第10話 回らない質問と回転する寿司

「──いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」

「いえ、予約していた先客がいまして。名前は吉田よしだと言うんですが」

「はい、ご本人様からお話しは伺っております。一番奥のテーブルへどうぞ」


 皿にのった数々の寿司がカウンターのコンベアで流れる光景を目の辺りにしながら、笑顔の素敵な女の子から丁寧な接客を受ける俺。

 店内も明るい雰囲気で、いかに客足が途絶えないのも分かる気がする。


 バイトの女の子に通され、木製のテーブルが置かれた奥にある畳の席では、長い茶髪をサイドテールに束ね、肩にかけた美人の女性が握り寿司相手に大格闘していた。

 どうやらこの席は店員が持ってきた食べ物だけを受け取る寿司のシステムらしい。


「吉田君、遅いわよ。女の子をいつまで待たす気なのかしら」

「いえ、思った以上に仕事が捌けなくてですね……」


 その相手とは会社の上司である後藤ごとうさんだ。  

 フラれた女に飯に誘われ、男がいるのに他の男と接する考え自体がおかしすぎる。

 同僚の橋本はしもとは実は俺とお喋りがしたくて、実は脈アリなんじゃないかとからかい、新品の結婚指輪を自慢していたが……。


 一度フラれたくらいで相手を諦めるな、フラれてから好きにさせるという何度ものアタックが重要だと……あのなあ、これは俺の問題だ。

 既婚者がイチイチうるせぇよ、人のことより、結婚した目の前の女だけ見てればいいんだよ。


「ふふっ。実は緊張してたりする?」

「まあ、この前のクリスマスデートで見事に玉砕された男でもありますから」

「あはは、真面目な上に結構ナイーブな性格なんだね」


 長い髪を片手で押さえ、小さな口で大きなマグロを食べようとするセクシーな絵面に思わず目を逸らしてしまう。

 純情な俺にとっては性的な雰囲気にも捉えられ、あれは直接的に見てはいけないものだ。


「じゃあ迷惑かけたお礼として、私のこと何でも訊いてきていいわよ」


 後藤さんが胸がパツンパツンのYシャツをテーブルにのせて、テーブルにひじをつき、両手を組む。


「えっと、何で回転寿司なんですか?」

「もう年末だし、吉田君と二人だけでプチ忘年会をしたかったから。会社では役柄上、仲良く会話もできないでしょ」

「それに……ゴクゴク……」


 後藤さんが腰に手を当てて、テーブルにあった中ジョッキの生ビールを一気飲みする。

 泡のアルコールの液体がどんどん減っていくのを見て、俺は素直に尊敬に値するしかなかった。


「ぷはっ!」

「おおっ、相変わらず豪快ですね」


 空になったジョッキをテーブルに置き、口元の泡を手の甲で拭う後藤さんを褒める。


「そうそう。吉田君のそういうところが好きなの。ありのままの私を受け入れてくれる部分とか。みんな私を堅苦しい高級フレンチで、お淑やかに食事みたいなイメージを持ってるから」

「分かります。女の人だってガツンといきたいですよね」

「そう。だから安くてリーズナブルな回転寿司なのよ」


 後藤さんが注文していた炙りサーモンを口に頬張り、モグモグと美味しそうに味わう。

 その魚の脂で艶めいた唇が煩悩を刺激されて、またもや目線をずらす。


 駄目だ、まともに直視すらできない。

 好きな女の咀嚼そしゃくシーンは丸裸にされた果実を見てるのと一緒だ。


「続いて私から質問してもいいかしら」

「何なりと」


 俺は寿司を食べる手を休めて、口直しに熱い番茶をすする。


「吉田君、最近彼女ができたでしょ」

「ブブゥッッー!?」


 後藤さんからの予想外な質問に、俺は壮大に番茶を吹き出した。


「ゴホッ、ゴホッ、い、いきなりですねっ!?」

「あら、その反応は図星なのかしら。相手はやっぱり後輩の三島みしまさん?」

「あのですね、三島とはただの仕事仲間であって決して恋人同士じゃないですよ」


 三島柚葉みしまゆずは

 入社して一年にも満たない女性であり、最近、俺の担当係になった後輩だが、細かいミスも多く、てんで仕事ができない駄目な女でもある。


「でも急に定時で帰り出したし、吉田君とも仲が良いし、たまに一緒に退社もするじゃない?」

「ちょっと後藤さん、落ち着いてください。三島とは別に何ともないんですよ」


 後藤さんがテーブルを挟んで、俺の目前まで詰め寄ってくる。


 髪から漂うフローラルないい香り、化粧の粉っぽい空気、そして物凄い存在感のある大きな胸。

 そんなに近寄ると、余計に彼女を意識してしまう。


「だって年増な私なんかより、若くて可愛い女の子の方が好みじゃないかと……」

「あのですね、後藤さん。俺は入社当時から五年間、ずっとあなただけが好きだったんです。他の女なんて眼中の欠片もないですよ」

「……そう、ならいいけど」


 後藤さんが体勢を戻し、先ほど店員さんが置いたレタス巻きをムシャムシャと食べる。   


 後藤さんの気持ちは理解できる。

 誰だって告白してきてフった相手が早々と好きな人の対象を変えられると、私の存在っておまけなのか、相手なら誰でもいいのか? と思ってしまう。


「では次で質問は最後よ。他に訊きたいことはある?」

「じゃあ遠慮なく訊きますが、その胸のサイズがIカップなのは本当ですか?」

「あははははは。誠実そうに見えてこれは胸フェチだわw」


 後藤さんがケラケラと笑いながら、テーブルをトントンとリズミカルに叩く。

 面白いかどうかより愚問だったが、どうやら本音がギャグとして伝わったようだ。


「……そうだよ。しっかりとその目に焼き付けて帰ってね」


 手を口に添えて小声で喋る照れ顔の後藤さんに、俺は湧き上がる感情を隠しきれなかった──。


****


「──あっ、おかえりなさい」


 暖かい空気が流れる自宅。

 布団に包まり、スマホゲームをしていた私は冷たい空模様から帰ってきた吉田さんを温かく出迎える。


「どうだった、好きな後藤さんとの食事会は?」

「あんなん食事会どころの騒ぎじゃねーよ」


 会話の繋げ方からして、吉田さんは若干不機嫌でどことなく拗ねてるようだ。

 あんまり酔った様子でもないし、いつもの大人の余裕というものがないし……。


「はいはい。ウジウジと悩むくらいならさっさとお風呂に入る。嫌な悩みごとなんてキレイさっぱり洗い流してさ」


 肌色のバスタオルを手渡し、吉田さんの大きな背中を軽く押す。


「……紗優さゆもすっかりこの家に溶け込んだな。何かもう家族みたいだな」

「うん。吉田さんのお陰だよ」


 制服しか持ってなかった私に服や布団を買ってくれ、連絡先にとスマホ、さらに寝床や食事の提供まで……。 

 吉田さんには感謝の言葉しか浮かばない。


 だから彼が落ち込んでる時は私が支えてあげたい。

 吉田さんを私だけのものにしたいという独占欲に心に秘めたままで……。

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