第12話 行けない事情と二乗根

「──吉田よしだ君、ちょっといいかな」


 年末29日、換気中で開けた窓から、雪雲がちらつく午後の会議室。

 今年最後のプレゼンも無事に終わり、人もまばらになった頃、コンビニ弁当を食い終えた俺は部屋の一角へと呼び出された。


「はい、何でしょう、小田切おだぎり課長」

「明日から二週間なんだけど、正月休みを挟んで、岐阜の方に出張に行ってもらいたいんだけどいいかな?」

「へっ?」


 休みの代わりに二週間後には代休があり、正月にも関わらずバリバリ稼げる。

 普段なら美味しい話だが、今の俺にはアイツがいるんだ。

 つまり二週間、あの家で沙優さゆを一人にするということか?


「えっと、いや、何と言いますか……あはは……」

「吉田君にしては珍しいね。いつもなら喜んで出張に行くイメージだったのに」


 七三分けでブラウンのショートカットの課長が不思議そうに尋ねてくる。

 昨晩のLINAからのメッセージからずっとこの調子だ。


 しつこいな、これで執拗しつように接してくるのは何度目だ。

 前回あっさりと承諾して出張に行ってたことがマズかったか。


「何か訳ありなのかい。話があるなら訊くけど?」

「ええっとお……」


 まさか女子高生が家にいるからとは言えず、俺の方も困って頭をかくしかない。


『ポン』

「小田切スワーン……出張ならこのイカした俺が行きますって」


 小田切課長の背後から、整った爪を伸ばした男の手が肩に置かれる。

 その慣れなれしさはあの男しかない。


遠藤えんどう、お前……」


 目の前に出てきた、栗色のショートボブの通称会社イチの遊び人の男、遠藤。

 黒いスーツのネクタイを外して、白いカッターシャツを見せ、同色のスラックスのズボンに空いた手を入れてと、だらしない格好だが、本人が言うからに堅苦しいのは挨拶だけにしてほしいっていうスタイルらしい……。


「俺ってば、正月は超絶ウルトラ級に暇だし、女とのお泊りデートもないし、もろもろいいっしょ?」


 何がもろもろだよ。

 そんなんだから特定の女と身も固められないんだ。

 まあ、俺も未婚だが……。


「上司に気安くタメ口を利くんじゃない。そんな軽薄な物言いで、肝心の仕事はできるのかい?」

「なーに、仕事はちゃぁんとしますって」

「はぁ……まあいいか。猫の手も借りたいほどだしね。吉田君はそれでいいかね?」

「あっ、はっ、はい」


 小田切課長が遠藤に注意したものの、本人は通過儀礼と思ってるように軽々と受け流す。

 それに対して俺は課長の決断に律儀に頭を下げる。    


 全く、遠藤よ、言葉が過ぎるぞ。

 相手はあの課長だぞ。

 普通の平社員なら黙って頭を下げるしかないよな。


「じゃ、それで結構ね、課長バイナラ〜」

「……って吉田、ちといいか」


 課長を友達感覚で手を振って帰した後、俺に親指を立てて合図をする遠藤。

 何か俺とサシで話がしたいようだな。

 二人じゃないと駄目な話となると……面倒な予感がするよな。


****


「なあ、吉田さぁ」

「お前、女がいるから出張行くの嫌なんだろ?」


 やっぱり女ときたか。

 コツコツと革靴の音が廊下に響く中、早速さっそく、コイツの口からそれ関連の単語が出てきたな。


「うっ……いないって」

「嘘つけ、目が泳いでるぜ」

「あー、これは目にゴミが入ってだな……」


 遠藤の言うことは正解だが、こんな女好きなチャラ男なんかに知れたら後々厄介だな。

 さて、どうやって言葉を選べばいいのやら……。


「吉田センパイ、彼女がいるって本当ですか……」

「うぉっ、どこから現れるんだよ、三島みしま


 遠藤と廊下の片隅で立ち止まった俺は突然の来訪者にビビる。

 パックの牛乳を飲んでいた三島が俺と遠藤に気づかれぬまま、死角にあたる異次元の方向から絡んできたのだ。


「彼女さんはどんな人ですか?」

「どんなって言うか、フリーの身だし」


 いつにもなく三島が質問してくる。

 何だよ、彼女って目の色変えてさ。

 あー、鬱陶うっとうしいけど、お前には関係ないだろとか冷たいことも言えないし……女を怒らせたら後々怖いもんな……。


「いやいや、いつもがむしゃらに仕事をし、喜んで残業もする吉田が出張拒否ってんだぜ。女しか当てはまらないだろ」

「だから違うって……」


 そこへ遠藤が火に油を注いでくる。

 だから話をややこしくするなって。


「やっぱり女の影ありですか……」


 三島が拳を握り締め、俺に質問を繰り返す。

 貴重な昼休みがやたらと長く感じる。


『ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……』


 遠藤と三島の無双コンビに一方的に責め立てられ、思わず息を飲んでしまう。

 その重苦しい緊迫感に本音を言えない立場の俺は、ここで一つの仮説を述べることにした。


「……ねっ」

「ね、年末年始だからさ、ネット通販ポチポチ利用してさ、何回かに分けて荷物が届くんだ」

「はあ……? 何だぁ、口にも言えないほどの荷物かよ」

「ああ、ちょっと大人には過激な品物かなって……」

「もう十分、大人じゃんか……」


 遠藤が疑うような目つきで俺の顔色を覗う。

 ちょっと苦しい言い訳か。

 だよな俺、保護者の同意以前に成年男性だもんな。


「うーん。これ以上回答を求めてもアレだしな。吉田がどうしても言いたくないなら、この件のことは聞かないでおいてやるよ」

「えっ、遠藤さん、そんなにあっさりとっ」


 三島が強気な態度で反論するが、興味が冷めた遠藤に何を言っても無駄だ。


「そう言うなよ三島、相手が彼女じゃないのなら、ここは彼を信じてやろうじゃんか」

「ぷーっ」

「アハハ。ふくれっ面ならぬ、怒ったフグ面だな」


 大人の説得をする遠藤に機嫌の悪い表情へと変わる三島。

 大方遠藤も、頬を膨らませて睨む相手に愛嬌でもわいたか。


「じゃあ、俺は現場に戻るよ。サイナラ〜」


 この場の深刻な空気に耐えきれず、すたこらと逃げ出す遠藤。

 おい、自分から空気を汚して、ここで二人っきりにさせるのか。


「吉田セ、ン、パ、イ!」


 強い口調となった三島が逃げようとした俺の腕を服ごとぎゅっと掴む。

 この二人だけの甘いイベント、どう計画性を立ててもバッドルートしかしねえよ。


「彼女じゃないんなら、大晦日に私と初詣行けますよね」

「はあ……今年の正月休みも寝正月で」

「だ、か、ら、かっ、彼女じゃないんなら、一緒に初詣に行けますよねっ!」

「あっ……、はいっ……」


 こうなったら誰も三島の暴走は止められない。

 半径1メートル以内のパーソナルスペースに入り込んできた相手に俺は臆するしかなかった。


「よっし、フラグ回収」

「何なんだよ……」


 俺は三島の強気な態度にビクつきながら、渋々、初詣の約束を交わしたのだった……。

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