第13話 闇に染まった過去と光ある未来

「──ごめん、沙優さゆ。大晦日の夜、後輩から誘われ、初詣に行くことになった」

「別にいいよ。約束したんでしょ」


 そうやって何度も謝る吉田よしださんは何か猫のように可愛くて、思わず頭を撫でたくなった。


 その照れ隠しな笑顔。

 後輩って女の人だよね。

 初詣で一緒に年を越すということは、向こうは吉田さんに気が合って誘ったんだよね。


 吉田さんもその後輩のことが好きなのかな。

 そしたら吉田さんは彼女を抱くのだろうか──。


『──本当にいいのか』

『うん、いいよ……』

『そうか』


 ──ふと、蘇る禍々しい記憶。

 暗がりの部屋で下着姿の私に手を添える知らない男の人の手。

 怖いと思いながらも宿泊のためならとカタカタと怯えながら、その男の人に身を委ねる私。


「──うぅっ……、おええぇぇぇー!」


 ──大晦日の静かな夜。

 吉田さんが出かけ、今は私しかいない広すぎる部屋。

 思わず過去の映像がフラッシュバックし、私は猛烈な吐き気に襲われる。


『──気持ちいい』


 ──痛みを堪えながらも、相手を満足させるために偽りの感情を作っていた私。

 どうせ本当のことを言っても相手はすぐに気持ち良くなるからなどと優しい声をかけ、その発言とは裏腹に欲望のなすがままだろう。


 だったら嘘を吐いて、好きなだけ玩具のように抱けばいい。

 私は馬鹿だし、何の取り柄もない家出少女なのだから──。


「ううっ……吉田さん」


 トイレでしゃ物を吐きながらも、今は傍にいない相手の名を涙声に呟く。


 今まで私と知り合った男の人はみんな私に触れた。

 私もそれが当たり前と思っていた。

 でも吉田さんはそんなことはしなかった。


 吉田さんは私を欲望の対象にせず、一人の女の子として真面目に接してくれた。

 闇に染まっていた私に生きる希望の光をくれた。


 吉田さんがいないと嫌でも過去のことが過ぎってしまう。

 いつから私はこんなに弱い人間になったのだろう……。


『ピンポーンー♪』


 ──時刻は21時半。

 こんな時間帯にチャイムを鳴らすのも不自然だ。


 宅配便だろうか。

 でもあまりにも遅すぎる。

 それとも仕事の都合上、時間帯指定なのかな?

 ドライバーさんもだけど、それを受け取る吉田さんも色々と大変だね。


 私は涙を服の袖で拭いて、気持ちを切り替える。

 赤の他人の宅配業者にこんな表情を見せるわけにはいかない。

 今はしんみりするのはよそう。


 玄関まで駆けて、出入り口のドアのロックを外そうとしたが、鍵は開いたままだった。

 不用心だな、私は年頃の女の子なんだから危機感をいだかないと……。


「はい、ドアなら開いていますよ」

「……」

「だから鍵はかかってないですよ」

「……」

「あれ……?」


 扉越しに話しても応答がない。

 私はじれったい気分になり、玄関のドアを思い切り開けた。

 しかし玄関先には誰もいなかった。


「こんな時間にイタズラするなんて親の顔が見てみたいね」

「見たいのならあの世でどうぞぉー」


 背後から人の気配を感じた瞬間、後頭部に何かの当たる音がした。


『パリイィィィーン!』

「うぐっ!?」


 鈍い衝撃と同時に床に赤に染まった白い破片が飛び、それと同時に水をかぶる。

 これは水が入ってた花瓶か……私は誰かに頭を殴られたのか?


「あの鈍感な吉田がどんな女と暮らしてんだぁーと様子を見に来たら、これだもんなぁ」

「ホント、アイツには勿体もったいないくらいの美少女だよ。頭くんなあ」


 床にうつ伏せに倒れ、顔だけを上げるとスーツを着崩したショートボブの男の人が笑っていて……。


 迂闊うかつだった。

 いつの間にか、鍵が開いてる隙を狙い、部屋に忍び込んでいたようだ。


「あ、あなたは……?」

「ああ、俺? 吉田の同僚の遠藤えんどうっすよ。以後、お見知りおきを……と言いたいけど」


「まあ、俺、正月過ぎには岐阜に転勤だし、君はここで死んじまう運命だから、関係ないっすよね」


 遠藤と名乗った男の人が私を抱っこする。

 そのまま浴室につれていかれ、着ていたジャージを強引に引き裂かれた。

 そして体中に鋭い痛みが走り、大きな叫び声を上げようとしたけど、肝心な声が出ない。


 そう、警察が来て事件性になり、この部屋に女子高生を匿っていたことがバレると、遠藤ではなく、真っ先に吉田さんが逮捕されるからだ。

 第三者の遠藤は守りに入り、遠方に出張して雲隠れし、吉田さんのせいにすれば自分は罪に問われない。

 中々ずる賢い男の人だ。


「ああ、ヤりたいくらいにいい女なのに吉田絡みとなると残念だなあ」

「アイツ、女の交友関係うるさそうだし」


 吉田さん、寒いよ。

 お願いだから早く帰ってきてよ……。


「無駄っすよ。今日、吉田は他の女と正月デートだもん。死んでも帰って来ないぜ」


 遠藤が私の腕を乱暴に掴んで耳元で囁く。

 あなたに吉田さんの何が分かるのよ。


「はあ……。こんないい女が家にいるのにさあ、本人は他の女と遊んで。やっぱ彼には俺による怒りの裁きというものが必要だな。大事なものは失わないと分かんねーもんさ」

「違う。吉田さんは宿のない私に気を遣って!」

「あのなあ、彼のこと美化しすぎじゃねえの。吉田だって男なんだぜ」

「いいえ、吉田さんは色々と私を守ってくれて……」

「いやいや発想はないだろ。お前ら、脳みそどうかしてんの?」 


 やっぱり遠藤は私に好き放題の扱いをし、家に戻った吉田さんに全ての罪をなすりつける気だ。


 こんな場所で恥を晒すくらいならいっそ……。

 私は思いっきりの行動に出た。


「だったら……はぐっ!」

「なっ、この女、舌を噛み切りやがった!?」


 唇から大量に吹き出す生きているという証。

 生ぬるい痛みで感覚さえも麻痺していき、喉に舌が引っかかったせいか、呼吸もままならない。


「おいおい、嘘だろー。どんだけ頭おかしいんだ子!?」


 中卒で高校もろくに通ってない私だが、今まで生きてきて、判断を見誤ったつもりはない。


 そのまま私の意識は薄れていった──。

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