たゆたう歌声

 記念広場だけでなく凱旋広場にも吟遊詩人がおり、観光客や旅人に向けて歌を披露していた。バードたちは客を取る職業であるためか、それぞれが個性的な衣装を身に纏い、衆目を集めている。

 ふと、大きな木の根元に腰掛けている一人の吟遊詩人が遠い砂塵の国に関する歌を謡っていることに気付いて、ミアは誘われるようにふらりと近付いていった。

 曲調も、言語も、この国のものとは違う。広大な灼熱の砂漠と、赤く燃える太陽、竜神の身動ぎと言われる唸るような地震や、乾燥した石壁の街に住む竜人族ドラコニアたち。

 ただ歌を聴いているだけで砂漠の熱が伝わってきそうなほど、彼の歌と演奏は見事だった。


「……やあ、フローラリアのお嬢さん。私の歌はお気に召したかな?」


 一曲謡い終えた吟遊詩人の青年が、伏せていた目を開けてミアを見つめ、ふわりと微笑んでそう訊ねた。なんてことはない、ただの問いだというのに。ミアは、青年と目が合った瞬間、周囲の音も声も時間さえもが切り離されたような感覚に陥った。

 その吟遊詩人は息を飲むほど美しいエルフの青年だった。陽光を織り上げたような金の髪に、鮮やかに萌える若草の瞳。透き通るような白い肌に、エルフの特徴である長い耳。サークレットの魔石は彼の瞳と同じやわらかな若草色で青年が首を傾げると雫型の石が揺れて金糸を彩る。耳飾にも同じ魔石を使っており、煌めく石が長い髪の隙間からチラリと覗く。

 彼の美しく長い指が奏でていたのは、サイズだけならミアにも扱えそうな大きさの竪琴だが、その装飾は優美の一言。ボディは鮮やかな金色をしているにも関わらず、華美がましさが感じられない。下手に触れれば崩れてしまいそうな繊細さは、傍らで吐息を漏らすことさえも憚られた。


「ふふ。どうかしたかな? そんなにじっと見つめたら穴が空いてしまいそうだよ」

「あっ……! ご、ごめんなさい」


 クスクス笑いながら言われて、ミアは漸く我に返った。両頬を両手で包みながら、恥ずかしそうに目を伏せて答える。


「わたし、吟遊詩人の方のお歌って間近で初めて聞いたものだから……とっても素敵だったわ。行ったこともないはずなのに、何だか砂漠を旅した気分になったの」

「それは光栄だね。ミンストレルにとってこの上ない褒め言葉だよ。ありがとう」


 ふわりと微笑む青年の目元はやわらかく、瞬きをする度、長い睫毛が白い頬に影を落とす。声を聞くまでは――――否、面向かって話しているいまでさえ、彼の性別を錯覚しそうになるほどに、彼の青年は何処までも性を感じさせない、典麗な貌をしていた。

 これほど人目を引く美貌を持っていながら彼の周囲には人がいない。広場中央から少し離れた位置にいるとはいえ、物陰にいるわけでもないというのに。

 思い返せば記念広場でもバードは男女問わず人に囲まれていたが、ミンストレルの男性は孤児院の子供たちに授業で謡い聞かせていただけだった。


「私の周囲に人がいないのが不思議かな?」

「えっ、あ……ええと……」


 不思議そうに辺りをきょろきょろ見回していたことを指摘され、ミアはまたも俯き小さく「ごめんなさい」と呟いた。初めてのことだらけとはいえ失礼に失礼を重ねてばかりで恥ずかしくなる。しかし、青年は気にした様子もなく、鷹揚に話し始めた。


「ミンストレルの歌は、謂わば歴史の座学だからねえ。歌舞音曲の類であるバードの歌ほど人気はないかな」

「まあ、そうなの……? お歌を聴くだけで外のことをこんなにも鮮明に知れるのにもったいないわ」

「ありがとう。でも、旅人なら自分で見に行けるし、街に住んでいる人なら書架でも学べるからね。それに……」


 と、青年が言いかけて、ふと語尾を濁して口を噤む。言いかけた言葉の代わりに、青年は竪琴を一つかき鳴らすと、ミアの背後を見た。

 ミアがつられて背後を見ると、クィンが駆け寄ってきているのが見えた。

 其処で初めてクィンが傍らにいないことに気付き、慌てて立ち上がる。ミアが一歩踏み出したところで、また竪琴が鳴った。


「私の名前はシエル。また会うことがあったら、君の名前を教えてほしいな」

「えっ……?」


 思わず後ろを再び振り向くも、其処には誰もいなかった。駆け寄ってきたクィンがミアをきつく抱きしめ、縋るような腕に閉じ込められる。するとそれまで嘘のように静かだった周囲の音が、いま思い出したかのように戻ってきた。

 その後ろからはヴァンもついてきており、なにやら難しい表情をしている。


「ミア様……! 突然お姿が見えなくなられて、心配致しました……」

「そうだったの……?」


 まるで幻でも見ていたかのような、或いは白昼夢から覚めたような心地でクィンを抱きしめ返す。


「でもわたし、広場から出ていないわ。ミンストレルの方がお歌を歌っていたから、聴いていたの。ほんとうよ。クィンを置いて行ったりしないって約束したもの」

「ええ、ええ……ミア様を疑ったりはしておりません」

「嬢ちゃんはミンストレルの《劇場》に呼ばれたんだろうな」

「劇場?」


 溜息交じりに零したヴァンの言葉に、ミアは変わらずクィンに抱きしめられたまま訊ねた。


「高位のミンストレルが使えるっていう領域系の魔法で、特定の相手だけ捕えたり、逆に追い出したりするような業だ。悪意を持って使えば人さらいも出来る代物だが、認定吟遊詩人がンなことしたら一発で権利剥奪だし、ちょっと話したかったってとこだろ。領域自体、其処まで強固じゃなかったしな」

「そういうのもあるのね……知らなかったわ」


 そうヴァンに答えたところで、ミアの体がふわりと浮いた。突然視線が高くなったことに驚いて見れば、心配を募らせたクィンが子供を抱くような格好でミアを片腕に抱え上げていた。


「クィン……! こんなところで、恥ずかしいわ」

「暫くはお許しください。人出もありますし、心配なのです」


 クィンに許可を取らずにふらついていた自覚がある以上、強く言うことも出来ないミアは、渋々ではあるものの頷いて体を預けた。

 羞恥の熱が引いて周りを見回す余裕が出てくると、クィンの目線で見る景色は己の目線で見る景色と随分違っていることに気付いた。


「わあ……!」


 視界が広く、遠くまで見渡せる上に、道行く人々の表情が見上げるまでもなくよく見える。

 街の施設の殆どは平均的なヒュメンの体格に合わせて作られている。中には大柄なリュカントなどの体格を考慮した場所もあるが、小さいほうにあわせたものは、ほぼ存在しない。子供向けの遊具等が精々なので、成長してもヒュメンの子供ほどにしかならないフローラリアは、人の街では基本的に見上げてばかりとなる。


「クィンが色々なところに良く気がつく理由の一つが、わかった気がするわ」

「恐縮です」


 真面目な顔で身長の話をしている主従を、可笑しそうに笑いながらヴァンが眺めている。

 一行はそのまま街巡りをして、夕方に宿へと戻った。


「ただいま、エスタ」

「お帰りなさいませ、皆さん」


 漸く地面に下ろしてもらえたミアが、エスタの元へ駆け寄っていく。

 この宿は昼食のみ食堂を開放しており、夕食の時間はゆっくり過ごしてもらうため宿泊客のみの提供となっている。日暮れも近くなったいまでは昼間の賑わいは遠く、キッチンも落ち着いている。


「先ほど、お城からの使者の方がいらして、明日のお城が開く時間には渡航許可証が用意出来るそうですよ」

「ほんとう? 色々あって忙しいでしょうに、ありがたいことだわ」

「何でも皆さんは、街の恩人だとかで……」


 不思議そうなエスタの表情を見て、ミアはエスタがこれまで城で起きた諸々を知る機会がなかったことをいま再び思い出した。昼食時に街の人から聞くかも知れないと思っていたが、あの忙しさゆえに雑談に興じる暇もなかったようだ。

 ミアが事の顛末を掻い摘まんで話すと、エスタは大層驚いて息を飲んだ。


「そんな……私、そんな大事なことを、なにも知らないで……」

「仕方ないわ。エスタはずっと一人でがんばっていたのだもの。わたしのほうこそ、あなたに教えるのが遅くなってごめんなさい」

「と、とんでもないです!」


 エスタは両手を振りながらそう言うと、深く頭を下げた。


「皆さんには宿のことから街のことまで助けて頂いて、ありがとうございます」

「いいのよ。わたしたちはわたしたちの目的を果たしただけだもの。ねえ、それよりエスタにお願いがあるのだけれど……」

「はい、私に出来ることでしたら何なりと」


 恩返しが出来るならと握り締めた拳を胸の前で構え、エスタは答えを待つ。ミアは一度ぐるりと宿の食堂内を見回してから、そろりと切り出した。


「あのね、今日の夕食はエスタとお母さまにも同席してほしいの」

「えっ」


 いったい、どんなことをすれば良いのか、恩返しのためならどんなことだってしてあげたいと思っていたエスタに告げられたのは、思いも寄らない提案であった。目を丸くして固まるエスタに、ミアは怖ず怖ずと続ける。


「……あのね、明日でわたしたち、港町に発つでしょう? だから、最後にたくさんお話がしたいの。だめかしら……?」

「だ、だめだなんてっ! きっと喜ぶと思うので、お母さんにも話しておきますね。もちろん、私もご一緒出来てうれしいです」

「ありがとう!」


 エスタの答えを聞くや、ミアはパッと笑顔になり、思わずといった様子でエスタに飛びついた。花翼が甘く香り、より輝きを増して咲き誇る。

 その様子は、詩が街に広がったときとよく似ていた。

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