エレミア色の馬車

 ――――翌朝。


「本当に、色々とありがとうございました。皆さまの旅のご無事を祈っております」

「こちらこそありがとう。とても楽しかったわ」


 ミアたちはエスタとステラに見送られ、数日過ごした宿をあとにした。

 一行の姿が見えなくなるまで深く頭を下げ続けるステラと、飛び跳ねながら大きく手を振るエスタ。温かな宿の記憶を胸にミアはクィンに手を引かれながら街を進む。


「そうだわ。お城に寄っていかないといけないわね」

「おう。渡航許可証な」


 職人通りを真っ直ぐ北へ進んで城門まで来ると、既に話が通っていたのか、門兵が背筋を伸ばして一行を迎え入れた。


「交易、渡航関係はあっちだったかな……」

「皆様方、此方です」


 城内をぐるりと見回して、先日行うはずであった許可証申請の手続きのために受付窓口があるほうへ行こうとすると、城の奥から呼び止められた。見れば、先日謁見の際に同席していた王子二人が、書簡台を手に立っていた。金の台座の上にエレミアの色である橙のクッションを乗せ、その上に許可証と思しき小さな巻物が載っている。

 まるで王族同士の重要な手紙でも扱うかのような仰々しさに、ミアたちはこの場に誰か貴族が来ていて、聞き間違えたのかと辺りを見回した。だが、開門直後の城内は静かなもので、誰もいない。


「ふふ。皆様でお間違いありませんよ」

「父に願い出て、僕たちが皆様にお渡しさせて頂くこととなりました」


 どうぞ、と大層立派な書簡台が差し出され、ミアは緊張しながら上等な巻物を手に取った。


「内容をお確かめください」

「ヴァン、代わりに見てくれる?」

「お、おう」


 ミアが広げた巻物を覗き、書面を確かめる。

 其処には国王の署名と王妃の署名、更に以下に記す者はエレミアの賓客である旨が記されており、丁重に扱うよう添えてあった。通常であれば、渡航許可証には国王の署名のみで、文面も以下に記す者の渡航を許可すると、文字通りに『渡航許可証』の一文しか書かれないはずである。


「コイツはまた、随分と大仰な……」

「皆様にはエレミアを救って頂いたのですから、これくらいは当然です。少なくともエレミアの息が掛かった港町アクティアファロスまでなら、この許可証さえあれば、だいたいの融通は利くでしょう」

「僕たちに出来るのはこれくらいですから、どうぞお役立てください」


 エレミア王家の温かな心遣いを胸に、ミアがふわりと微笑む。すると、その喜びを表すかのように花の香りが広がり、王子たちを包み込んだ。


「皆様の、旅のご無事をお祈りしております」

「ありがとう」


 最後に丁寧なお辞儀をして、ミアたちは王子二人に見送られつつ城をあとにした。


「エレミアから港町までは、冒険者向けの辻馬車が出ているのよね」

「おうよ。徒歩で行こうとすると十日くらいかかるからな。それが三日ちょいになる上に、馬車の中で眠れるんだから、利用しない手はないだろ」

「そうね。わたし、馬車は初めて乗るから楽しみだわ」


 足取り軽く、一行は街をゆっくり南下していく。やがて職人通りの端まで来ると、ミアはクィンに合図を送って一軒の店に顔を出した。


「ご機嫌よう、おばさま」

「おやまあ! いらっしゃい、お嬢ちゃん。来てくれてうれしいよ」


 立ち寄ったのは、エレミアに着いて初めて声をかけてくれたパン屋だった。店内は小麦の香りが満ちており、籠に並ぶパンはどれも焼きたてで美味しそうだ。

 街に着いたときとは違い、今回はヴァンもミアたちと一緒に店を訪ねている。


「うちに来たってことは、もう発つんだね」

「ええ。約束通り、お買い物に来たわ」

「お母さん、お客様?」


 ミアが女主人と話していると、店の奥から若い女性が顔を覗かせた。

 女性は女主人と同じ栗色の髪と瞳をしており、長い髪を一つの三つ編みにまとめている。服装はエスタが着ていたものとよく似た緑のエプロンドレスで、此方も独特の刺繍が裾に施されている。

 女性は女主人の陰になっていたミアに気付くと、ぽんと手を打って笑顔になった。


「その翼……もしかして、母の恩人さん?」

「えっ」


 いったい何のことだかわからずミアが目を瞬かせて女性と女主人を交互に見ると、女主人は「ああ、そうさ。この子だよ」と肯定した。それを聞いて女性は更に笑顔を華やがせて身を屈め、ミアの目線に合わせると小さな手を両手で包んだ。


「ありがとう! 母から、あなた方がこの街を助けてくれたって聞いたわ。昨日からきっとお礼をするんだって張り切っていたんだから」

「さあ、今朝焼きたてのパンだよ。お代はいいから、持っていっておくれ」


 女主人が店の一角から持ち出してきたのは、一抱えほどもある古紙袋に詰まった、焼きたてのパンの山だった。ミアには重いと思ったのか、ヴァンに向けて差し出している。


「こんなに……でも、おばさまを助けてくださったのは騎士様たちだわ」

「ええ。勿論、機転を利かせてくださった騎士様方にも感謝してるけど、あなた方がいなかったらなにも解決しなかったでしょう? だから、私たちの気持ちだと思って受け取ってほしいの」


 そう言われては、断ってしまえば彼女らの思いを突き返すことになってしまう。

 ヴァンは両手で抱えるようにして受け取ると、からりと笑って礼を言った。


「ありがとな。馬車旅の楽しみにさせてもらうぜ」

「そうね。そうするわ。ほんとうにありがとう」


 やわらかな笑みでお礼を言うミアの背後で、クィンも静かに目礼する。

 いつまでも大きく手を振る笑顔の母子に見送られながら、一行は街の外を目指して職人通りを進んだ。ヴァンの持つ袋からは変わりなくパンの香りが漂っていて、その香ばしい匂いを胸に含む度、あの親子の明るい笑顔が思い出される。


「お買い物のつもりが、頂いてしまったわね」

「また、訪れましょう。私たちの旅が終わったあとに」

「……ええ、きっと」


 クィンの何でもない言葉に頷いたミアの表情が、僅かに寂しげだったことを視界の隅に捕えたが、ヴァンは気付かなかったふりで前方を指し示した。


「見えてきたぜ。あれが辻馬車の駅舎だ」


 前方、街と外の境界付近を見れば、白い煉瓦で出来た平屋の建物が一軒と、それに寄り添う形で作られた厩舎があった。柱と屋根と、馬の腰から下だけを覆う板張りの薄い壁で出来た厩には、いつでも仕事に行けるよう整えられた立派な馬たちが並んでいる。傍には飼葉が山と積まれていて水もたっぷり与えられているようだ。

 厩舎の傍には落ち着いた橙色に金の装飾が施された貴族向けのものから、幌だけが張られた荷運び用の馬車まで様々ある。一般的な冒険者や旅人は、その中間のような質素な作りだが丈夫で機動力の高い、木製の馬車を多く利用しているようだ。


「皆様、お待ちしておりました」


 ヴァンもそのつもりで、冒険者たちが乗降している辺りに向かおうとしたのだが、ふと別方向から呼び止められた。声のしたほうを見れば、エレミアの護衛騎士が遠征用の正装に身を包んで立っている。周囲を見回しても、護衛がつきそうな貴族らしき人物の姿は見られず、なにより騎士の視線は真っ直ぐにミアたちへと向いている。


「? わたしたちのことかしら……?」

「はい。陛下より皆様をアクティアファロスまでお送りするよう承っております」

「ええっ?」


 思わぬ申し出に驚くミア。その傍ではヴァンも驚きを隠せずにいて、まだなにかの間違いではなかろうかという疑いが晴れないのか、辺りを確かめている。


「どうぞ、此方へ。馬車の支度は済んでおります」

「え、ええ、ありがとう……」


 未だに若干信じられない思いを抱きつつ、言われるまま騎士のあとを着いていく。冒険者たちが荷下ろしをしているのを横目に通り過ぎ、やがて辿り着いたのは賓客を出迎える駅舎だった。

 厩から最も距離のある位置に作られた駅舎は、凱旋広場に使われているものと同じ滑らかに磨かれた上等な石畳で舗装されており、此処から更に街中を行く装飾馬車や馬に乗り換えるための場でもある。雨天でも貴族や王族が快適に乗り降りできるようガゼボのような優美な装飾柱と屋根がついている。

 ミアは初めて見る貴族向けの駅舎に目を輝かせ、クィンはそんなミアをエスコートしながら手慣れた所作で石畳の上を歩いて行く。しかしヴァンはというと、あまりに場違いな空間に、胃もたれを起こしたような顔で二人のあとに続いていた。


「さあ、どうぞ」


 やがて一台の馬車の側まで来ると、待機していた騎士が扉を開けて頭を下げた。

 橙色のボディに黄金の繊細な装飾が施された馬車は、車体だけでなく馬にも上等な馬具が装着されている。車内には前後で向かい合う形で長椅子が設置してあり、当然冒険者用の馬車では当たり前な、木製の椅子に布をかけただけのそれとは全く風情も座り心地も違っている。

 まずクィンの手を借りて後ろの席にミアが座り、その正面にクィンが座る。そしてクィンの隣、すぐ外へ飛び出して行けるよう扉の近くにヴァンが座ると外から静かに扉が閉められた。

 エレミア独自の作法はともかくとして、世界的に通じる公用作法では、貴族令嬢や王妃などの女性が後部座席、後ろ向きに進むことになる前方の席には男性貴族や護衛騎士等が座ることになっている。この公用作法は、馬車の後方からならず者が追ってきたときなどに、男性がいち早く気付いて対処するよう習慣づけていたものがいつの間にか貴族間で作法として広まったものだと言われている。

 これはヒュメンの作法だが、旅に出るに当たって座学をしてきたという話を以前に聞いたのを思い出す。更に妖精王とも近しいらしいふたりは、やはり妖精郷の中でもそれなりに高い地位に属していたのだろうと、ヴァンは思った。


「では、出発致します」


 外から声が掛かり、鞭の鋭い音と馬の嘶きを合図に馬車が動き出す。

 いつまでも鳴り止まない軽やかな音楽と、楽しげな歌声が混じった喧騒を背後に、一行はエレミア王国をあとにした。


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