取り戻した姿

 もうすぐスープも煮込み料理も完成しようかという頃、入口扉の開く音がした。


「すまない。部屋は空いているだろうか」


 エスタがキッチンから食堂へ出ると、宿の入口には青年と女性二人が立っていた。青年は軽戦士風の剣と防具を身につけており、女性はそれぞれ異国の聖職者と魔術師らしき格好をしている。


「はい、ございます。ええと、二部屋でよろしいでしょうか?」

「ああ。それと、夕食と明日の昼食用の食材を持ってきた。これで料理を頼む」

「えっ」


 青年が差し出したのは宿代の銀貨と、新鮮なベンヌの肉に加え、クラディミールが人数分作れるだけの食材だった。エスタが驚いていると、青年は不思議そうな表情で「この宿は食材を持ち込めば調理をしてもらえると聞いてきたんだが」と言った。


「ええ、確かに承っております。ベンヌのローストを使ったクラディミールを三つでよろしいですか?」


 いつの間にうちの宿がそんなことになっていたのかと戸惑っているエスタの背後、キッチンの奥から母が現れ、青年から食材一式を受け取った。

 エスタは宿のシステムを変えて冒険者に発表した覚えなど無いはずと混乱したが、母はすぐに宿の現状と周囲の状況を推察して応対したのだ。

 エスタが話した通り、宿はいま客のための食材を買う金すらない。ミアたちが街で食材を買ってこの宿で使っている話は、恐らく商人のあいだでそこそこ広まっているはずである。ならば噂を聞いて宿を訪ねてくる人がいても何ら不思議ではない。そう判断した。


「頼む。職人通りで、此処の宿が噂になっていたんだ」


 青年の言葉で、母の中で推察が確信に変わる。

 エスタは母と自身との経験の差を思い知り、感服しながらやり取りを聞いていた。


「まあ。それは存じ上げませんでしたわ。良い噂だと良いのですけれど」

「勿論だとも」


 冗談めかして母が言うと、青年は笑顔で頷いた。後ろの女性二人は「いい匂いね」「これは先客の分でしょうか。私たちの料理も楽しみですね」と期待を込めて静かにはしゃいでいる。


「温かな家庭料理を供する宿で、部屋も素朴ながら自室のように寛げると専らの評判だった」

「旅をしてると、どうしても故郷が恋しくなるのよねえ」

「私たちはラトレイア出身なんですけど、不思議と余所の家庭料理にも懐かしさっていうか、郷愁を覚えるんですよね」

「まあ、そうですか。それは遠いところからようこそおいでくださいました」


 母はエスタに視線を送ると、客人を客室へ案内するよう告げた。

 急にミアたち以外の客が来たことや、街で噂になっていたらしいことなど、思いも寄らないことが次々起こって放心していたエスタは、母の言葉で我に返ると、慌てて青年たちに頭を下げる。


「失礼しました。お客様、お部屋にご案内致します。どうぞ」


 エスタが先に立って、青年たちを二階へと案内する。彼らの部屋は階段を上がってすぐ右側にある二部屋で、ミアたちが泊まっている四人部屋に比べるとだいぶ狭い、一人部屋と二人部屋となる。どちらもベッドと机、小さな物置棚があるだけの簡素な部屋だが、壁紙や窓の外に飾られた花が、素朴な彩りを添えている。


「可愛い部屋じゃん。何だか子供の頃の部屋を思い出すなぁ。あたし、こんな感じの部屋で妹と暮らしてたのよね」

「私は教会の孤児院でしたから、もっと大部屋でした。ベッドを全部くっつけて身を寄せ合って眠っていたんですよ」

「へえ、夜ってそんな感じなんだ。お手伝いだと泊まりにはならないからさぁ」


 室内に荷物を置きながら楽しそうに話す女性二人に一礼し、食事が出来次第部屋へ呼びに来ると告げると、エスタは階下へと降りていった。それを見送り青年も部屋に入ろうとしたとき、階段を挟んだ向かい側の部屋の扉が開いた。


「あ……貴方は……」


 何の気なしに廊下の先へ視線をやると、其処には青年たちが以前悪し様に嘲笑した相手、ヴァンがいた。向こうも青年に気付いた様子で、室内に一言声をかけてから、青年たちのほうへと向かってくる。

 青年も女性二人も、あの宿に泊まっていたときの記憶は綺麗に残っていた。自分がどんな振る舞いをして、何処で誰になにを言ってしまったか、しっかり覚えている。だからこそ彼らは街を巡り、住民たちに頭を下げて周り、出来る限り買い物をしたり話を聞いたりして半日を過ごしたのだ。


「こないだぶりだなァ」

「……あ、ああ……」


 緊張を張り付けたまま、青年はヴァンが近付くのを見守る。

 まさか宿で剣を抜くなんてことはないだろうが、そうでなくとも自分のしたことは許されないことだ。殴られるくらいの覚悟は決めて硬い表情のまま唾を飲み込んだ。

 目の前まで来たヴァンが、片手を上げる。思わず目を瞑ると額に手のひらが触れたような、温かい感触がした。


「あの宿にいたんだろ? 体調は問題ねえのか?」

「は……? え……?」


 意外な言葉と痛みを伴わない手の感触に青年は混乱しながらも目を開く。ヴァンは熱を測るように青年の額に手を添えつつ、軽く屈んで顔を覗き込んでいた。


「い、いや、ええと……特に問題はないが……その……」

「ぁン? 何だよ?」


 ヴァンの手から逃げるように一歩下がり、青年は思いきり頭を下げた。


「済まなかった! あの宿で何かよからぬ影響を受けていたとはいえ、ひどいことを言った。許されることではないとわかっている……本当に……あ痛っ!」


 頭を下げたまま謝罪の言葉を述べていると、突然旋毛にデコピンされて思わず顔を上げた。


「お前さんも他の姉ちゃんらも、ヒュメンだろ。あんなごちゃごちゃと魔石に塗れたところにいたらそりゃ影響も受けるだろうさ。気にすんな」


 その言葉に青年がぽかんとしていると、女子二人のいる部屋の扉が開いて魔術師のほうがチラリと顔を覗かせた。そして、青年がヴァンに気付いたとき同様「あっ」と気まずそうな顔になると、部屋の中にいるもう一人に声をかけて外に出てきた。


「あなた、この前の人よね……あの、ごめんなさい。言い訳でしかないんだけど……あたしたち、なんであんなこと言ったのか、自分でもわかんなくて……」


 眉を下げて、心底気まずそうに上目遣いでヴァンを見上げながら、魔術師の女性が謝罪をする。遅れて出てきた聖職者の女性に至っては、最早言葉もない様子で俯いてしまっている。


「さっきも言ったけど、気にすんなって。あの宿にいたヤツ、全員あんな感じだったらしいしな。あとのことは城の調査隊が調べるだろ」


 そう言うと、ヴァンは踵を返して背後にひらりと手を振った。

 ヴァンが泊まっている部屋の扉が開き、中に声をかける。中から聞こえてきた声は青年たちが我を取り戻したときに聞いたあの詩と同じ、稚い少女の声だった。

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