が無言となり、俺から目を離さずに発言を受け止める。


「相手がお前を傷つけてくる、これは防ぎようがない事実だ。だけどお前が自分のことを大切にしないと……」

「お前にとって味方の俺たちが、お前のことこれからも守ってやれないだろうが……!!」


 沙優を守りたいのに、その相手は自分自身を何とも思っていない。

 そんなん被害者でもなんでもねえよ。


「……どうして」

「どうして吉田さんはそんなに私に優しくしてくれるの……?」


『……あのですね、吉田センパイ、そんな誰にでも構わず、お人好しな性格だと、結果的には大切な女すらも守れませんよ』


 三島との会話を思い出し、困り果てた顔を手で塞ぐ。


 沙優を家に置くメリット。

 俺の心にぽっかりと空いた寂しさを埋めること。

 それと引き換えに逃げ場のない沙優を助けてあげると持ちつ持たれずの関係だった。


 でも、関係あるなしにして目の前で沙優が傷付いてるところを見るのを、男として人間として放っておけない。


『……あんたこそ何考えてんだよ。社会的にもリスク大なのに、女子高生匿って何も手を出さないで!!』


 正直、矢口を説得した俺自身も、誰の言葉が正しいのかさえも分からない。


「吉田さん、どうしたの……?」

「俺にもお前に優しくする意図が分かんないんだよ……」


 俺にとって沙優との同居生活が、善悪のどっちなのか、その考えさえも危うくなっている心情だ。

 すると今度は沙優が俺に優しくハグをし返してくる。


「吉田さん、私のために色々とごめんね」

「……別にお前が謝ることじゃないだろ」

「……ありがとう」


 沙優も変わったなとつくづく思う。

『吉田さんのお陰で変われたんだよ……』と呟く声を耳にしながら……。


「お前は普通の女子高生のように、普通に登下校して、友達作って、色んなことを教わって大人になってほしいんだ」

「うん」


 沙優が俺の頭を撫でてきて、思わず本音が出てしまう。


「俺の勝手かも知れないが、そんな当たり前のことができないお前の状況を見るのが……とても辛いんだよ」

「……うん」


 沙優に身を委ねながら、次々と隠していた想いの言葉が漏れ出てくる。


「でも俺はどうあれ、沙優自身が自分のことを大事に過ごせるようになってほしいと本心から思ってるんだ」

「……うん、よく分かった」


 沙優がいつものようににへらと笑いかける。


「これからも私、頑張るね」


 もし俺の帰宅が遅れて、矢口から暴漢を受けていたら、もっと大変なことになっていたかも知れない。

 でもそこから沙優を助け出すことはできて、ノートに直筆で綴られた、危害を加える現況でもあった矢口も追っ払った。


 だけど俺はいつまでもあいつの傍にはいられない。

 この家出問題はまだ解決したわけじゃないんだ。

 俺はそのことを忘れてはいけない。


 そう思いながらも、テーブルに置かれた沙優お手製のクッキーを一つ摘んだ……。

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