蘇りしかつての賑わい
ミアたちが部屋で寛いでいると、宿に新たな客が訊ねてきた気配がした。もめ事のような剣呑な雰囲気ではなさそうで、暫くすると階下が賑やかになり出した。きっとこれからは、いままでの分も忙しくなるだろうと安堵しているところへ、ミアたちの部屋の扉を叩く音がした。
「はい、どうぞ」
「失礼致します」
扉の前にいたのはエスタではなくその母であった。顔色も良く、立ち姿もしっかりしていて、見た限りでは昨日まで寝たきりだったとはとても思えない。
「お客様、ご昼食の準備が整いました。それから……私たち親子と宿を助けて頂き、感謝の言葉もございません」
深々と頭を下げる母に駆け寄り、ミアは頭を上げて頂戴と優しく言った。
「いいの。それに、一番がんばったのはエスタよ。わたしたちはわたしたちの目的を果たしただけだもの」
「ありがとうございます。申し遅れました。私はエスタの母で、ステラと申します」
顔を上げ、エスタの母ステラは眩しいものを見る目でミアを見つめる。
娘よりもだいぶ幼く見えるフローラリアの少女が旅をしている事実も信じ難いが、なにより彼女たちが街の異変を解決したというのだ。城でその様子を見ていたという職人が、まるで既に酒気を帯びているかのようなテンションで話していたのだから、きっと間違いないのだろう。
ステラは半身引いて廊下を示し、丁寧な所作で一行を階下へと誘導していった。
「体調は、もう大丈夫なの?」
「はい、お陰様で。これからはエスタと二人、宿を守り立てて参りますわ」
食堂に降りると数組の客が既に席を取っていた。元々席数が多くないこともあり、ミアたちが四人掛けのテーブル席を使うとほぼ満員となるほどだ。
三人に気付いたエスタが、パッと笑顔になって駆け寄ってきた。
「皆さま、お待たせしました」
「繁盛してるな。これ全部泊まりなのか?」
「いえ、いまいらっしゃるのはお食事のみのお客様なんです。どういうわけか、急にお客様がたくさんいらっしゃったんですよね……それに、お母さんも急に良くなったみたいで……」
不思議そうに首を傾げてから、エスタは「いけない、お食事をお持ちしますね」と言ってキッチンへ駆け込んでいった。
他の席を見回すと、街の住民らしき女性がステラに体調を伺う言葉をかけていた。どうやら、街で起きたことを住民から聞いているのはステラだけのようで、エスタは目まぐるしく変化する状況についていくので精一杯であるらしい。
「野菜とグゥの煮込みと、
ミアとヴァンが席に着くと、エスタが煮込み料理とスープをトレーに乗せて持ってきた。石鍋で煮込んだグゥの肉はとろけそうなほどやわらかく、共に煮込んだ野菜に肉の旨味がしっかりと染み込んでいる。ミアのために作られた料理は橙芋のクリームスープで、食材の名前が示す通り鮮やかな橙色をしており、湯気に乗って甘い香りが漂ってくる。
「わあ、綺麗な色ね。それに、とってもいい香り」
「このクリームスープは、エレミア王国の伝統料理でもあるんです。王城でも晩餐会なんかで必ず出されるそうですよ」
「素敵ね。王様や国のお客様と、街の人たちが同じものを親しんでいるなんて」
「ふふ。私もそう思います。このことは、……」
エスタは一瞬寂しそうに目を伏せるが、すぐに笑顔を浮かべて続ける。
「このことは、以前、エレオス様から伺ったんです。お城での生活や、王族としてのあり方など、私のような末端には想像も及ばないようなお話を……」
まるで二度と戻れない遠い過去を懐かしむ口調で、エスタはエレオスとの思い出を零した。其処で、ミアはエスタが昼前に目覚めてからずっと食事の支度に駆け回っていて、外の様子に気付けるタイミングがなかったことに気付いた。だが、伝える前に別の客に呼ばれて行ってしまった。
他のテーブル席では、真昼でもお構いなしに酒やつまみを卓上に広げている男性もいれば、薄く焼き上げた小麦の生地に果物を乗せてクリームを盛り付けた可愛らしいデザートを囲んでいる女性もいる。
「エスタもお母さまも、忙しそうね。安心したわ」
「だな。この様子なら、問題なくやっていけんだろ」
「わたしたちも頂きましょう」
木匙でスープを掬い、唇へと運ぶ。
とろりとした温もりが口の中に広がったかと思えば優しい甘さがミアの小さな舌を包み込む。名残を惜しむように飲み込むと胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じ、思わず溜息が漏れた。
「とっても甘くて美味しいわ。いまでも充分美味しいけれど、寒い季節に頂いたら、もっとしあわせな気持ちになれそう」
「橙芋は普通、冬前に採れる野菜だからな。いま市場に出回ってんのは倉に保存しておいたヤツで、ちょっと割高なんだぜ」
「そうだったの?……まあ、いけない。そういえばわたし、ヴァンにお使いをお願いしたのにお金を渡すのを忘れていたわ」
「ですがミア様、王から頂いたのは魔石です。換金してからのほうが良いのでは」
「気にすんなって。宿代は嬢ちゃんがその魔石で払ってくれたろ」
でも……と未だ納得出来ていない様子で言うミアと、なにやら難しい顔をしているクィンを後目に、ヴァンはマイペースに食事を進める。
「成り行きで連れ添ってるとはいえ、これも何かの縁だ。お互い細かい勘定はなしで行こうぜ」
「でもわたしたち、ヴァンにもらってばかりだわ。旅のことだって……」
「嬢ちゃんは勘定に入れてねえかも知れねえがな、城での一件は嬢ちゃんがいなきゃもっと大惨事になってたんだぜ。お互い得意分野で助け合ったってだけだ」
「そういうものなの?」
「おう」
ヴァンが一瞬も迷わずにスッパリと言い切ると、ミアは「そういうものなのね」と言いくるめられた。冒険者の先輩が言うならそうなのだろうと納得したミアに対し、クィンは若干渋い顔をしているが、敢えて気付かないふりで食事に集中した。
スープを食べ終える頃合を見計らってデザートが運ばれてきて、ミアはプレートの華やかさに大いに喜んだ。手のひらに収まるほどの小さなパンケーキに様々な果物がふんだんに盛り付けられたもので、皿の上に小さな花籠があるかのようだった。
ふわふわな生地のほの甘さと、甘酸っぱいフルーツ、濃厚なクリームとがとろけて混ざり、ミアは暫く言葉も発せられないほど感動していた。その代わり花翼がミアの喜びを充分なほどに表しており、食堂内を甘い香りで満たした。
「ごちそうさま。とっても美味しかったわ」
「食休みしたら買い出しにでも行くか。そろそろ次の旅に備えねえとな」
一行は一度部屋に戻って外出の支度をすると、エスタに一言告げてから外に出た。
街に到着したときにも明るく賑やかなところだと思ったが、城での一件が片付いたいまは、これまで以上に賑やかで華やかな街になっていた。
「ねえ、ヴァンは保存食って持ち歩いているの?」
「俺はあんまりだなァ。そんな洞窟やら森の奥に行くこともねえし、街から街へ移動するだけなら道すがら適当に魔物を狩ってりゃ、肉には困らねえしな」
そう言ってヴァンはバックパックから丸薬を取りだして見せた。灰色にも茶色にも緑にも見えるくすんだ色をしたそれを、ミアが不思議そうな目でじっと見つめる。
「これが俺の非常食……っつーか、栄養補給剤だな。長期間何も食えなかったときに囓るんだ」
「それは非常食というよりは、薬ですよね。しかも、必要になった時点で結構危険なものでは……」
「ははっ、さすがにアンタは知ってたか。ま、ずっと一人旅だったからな。つってもいまんとこ世話になったことはねえから、安心しろって」
クィンの補足を聞いて心配そうな表情になったミアの頭を撫で、安心させるように笑いかける。ヴァンは何処までも身軽で自由だ。必要最低限の武器と薬草、火打ち石代わりの焔石だけを持ち、その身一つで世界を旅してきた。
それこそ彼の二つ名、疾風が表すように。疾く、遠く。
「ヴァンはあまり荷物を持たないで旅をしているみたいね。わたしたちはどうすればいいのかしら」
「魔獣を持てるようになるまでは、身軽なほうがいいだろうな。執事さんも見たとこ重装備にゃ向いてなさそうだ」
「そうですね。次の行き先も街ですし、大袈裟な装備は必要ないでしょう」
そうと決まれば、一行は非常食と傷薬、布を補充するだけに留めて、あとは平和になった城下の観光をして過ごすことにした。
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