第8話 留まる理性と迫る誘惑

「──紗優さゆ、スマホも家に置きっぱなしで今までどこにいたんだ?」

「ごめんなさい。ちょっとコンビニに」


 今日は後輩との飲みの都合で遅くなるとLINAを送っても既読すらもなかった。

 こんな時のために俺名義で携帯を持たせたのだが、こうも無関心だと逆に不安になってしまう。


 紗優は俺から見ても可愛い女の子だ。

 もし知らない所で事件に巻き込まれたらと思うと気が気でない。

 そう思って一直線で帰ってきたら鍵も開けっぱなしで留守だったのだ……。


「まあ無事で何よりだ。じゃあ俺はシャワー浴びてくるから。お前は適当に惣菜を選んで食ってろ」

「うん」


 ──冷えきった体に熱めのシャワーにかかりながら、今までの言葉を整理する。

 こんな時間に外に出た紗優が無事に見つかったことで心から安心していた。

 俺も保護者のフリなど続けず、紗優と向き合わないとな……。


「紗優、お前も風呂に入れよ」

「なあ、俺の話を聞いて……」


 ──電気もつけず、薄暗い部屋で白い下着姿の少女、紗優と目が合う。


「いや、お前……いくら暖房が効いてるからって服くらい着ろよ」


 俺は突然のやり口に冷や汗を垂らして、その場でしゃがみ、フローリングに脱ぎ捨ててあった紗優のジャージを掴む。


吉田よしださん、ちょっといい?」

「ああ。いいから服を着てから喋ろって……」

「お願い、私の話を聞いて」


 いつにもない真面目な表情で俺を見てくる紗優。

 俺はすっと立ち上がり、風呂場のドアの前で彼女と対面する。


「吉田さんさあ、こう見えて私も一応女の子なんだよ」

「いや、そんなん小学生でも分かるぞ」

「違うよ、ベタな冗談はやめて」

「何だよ……」


 俺は紗優を避けようと彼女の視界から離れ、横切る体勢をとる。


「俺も色々と忙し……」


 しかし俺の行く道を通せんぼして、そのまま壁際に追い詰める紗優。


「……だから、さっきから何の真似だよ」


 壁と背になった俺に壁ドンし、大きく目を見開いてじっと見つめてくる。


「ねえ、私って胸は結構ある方だと思うけど」

「まあな」

「そんなピチピチの若い女子高生が下着だけで誘惑してるんだけど」

「いいから服着ろよ」

「ねえ、今からでも私とエッチする?」


 紗優が俺の体に弾力のある胸を押し当てて密着してくる。

 今日のコイツはどことなく変だ。


「吉田さんは私としたくないの?」

「そんなよこしまなこと、私相手じゃ何とも思わないの?」


 細いカモシカのような足を俺の足に当てながら、紗優の尋問は続く。


「だからやめろって……」

「嫌だ」


 きっぱりとした口調で断る紗優。

 彼女の強気な姿勢に、どうも調子が狂ってしまう。


「私、記憶はおぼろげだけど、今まで男の人全員と性行為を重ねてきたのは確かなの」

「記憶がなくても体が覚えちゃってるから……」


 紗優が俺が着ているトレーナーを下へと擦り、紐パンの下腹部に触れる。


「うわぁ!?」


 予想外の場所を触られ、俺は驚いて腰を抜かし、バランスを崩して固い床に尻餅をつく。


「どう? 見損なった? これが本当の私なの」

「だからやめろって!」

「答えてくれないと駄目。私を……」

「……私のことを一人の女の子として、性対象として見てくれないの?」


 紗優がしゃがみこみ、俺のズボンを脱がそうと細い指をかける。

 それに反して大きく直立する俺の欲望。


「あっ……」


 紗優の顔が真っ赤になって動きを止める。  

 俺はその隙に後ろに腰を引いた。


「……言われずとも嫌でも反応するよ。こんなに責められて興奮しない男が世の中にいるかよ」

「あ、あの。ごめんなさい……」

「何でそっちから誘ったクセに照れてんだ。いい加減、悪ふざけが過ぎるぞ。さっさと離れろよ」

「うん、ごめん……」


 たがいに初めての交渉のようにおずおずと距離を置く二人。


「──あのね、その……」

「……私ね、今まで生きることに必死だった。どうやって家出してから過ごしていくかって」


 下着姿でモジモジしながら、女の子座りで少しずつ語り出す紗優。

 俺は受け身の形となり、そんな彼女の答えを黙って待ち続ける。


「女子高生なんて拾って家に置いてることが警察にバレたら普通に逮捕じゃん」

「拾われても良い要素がないと住ませてもらえないし」


「だから自分の体を無償で提供する形にしたのか」

「……うん」


 俺の異論がまるで正論のように頷く相手。


「その方が分かりやすく物事を判断できてさ。ああ可愛いな、ヤッてて気持ち良いな、とか口に出して、私に住む場所をくれて必要な存在にしてくれる」

「そしてヤバくなったら気持ちをコロっと変えられて、住む場所を失う。それが当たり前の繰り返しだったの」


 体育座りで床に視線を下ろして、自分の想いを告げる紗優。


「だからどうして吉田さんは私を住まわせてくれてるんだろうって……」


 暗い部屋で紗優が真剣に話をするのを黙って聞き続ける。

 保護者側として悔しいが、俺は紗優の過去の現場に立ち入ってない。  

 この方法でしか救えないと感じたからだ。


「家事なんて私がいなくても誰でもできるでしょ。この際、吉田さんが選んだ好きな人と一緒でもさ、いいじゃん……」

「でも吉田さんはこんな私に対しても優し過ぎてさ……」


 まだ子供と大人の境界線の高校生だろ。

 大人が子供に接するように、優しいだけじゃ駄目なのかよ。


「私はどう考えたら吉田さんに愛想尽かされないんだろう……吉田さんは何の得があって私を家に置いてるんだろうと……そう考えたら頭の中がごちゃごちゃでさ……」

「……紗優、お前……」


 苦笑い、いや……いつもの作り笑いをしながら、正座したひざの上にのせた拳を握る紗優。


「私、自分のことも分かってないお馬鹿な子供でさ、これからどうやって生きていこうかとか、行為を求めてこないと理解もできないしさ……」


 どこかしら泣き声になってるのが分かる。 

 その小さな背中にどんだけ悲しみを背負ってるんだよ。


「だからね。吉田さんが私のこと嫌いじゃないなら抱いて安心させてよ。吉田さんならいいから」

「私、吉田さんが……」


 俺は耐えきれず、涙ぐんだ紗優の細い体を正面から抱きしめる。


「よ……吉田さん、ちょっと……腕の力、強いって……」


 そして深く息を吐いて、思ってることを相手の耳元に囁いた。


「答えはNOだ。俺はお前を抱くことはない」


 その言葉に覚悟したのか、ピクリと身を震わす。


「……だけどお前は俺から見ても可愛いタイプだ」

「えっ?」


 スタイルも肉付きも顔も良く、家事も積極的にしてくれて最高の女の子だ。

 それのどこに不満があるんだ……。


「でも俺はお前に恋愛感情は抱いてない」


 そんな一人の女の子が無理をしてでも嫌な自分の姿を見せたんだ。  

 自分の本心を包み隠さず、こちらからも正直に打ち明ける。

 俺は紗優から体を離し、彼女の華奢な両肩に優しく手を置く。


「俺は好きでもない女は抱かない」

「女子高生だからとか大人とか別個だ。俺は紗優の裸で欲情したり、セッ○スしたいとも全然思ってない」


 涙目の紗優がこちらから目をそらさずに、俺の説得を聞く。


「他の男がどうとか今は関係ない。俺はそんな考えを持った男だ」

「分かったらさっさと服を着ろ。風邪でもひいたら大変だ」

「……うん」


 紗優が後ろめたい様子でジャージを着ながら、今までで一番の笑顔を見せた。

 そう、変に気を遣って俺の顔色を伺うより、何も気にせず、自然体で笑っていた方が可愛いんだよ──。

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