第2話


「記憶にございませんか・・・仕方がありませんね・・・では、近いうちにその証拠がやってくると思いますので、


「彼?直接?」


 状況をまだよく理解できていないが、背中にぞっと嫌な予感が走った。首筋からもじんわりとした汗がにじむ。反射的に私は身構えた。


 刹那――部屋の扉がけたたましい音と共に、開け放たれた。


「あなたがご令嬢ですね。初めてお目にかかります」


 背後から声がして振り向いたその先に立っていたのは、ひとりの男だった。男は色白で、やせ細っている。着ている服は至るところに汚れが目立ち、どこかみすぼらしい印象が拭えないというのが正直な感想だ。

 認識はない。初対面だろう。いったいこの男は私に何の用があって、はるばるここまで足を運んできたのか。少なくとも現時点では検討がつかない。それに私が今暮らしている王室と、庶民の生活する村とではそれなりの距離があったはず。気軽にふらっと覗きに来れる場所ではないのだ。

 だというのに、男は身軽な格好をしているから、謎はますます深まっていく。


「えぇっと、あなたは・・・?」


 おずおずと私が訪ねても、男は反応の色をまるで示さず閉口したままでいる。黙る相手に私もどう接したらいいのか分からなかったため、自然と沈黙の間が訪れることとなった。


「——ください・・・」


「え?」


 口を開いたと思ったら、ぼそぼそとしていて小さな声だった。とても一回で聞き取れる声量ではない。


「ご令嬢。以下は私ども庶民の切なる願いです——どうか一度だけで結構ですので、耳を傾けていただけないでしょうか」


 低くも聞きやすい声質で訥々と話す男は、私にゆっくりと歩み寄ってきた。


「願い?もちろん聞くよ?」


 たった今、庶民の生活を把握していないと宣告されたばかりだが、私は一応男の住む村を含めてこの周辺一帯を治めている者だ。断る理由はない。不満を抱えていると聞いたけれども少しでも親近感を持ってもらえればと思い、やさしい口調で話しかけた。


「ありがとうございます——では——


「——えっ?」


 どういうこと——と、尋ねようと思った時にはすでに時遅しだった。


 気づけば男は私のふところに潜り込んでいるではないか。それから——右わき腹に突然鋭い痛みを覚えた。


 ——あれ?


 何が起こった?


 一瞬の出来事とはまさにこのこと。


 痛みのある部分に手をあてる。べちゃっとした何かに触れた感覚が伝わってきた。

 これは——血?私の、血?

 視線を向けると、右わき腹には一丁の鋭利なナイフが突き刺さっている。

 肺が苦しい。呼吸もままならない。それどころか、視界もぼやけてきた。

 口から漏れてきたのは・・・手の甲でそれを拭うと、純白の手袋にどす黒い赤色が横一線に染みていた。


 体全体に力が入らなくなってきて、膝からぐったりと崩れ落ちる。刺されたとようやく状況を理解した時にはもう色々と手遅れだったらしい。


 私が意識を失う間際、男は耳元でこんな風にささやいた。


「最最悪の悪役令嬢め。あなたの独りよがりもこれで全て終わりだ」


 その言葉を最後に、私の目の前は真っ暗になったのだった。

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