国の異変と街の民

 王城正面ロビーの一角、庶務窓口のある場所にて。

 冒険者に渡航許可証や滞在許可証などを発行する窓口が妙な賑わいを見せていた。人だかりが出来ており、ざわざわと背筋を粟立たせるような声が漏れ聞こえてくる。

 声音は不安を帯び、その群には許可証目当ての冒険者のみならず、他の部署に用があって訪れていた街の住民も含まれている。


「これはいったい……」

「第六王子直々のご命令だそうだが、それにしたって普通じゃないな」

「滅多なことは言うもんじゃない。きっとなにかお考えがあるんだよ」

「そうは言うが、最近のエレオス様は……」


 ボソボソと囁き合う住民に対し、冒険者たちは訝しげに眉を寄せるばかりだ。

 此処にいるのは例の立派な宿に泊まれなかった者ばかり。なにせあの宿に泊まっている冒険者は、曰く選ばれた人間であり、昼間から城に詰めかけて仕事を探すような底辺ではないのだそうで。

 そして、街に点在する小さな宿に泊まっている『選ばれなかった』冒険者たちは、誰もこの街で起きている異変について、宿の主人や商店街の店主たちから聞かされていた。エレオスの乱心。客を選別する、奇妙な宿。その宿に泊まった人たちに起きる異変など。聞いてはいたが、どうすることも出来なかった。

 その矢先の、この異様な御触書である。


「これも、エレミアの異変なのか……?」


 ざわめきの中、誰かが、ぽつりと零した。

 窓口に群がっている人々の視線は、一つの御触書へと注がれている。

 其処には、エレオス直筆のサインを添えてこう書かれていた。


 ――――以下に記すフローラリアと妖精の二人を仕留めた者に、臨む限りの報償を与える。


 その文言と共にターゲット二人の外見的特徴と、それからヴァンの特徴を添えて、ついでに粗野な冒険者も加えた三人で行動しているとも記されている。住民の中にはすぐに思い当たった者もおり、しかし、報償を目当てに殺しに行こうなど考える者は誰一人いなかった。

 何故なら其処に、罪状が書かれていなかったから。

 殺傷の依頼が出されるような冒険者は、抑も無辜の市民を虐殺したり貴族や王族に危害を加えたりと、一線を越えた者である。それでも大半は捕縛依頼になるものだ。明確に殺すよう言われるのは、生け捕りを狙うと冒険者側の被害が大きくなる場合に限られる。それほどの重罪を城下町で犯したのなら少なくとも複数人被害者がおり、相応の目撃例があるはずで。

 しかしこの場にも街にも、物騒な噂は欠片も流れていなかった。


 そんな、いつもとは違う王城へ、いま最も来るべきではない客が訪れた。


「何だか賑やかね。なにかあったのかしら」

「良くねえ気配だな……遅かったか?」


 声のしたほうを住民が見たとき、誰もがぎくりとした。そして、集団の中から街の入口で出逢ったパン屋の女主人が飛び出してきて、ミアの元へ駆け寄っていった。


「おばさま、どうなさったの?」

「お嬢ちゃん、悪いときに来た! 此処にいちゃいけない、すぐに……」


 女主人が、慌ててミアたちを帰そうとしたときだった。


「すぐに……なんだって?」

「ひっ……!」


 城の奥から、コツコツと靴音を響かせて、渦中の王子が現れた。

 王家の血筋であることを表す橙色の髪も淡い金色の瞳も、なにも変わっていない。声も姿も、口調も、なにもかもが住民たちの記憶にあるエレオスと相違ない。だが、彼の目の奥に宿る薄暗い光だけが過日の優しい青年の面影すらないことに、困惑していた。


「僕の命令書には、それを仕留めろとあったはずだ。臣民でありながら王子たる僕の命に背くつもりか?」


 薄く笑みを浮かべていながら、瞳は昏く澱んでいて、僅かも笑っていない。

 その空恐ろしさに一歩女主人が後退ると、護衛騎士がその両腕を捕えた。


「おばさま!」


 駆け寄ろうとしたミアを、クィンが引き止める。クィンもヴァンもエレオスたちを真っ直ぐ見据えており、王城ロビーは華やかな内装が嘘のように、張り詰めた空気で満ちていた。


「エレオス様、この者は地下に収容して参ります」

「ああ、是非そうしてくれ。あとでじっくり話を聞きたいからね」


 エレオスに進言し、立ち去る間際。護衛騎士は、甲冑の隙間からクィンとヴァンに視線を送った。それを見た二人は一瞬ごく僅かに瞠目するが、すぐに表情を戻して、エレオスと睨み合う。


「宿では随分と邪魔をしてくれたな。お前たちさえいなければ、エスタは僕のものになっていた。この償いは、お前たちの命でも安いくらいだ」

「償うべきはアンタのほうだぜ、王子様。宿屋の姉ちゃん泣かしてなにしてやがる」

「黙れ! エスタは僕のものだ! あれは僕のものだ! 彼女は! 僕が手に入れるはずで……違う、僕は……エスタは、僕が、邪魔さえ入らなければ……邪魔さえ……あのとき、僕は……!!」


 妄執を叫ぶエレオスの目が、不意にどろりと澱んだ。体の中心から末端へ向けて、肌を蛇が這うようにして黒い紋様が刻まれていく。そしてその紋様が顔まで至ると、エレオスの白目が黒く染まり、美しい金色の瞳が腐敗した血のような、赤黒い色へと変わった。


「ヒッ、災厄の魔石……!」

「なんてこと……嘘でしょ……?」

「まさか王子が魔骸になるなんて……この国はどうなってしまうんだ……」


 冒険者の誰かが引き攣った声を上げ、住民の誰かが怯えた声を零した。

 エレオスの体に起こった異常は災厄の魔石の欠片に取り憑かれた者に起きる末期の変異。

 肉体が黒く染まっていくほどに王子の気配が薄らいでいく。塗り潰されているのは表面だけではないと、否応なしに思い知らされる。そして放置すれば、彼は肉体のみならず魂まで災厄の魔石に侵されてしまうだろうことも。

 王子は焦点の定まらない目を片手で覆い、俯きながらブツブツとエスタへの執着を呟き続ける。それはやがて、『何』に対する執着であったかもわからない散らかった言葉になり、いつしか歪んだ妄執だけを垂れ流す人型の影と化していった。


「クッソ、マジかよ……」


 黒く染まっていくエレオスを睨みながら、ヴァンが舌打ちをする。

 ヴァンが二度と会いたくないと言っていただけあって、魔骸は自然界の魔素を無限補給して肉体を再生し続ける不死の化物だ。しかしヒュメンは、魔素耐性が最も低い人型種族。ゆえにその無限の再生こそが変異と自我の喪失を加速度的に進行させる、一番の要因でもある。


「ヴァン。あなたに頼みがあります」


 内心焦るヴァンに、真っ直ぐエレオスを見据えながら、クィンが静かに言った。

 凪のような低い声で名を呼ばれただけで、逸る心臓が僅かに落ち着くのを感じた。こんなときでさえクィンは表情一つ揺るがない。それが頼もしくもあり、恐ろしくもある。


「……なんだよ。まさかあれを倒すってんじゃねえだろうな」

「そのまさかです」


 は、と喉奥から掠れた空気が漏れた。

 なにを言っているのかと問うより先に、クィンが続ける。


「そのためにも、ミア様に決してあれを近付けないでください。指一本、血の一滴、砂粒一つでさえも。そして同時に、なるべく彼を傷つけないでください」


 そう言われ、ヴァンはミアのいるほうへチラリと視線をやった。彼女は、クィンとヴァンから数歩下がったところでじっと佇んでおり、両手を祈りのような形で組んでいながらも真っ直ぐエレオスを見つめていた。握り締めた手も細い二本の脚も幽かに震えているが、しっかりと立っている。


「いくら何でも、あんな化物相手に手加減出来る自信はねえぞ」

「問題ないでしょう。先の戦いであなたはミア様を守り通すことが出来ましたので」


 あくまでもクィンは冷静さを崩さない。

 大森林での戦いでヴァンを監視していたクィンは、ただ単に警戒していただけではなかった。いつか訪れるであろう魔骸との戦いで役に立つかどうかを、見極められていたのだ。

 まだなりかけとはいえ魔骸と田舎のバンディットを同じ天秤に乗せないでほしいというヴァンの尤もな願いは、言葉に出来ないまま喉奥へと消えていった。何故なら、エレオスが獣じみた咆哮を上げ、一行を敵と認識して睨み付けたからだ。


「チッ、それで何とかなるってんなら、やってやろうじゃねえの!」

「来ます……!」


 ヴァンが武器を構え、クィンがレイピアを抜き、ミアは震えながらも前を向く。

 ロビーの隅に集まっていた冒険者たちは、下手に動けば此方に意識が逸れるのではないかと思うあまり動けずにいた。せめて、受付をしていた城の従業員や戦闘技術がない住民の盾くらいにはなろうと、エレオスたちの動向を見守っている。


『グォオオオオオオアアアアアァァ!!』


 理性を失った獣のような咆え声を上げ、エレオスは前に立つ二人に飛びかかった。大きく振りかぶる腕には獣人のような爪を生やしており、ヴァンの短剣と組み合うと人体にあるまじき硬質な音を立てた。ヴァンが、眼前で交差させた二本の短剣を振り抜けば、エレオスも背後に飛び退く。

 着地と同時に踏み込み、再度ヴァンに切りかかろうとしたエレオスの視界外から、ヒュッと軽い風切り音と共に細い剣先が飛び込んだ。


『ギャッ!!』


 レイピアの先に片目を刺され、反射的に飛び退る。

 守るものもない剥き出しの眼球を刺したにも拘らず、殆ど傷ついていない。着地の姿勢は最早獣人のそれですらなく。エレオスは四つ足で地を踏みしめて歪な牙を剥き出しにし、血色の瞳で睨めつけた。

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