第20話 怯えと高揚
──朝の8時前。
まだ薄暗い場所で凛として建っているファミソンマート。
「おはようございます」
私が元気よく挨拶しても何も反応がない。
休憩所は電気がついてあり、誰もいない空間を照らしている。
「珍しいな。いつもは電気つけっぱなしなのに」
電気スイッチの上にある張り紙に『電気はこまめに消すこと、節電』と書かれているけど、あさみも店長も消さないもんな。
でも今日はあさみは出勤してるから、もう一人の朝番のバイトの人が消したのかな。
今度お礼を言わないとね。
えっと、名前は誰だろう。
壁にセロハンテープで四方を止めた紙のシフト表を指でなぞる。
『
あれ、この名前、何となく引っかかるんだけど……芸能人と同姓同名なのかな?
でもそれとは別に、心の奥底から、何かが出かかってる……。
『ガチャ』
休憩所のドアがゆっくりと開き、店内の光が漏れ出してくる。
「あれれ、まだ出勤15分前なのに気合い入ってるね。新人さん」
「あっ、はい。初めまして。私は……」
私は背中越しに聞こえてくる若い男性の声に向き直る。
ドア側に視線を移したその瞬間、目を大きく見開いた。
茶髪のボブカットの美青年も私を見て驚きを隠しきれないようだ。
二人して状況を整理できず、呆然と立っている。
そうだ、この既視感は過去のタイムループで私の命を奪った張本人、矢口さんだ。
まさかこんな場所でバイトしてたなんて。
ぱあああっ。
今まで覇気がなかった矢口さんの顔に活気が戻る。
「久しぶりだね」
矢口さんが私の前に近付き、手慣れた動作で私の肩を掴む。
「ちょうどさ、商品の唐揚げちゃん揚げながら、君のことを考えてたんだ!」
優しい微笑みをし、心から楽しそうに言葉を繋げる矢口さん。
「ねっ? みゆきちゃん!」
私はあまりにも皮肉な再会に言葉も出ない。
矢口さんから気軽に呼ばれたみゆきという名前に顔色が青ざめる。
「ひっ……、人違いではないでしょうか……」
「そんなことあるもんか。僕は一度セッ○スした女の子のことはしかと覚えてるよ」
過去の出会いでは疑心暗鬼で殺人者、それなのに友達感覚な接し方の矢口さんが、私の肩を強く握る。
「……ひっ!」
肩を掴まれながら、心から矢口さんを拒否る私。
だけど彼がその手を退けることはなかった。
──矢口恭也。
私が東京に来る前の茨城で数日、家に泊めてくれた男の人でもある。
物腰や態度が優しいように見えて、裏では七人の女性と同時に付き合っていた痕跡があり、それを当たり前のように考えて暮らしていた、どこか世間体がズレた人でもあった……。
そして彼の家から夜逃げし、遠方の東京に来て、
「うん? だけど今日のシフト表にはみゆきちゃんは入ってなかったよね。誰かのヘルプ?」
「あの、私は……」
口が裂けても言えない。
あの時のみゆきという名前は偽名だから。
数日間しか住んでないのに、私という存在をしっかりと覚えられてるし……。
どうしたらいいの……。
「おい、矢口。いつまで小休憩してんの。
「……てっ、何なん、この状況?」
業務に忙しくて余裕がないのか、あさみが休憩所にズカズカと入ってきて、私たちに注意する。
でも矢口さんが口を緩やかに曲げ、堂々と私の肩に両手を置いている絵面がどうも不自然に思えてしょうがないらしい。
「聞いてよ、あさみちゃん! 僕ね、偶然にも運命の知り合い二号に再会したんだよ!」
「は? 南極物語じゃあるまいし、お前ふざけてんの?」
矢口さんの純粋な想いからのキラキラ純粋モードを瞬時に遮るあさみ。
同じ職場の相手だけあり、慣れたもんだね。
「みゆきちゃんって言ってね。昔、僕のうちに泊まって……」
「あのっ!!」
私は大声を張り上げて、私の方に注意を向けさせる。
あさみも矢口さんも
「ひ、人違いですよ……」
「……私は
私は恐怖に支配され、体を震わせながら、自分とみゆきは関係ないという意志を主張する。
「え? でも以前はみゆきちゃんって言って……つれない態度だなあー」
あさみがほのぼのとした矢口さんの顔を睨む。
『ゴツッ!』
「痛いよ!!」
そしてあさみが履いていた厚底ブーツで、矢口さんの泣き所のズボンのスネを思い切り蹴り上げた。
「何だよ、従業員同士でも暴力は駄目だよ! いきなり何すんのさ!」
「だから沙優チャソって言ってるやろうが。いい加減にしいや!」
矢口さんが半泣きで訴える中、あさみも負けずに忠告している。
「つーかね、もう休憩時間過ぎてるつーの」
「早く持ち場につかんと、てんちょにチクって減給にするよ」
あさみが私の前に移動して、庇うような立ち位置となる。
あさみは矢口さんをキツく睨みつけ、腕を組んで彼に対し、警戒の姿勢をとった。
「あのなあ……バイトで減給なんてあるわけないだろ。それに可愛い新人さんとコミュ取ってもいいじゃん」
「朝ピークも終わったし、昼まで暇なんだから……」
「あんね、この仕事に暇とかあるかいな。どんな時でもお客に迅速に対応するのが客商売の務めやろ」
矢口さんが両手を広げて、不平不満を漏らすが、あさみに言い訳は通用しなかった。
「大の男が性根の腐ったネチッこいこと言わない! ほら、一分一秒でもカネ払ってるんだし、さっさと現場に行かんか!」
「うへえええー。色々と強引な女だなあー……」
矢口の背中を押し、文句を垂れるのも無視して外へと追いやるあさみ。
私は矢口さんが視界に消えても、怯えたままで小さく震えていた。
「あ、あの……あさみ……、
これには……わけが……私……」
私は過去の汚れた記憶に拒絶反応をし、仲良しの相手でも、うまく言葉が返せない。
「別に構わんよ。無理に話さなくていいから」
「……えっ?」
今もなお、震えが止まらない私に、あさみが少し悲しげな表情で首を横に振る。
「沙優チャソが今話したいなら聞くけど、今はそんなマトモな状態じゃないやろ」
「それに顔、真っ青じゃん。とりあえず座ろっか」
あさみが壁に立てかけてあったパイプ椅子を広げて、私に座らせる。
私は申し訳ない気持ちでおずおずしてると、しゃがみ込んで目線の高さになったあさみが両手を握ってくる。
「相手が誰であれ、言いたくないのに言う必要もないじゃん。沙優チャソが言いたくなった時にウチが相談にのるからさ……だからオケ?」
「……うん、ありがと」
あさみが私の肩を軽く叩きながら、優しく気付かってくれる。
「それじゃ、落ち着いたら出てきてな。タイムカードはウチが打っとくから」
「うん……ありがと。あさみ」
涙を手の甲で拭いながら、あさみに感謝する。
「矢口はウチがぶっ飛ばしておくから、心配御無用やで」
あさみが白い歯を見せながら笑い、拳を私の方に突きつけて、静かに扉を閉める。
彼女が職場に戻り、部屋がもぬけの殻となると、再び大粒の涙が溢れ出てきた。
「ううっ……」
どうしてこんな場所で矢口さんと出会ってしまったんだろう……。
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