第2章 JKとサラリーマンの新たなる成長(転生二回目)

第7話 疑惑と本性

 ──私は満月の月明かりの下、駅前にある近所の公園で体育座りをしていた。

 服はいつもの制服ではなく、ねずみ色のジャージの上下に男物の黒いジャンパーを羽織っている。

 なぜか瞳からは涙が零れ落ち、一向に止まる予感がしない。


 私は確かにあの時、途中で意識が途絶えて……モヤがかかったかのようにそのことが霞んで思い出せない。

 激しいお腹の痛みは消えていて、さすってみても何ともなく、まるで白昼夢を見たように感じた。


「ねえ、君、高校生だよね。こんな時間に何をしてるの?」


 突如吹いた北風に寒さに身を震わし、身を縮めていると、大人の女の人が澄ました表情を崩さずに声をかけてきた。

 でも『家に帰れ』と威圧的な態度ではなく、ごく自然に気にかけてくれたのだろう。


 茶系のオフィススーツに灰色のスラックス、ちょっとくすんだ栗色のショートカット、黒いトートバッグを肩にかけている。

 年齢は二十代に見えるが、耳に付けた銀色の猫の顔のピアスに子供のような遊び心を感じた。


「あっ、えっと……」

「一人なの? もう22時過ぎてるし、早く帰らないと補導されるよ」


 月夜の下に映った女の人は薄化粧な美人で、同性ながらも思わず息を飲むほどの美しさだった。

 どことなく冷めた口調に少し驚いたけど、女の人は怒ってるようではなかった。

 冷たいのは私の偏見の方だったようだ。


「はい。でも帰る家なんてなくて……」

「なるほど。家出ということか」


 そう言って隣にある木製のベンチに体重を預け、腰を下ろすお姉さん。


「……まあ保護者同伴なら言い訳が利くし、私が終電まで居てあげるから、ゆっくりと頭を冷やせばいいよ。家出の大半はお互いの心のすれ違いだからね」

「……お気遣いありがとうございます」

「いえいえ」


 話が分かる人で助かった。

 するとお姉さんがバッグから四角形の補給食を取り出して、包装紙を破き、小さな口に運ぶ。


「あーん〜」

『ぐー……きゅるきゅるる……』


 ああっ、何でこんな時にお腹の虫が鳴くんだろう。

 安心した途端にこれだ。


「プッ……人間って不思議よね。どんな状況でも一歩も動かなくても、お腹が空く生き物なんだから」

「良かったら、もう一個あるんだけど食べる?」

「……はい」


 私の恥ずかしい反応に含み笑いをするお姉さんがバッグから補給食をそっと差し出す。

 物乞いに見られてないか、周囲を見渡しながら食べ物を受け取る。


「私の名前は柚葉ゆずは。君の名前は?」

沙優さゆって言います」

「沙優ちゃんかぁ。素敵な名前だね」


 柚葉さんが屈託もない笑顔を私に向けて、封を開けたビスケットをモグモグと頬張る。


「私も学生時代は親と喧嘩して、しょっちゅう家出してたなあ。何か自分の聖域を侵されたような感じかな」

「そういうもんなんですか」

「うんうん。四六時中、顔を合わせて何もない方が逆におかしいよ」


 柚葉さんがそうそうと首を縦に振り、同意の姿勢を見せた。


「沙優ちゃんの家出のきっかけは?」


 どうやら家出とは誰もが通る道らしい。

 ばつが悪くて、柚葉さんの真っ向からの質問に顔を背ける。


「……あー、無神経でごめんね。

……親と喧嘩とか、家が幸せ過ぎて退屈とか色んな理由があるよねぇ」

「親とは普段は仲良しなの? 優しいタイプなの?」


 この問いは同居してる吉田よしださんのことを指しているのだろう。 

 柚葉さんは保護者のような成り行きで、ここにいる理由を訊いているのだから。


「関係は良好ですし、とても優しい存在です」

「うーん……だけど家出したのかぁ」


 食べ終えた包み紙を丁寧にねじって結び、バッグの中に入れる柚葉さん。

 こうして見ると話しかけてきた彼女を警戒していた自分が情けなくなってくる。

 吉田さんの言ってた通り、私には人を見る目がないなあ……。


「家で凄く優しくしてくれる人がいるんですけど、その人が理由もないのに優しくしてくれるのがずっと疑問で……それでよく分からないまま、ここで時を迎えて……」

「ふーん、それがここにいた理由か……」


 柚葉さんが誠実な面持ちになって、私との話し相手をしてくれる。


「私の勤務先でもそんな感じで優しくしてくれる人がいるんだよね」

「何でこんなにも優しくしてくれるんだろうと考えても考え抜いても無限ループでさ、どうも分からなくていつも答えが出なくて」

「いつの間にか、その人のことで頭がいっぱいで夢中になっちゃってさ」


 ああ、この人はその勤務先の人のことが本気で好きなんだ。

 今の頬を赤らめた表情は王子様に恋をしてる乙女そのものだったから……。


「ねえ、とある映画で知ったんだけど、恐怖って、人間を動かしたり、立ち止まることもできる厄介な存在なんだよ」

「だから沙優ちゃんはその恐怖のせいでここで時を過ごしてる」


 風がベンチの上の街路樹を揺らす。

 心の中にある気持ちのように……。


「でも怖くても動かないと自分の置かれてる怖い状況は変わらないよ」

「まあ、動いても無意味な時もあるけどね……ハハッ……」


 耳元の髪をかき上げながら、照れくさそうに笑う柚葉さん。


「それって、その勤務先の人の話ですか?」

「そうそう。いつも好き好きアピールしてるけど、向こうは全く興味なしって感じかな。アハハ」


 好きだからと相手が気付くのをじっと待っていたわけじゃない。

 この人はきっと好きな想いを行動に移したんだ。

 だからこそ面と向かって言えるのだろう。


「でも何もしないより、無駄だと思えることでもやった方が自分のためだと私は思う」

「全然、無駄なことなんてないです!」


 私は感情的になり、咄嗟とっさに立ち上がる。

 小声から打って変わった大声に驚いたのか、柚葉さんはきょとんと目を丸くしていた。


「柚葉さんのまっすぐな気持ちはその人の心をどこかしら変えていってると思います」

「ありがとね……逆に励まされちゃったな……」


 まっすぐで私とは正反対の強い人だ。

 結局、私は怖いことから逃げ続けてる弱いだけの人間だ……。


「……沙優ちゃんがその人とずっと一緒に関わって行きたいなら、本性を見せることも大切だよ」

「本性ですか……?」

「そうだよ。自分はこういう人間でもあり、こんな一面も持っているけど、それでも受け入れてくれますか? って気持ちが重要なの」


 柚葉さんが私を指さして、真面目に話を振ってくる。


「その人は沙優ちゃんを心から受け入れてるから、そんな風に優しくしてくれてるんだよ。沙優ちゃんもその人のこと、ちょっとは信じる気持ちを持ってみたらどうかな」


 今まで私は吉田さんと関わるのが怖くて、一定の距離を保ったまま、時を過ごしてきた。

 自分の本性も吉田さんの本音も知らない臆病なままで。


 でもこれからの私は吉田さんを信じて、一緒に時を歩んでいきたい。

 柚葉さんと熱い拳を交わし合い、強い勇気をもらう。


「ありがとうございます。私……」

「そう、一人で帰れる?」

「はい。ちゃんと相手と向き合います」


 私は柚葉さんに別れを告げて歩き出す。

 吉田さんと新たな未来を進むために──。

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