傷③/澤村 分八(さわむら ぶんや)

告白したのはどっちだと聞かれれば俺だけど、

最初にその雰囲気を作ったのはなるみのほうだった。

元から双子で可愛い子が居るって評判だったなるみはクラスでも人気が高かった。

男子の間では、なるみと付き合うのは一番顔がいい時田じゃないかってもっぱらの噂だった。


けどその時田は新学期早々に妹のほうの桜井とカップルになって、

大本命が居なくなったことで下剋上もあり得るのかと全員が内心期待していたなか、

なるみが選んだのは何故か俺だった。


夏休みに入る前。

普段からよく話をするはずのなるみが、

いつもとは少し違う雰囲気で声をかけて来た。


「澤村くん」

少し高めなその声に振り返った。

誰とでも明るく気さくに話せるなるみが、

妙にしおらしい様子で立っていた。


「桜井?」トイレに向かう足を止めた。

「ごめんね。今、いい……?」

「いいけど……」

「今日、放課、少し話せないかな?」

「別にいいけど。部活あるから遅くなるぞ」

「いいの。待ってる」

「じゃあ教室で」

「うん……、ありがとう」


その日の放課後なるみに呼び出された俺は、

かなり遠回りな言い方で「前からずっと気になってた」というような話を伝えられた。

そして、よかったら週末に遊びに行かないかと誘われた。


俺は俺で、クラスで人気の女子に誘われて悪い気はしない。

日曜日に映画に行って1日中遊んで、

その日はなるみと2人で存分に楽しんだ。

なるみも楽しそうに目を輝かせていた。

そして2週間後の終業式の日。


すっかりなるみが気になってきた俺は、

自分からなるみに告白した。

シンプルに「付き合って」と言うと、

なるみはすぐに頷いた。


無事付き合うことになった俺たちは、妹のほうの桜井カップルと合わせて学年中に知れ渡ることになった。

何月何日が記念日なのかも、告白のセリフもシチュエーションも皆知ってる。

照れくさいけど、俺もなるみも困ってないから放置していた。

他の男が寄って来ないし、困ったら皆事情を知ってるから周りに相談もしやすい。


自分でも順調に付き合ってると思ってた。

なるみは嫌なことは嫌と言ってくれて、

喜ぶ時は素直に喜んでくれる。

コミュニケーションはちゃんと取れてると思ってた。



だから、なるみにあんな知らない一面があると思わなかった。



その日学校に着くとクラスが騒がしかった。

なるみの席のあたりに皆群がっている。

何が起こってるのか分からないまま席に鞄を下ろした。


「おはよう。あれ、どうした?」

「あ、澤村……。お前あれ、知ってたか--?」

隣の席の佐藤は妙に真剣な顔をしている。

「あれ……?」

「お前も見て来いよ」

「うん……?」


言われるがままに輪に加わってその中心を覗き込んだ。

囲まれていたのは案の定なるみだった。

人の隙間から見えたなるみの横顔には、

昨日まではなかった大きな傷跡があった。


綺麗だったなるみの頬を二つに分断するみたいに、上から下にざっくり線が入っている。

そこだけ肌が汚い茶色になっていて、

昔テレビの時代劇で見た古い刀傷みたいだ。


クラスの連中も、なるみの顔に大きな欠点ができてしまったことが気になるみたいだ。

不倫した芸能人でも問い詰めるみたいに口々に質問している。


なるみは普段の様子とは違って、

皆に囲まれながら無表情で口を閉ざしてた。


その日からなるみは変わってしまった。


心配して声をかけても、

俺のことも無視をする。

まるで俺の声が聞こえてないみたいにこっちを見ようともしない。


担任の先生と一緒に保健室に行って、

ひとまず心配はないって言ってたから大丈夫なんだとは思うけど。


急な態度の変化の理由が分からなくてかなり混乱した。

皆の相談役になっている東等に何か知らないか聞いてみても、東等も何も知らないみたいだった。



話かけても会話ができないから、

なるみが落ち着くのを待っているしかなくてストレスが溜まる。

友達に愚痴ってはみるけど、解決はしない。

そうやって様子を伺っているうちに状況は思いがけなかった方向に向いてしまった。


全く目立たない同級生の一人でしかなかった宗方が、なるみにしつこく付きまとうようになった。


なんの思惑があるのか、なるみに無視されてるのに全くめげている様子はない。

最初はすぐ終わるだろうと思っていたけど、

いつまでも金魚のフンみたいに後をつけるのを止めない。

しかもだんだん、なるみを見る目に変な熱が帯びている気がする。


面白くない光景にイライラしていたら、

もっと変なことが起きた。

なるみの傷の謎を突き止めようとする数人の女子達の間でこんな噂が立ち始めた。


『あの傷ってきっと澤村君のせいだよ。実はDV彼氏なんだって』


もちろん根も葉もない噂だ。

なるみに手を上げたことなんで一度もない。

声を荒げたことだってない。


なんでそんな勝手なことを言われるのか分からないけど、噂はあっという間に学年中に広まった。

何故だかなるみの腕やお腹にアザがあるのを見たという話まで出始めた。


そのせいで俺は余計になるみに近づきにくくなってしまった。近づくだけでクラスの女子から視界の端で見られているのを感じる。


なのに宗方は、毎日のようになるみにちょっかいをかけている。

いい加減頭に来た俺は宗方を呼び出して注意することにした。


人気のない廊下に呼び出して問いつめた。

すぐに謝るかと思ったら宗方は意外にも反抗して言い返してきた。


頭に血が上ってつい手が出かけてしまったけど、丁度よく東等が通りかかってくれたお陰で少し冷静になることができた。


宗方も結構怖がっていたみたいだからもう大丈夫かと思ったら、そうでもなかった。

暫くして宗方がなるみに告白したらしい。

口の軽いクラスメイトが教えてくれた。

人の彼女に告白するなんて正気じゃない。


今度こそ本気で怒った俺は、

もう一度宗方を呼び出した。

今度は廊下じゃなくて校舎の裏だ。


「お前、なるみに告白したって本当か」


壁際に追い詰めたむ宗方に詰め寄った。

校舎の壁に張り付いた宗方の目に、子犬みたいな怯えが見える。

そのくせ胸は張って、態度だけは一丁前だ。


「僕たちの絆は神様に決められた運命なんだ。邪魔しなでくれ」

「またそれか。この間から何言ってんだよ、勘違いもいい加減にしろ!」

「勘違いなんかじゃない。証拠がある」

「証拠?」

「……教えてやろうか?」

宗方が口の端を持ち上げた。

「な、なんだよ……」

何か俺の知らない、とんでもない秘密が出て来るのかと身構えた。

宗方はぐいっと顔を寄せてくると、

脂のういた小鼻を見せつけて来た。


「これだよ。これ」

「え?」

「見えるだろ。鼻の所の傷だ」

「ああ……、あるけど」

「この傷で、僕と彼女はは繋がってる」

「はあ――?」

「彼女の頬にできた傷は見ただろ。俺達は『祝福』された。これはその証だ」

「お前あの傷について何か知ってるのか?」

「さあ? 知ってても澤村には教えない」

「お前、おちょくってんのかよ!?」

「僕と彼女の秘密だ」

「ふざけんなっ!」

右手で軽く肩を薙ぎ払っただけのつもりだったのに、宗方は大きく左にバランスを崩して尻もちをついた。

ドサッという音と共に地面に手をつく。


やりすぎたと思って手を貸そうとしたと時、

部活の準備で備品を取りに来たクラスの奴等が角を曲がって俺達を見つけた。

野球部に入ってる4人組の仲のいいグループだ。


追い詰めるように立っている俺と、

地面に手を付いている宗方を交互に見て、

そいつらは面白いものを見つけた顔をしていた。


嫌な予感がしたけど誤解を正す間なく4人は背中を向けてどこかに行ってしまった。

案の定次の日には、俺が宗方に暴力をふるっていたことになっていた。

ついでに、なるみの傷も俺のDVだという説が有力になってしまった。

確かに宗方の肩を押したのは事実だから、

否定が仕切れなくてどう説明すればいいのか分からなかった。


女子の結束力はすごいもので、

一旦俺が『弱いものに手を出すタイプ』だと分かると、まとまって動く羊みたいに、女子全員から一斉に無視されるようになった。


それだけならまだどうにかできたかも知らないけど、その発信源が野球部だっせいで、

男子からは攻撃的なやり方で迫害されるようになった。


いわゆる、いじめだ。


俺の持ち物は隠される。

何もしてないのにクスクス笑われる。

すれ違い様に「死ね」と言われ、

階段を下りてる時に背中を突き飛ばされる。


ほんの1週間前まで仲良く喋ってた奴でさえ、

俺の状況を知りながら見て見ぬフリをした。

今までこんな風に仲間外れにされたことがなかったから、初めてのいじめは想像以上にショックだった。


オセロの白が、一斉に黒にひっくり返った感じだ。


なるみに近づこうにも、なるみからも避けられて、それを見た女子からは笑われる。

こうなった原因の宗方は自分の席に座って知らん顔だ。

こんなことで情けないと思うけど、あんなに毎日通っていた教室に居るのが怖くなった。

少しでも1人で安心できる場所が欲しかった。


妹の桜井と学級委員長の東等は、

俺は悪くないんじゃないかと助け舟を出そうとしてくれているみたいだけど、

そんな小さな声は完全に無視されていた。


いつも誰かが隣に居た昼休みも、

母親が作ってくれた弁当を持って人の居ない階段を探して彷徨う日々だ。


トイレの個室に駆け込まなかったのは

あの臭さが苦手なのと、

俺の小さなプライドがそのまでこちぶれたくないと意地を張ったから。


その日もやっと見つけた学校の外階段の上で風に吹かれて弁当を食べてる時、

階段の下から女子の声が聞こえてきた。


「ねぇ、あれヤバくない? 治るの?」

「……さあ。私も分かんない。でも、なるは平気だって言ってる」


2人の女子が喋りながら俺が居る階段の下を通っている。そのうち片方は桜井の声だ。


「あんな大きな傷、どうしたんだろうね」

「分かんないよ。病院に行っても、ただ傷が治ってる途中にしか見えないって言われたみたいだし……。お母さんすごく悩んでた。一生消えなかったらどうしようって」

「そりゃそうだよねぇ。早く治るといいね」

「うん……」

「何? どうかしたの?」


桜井の沈んだ声にもう1人の女子が心配そうに声をかけた。気になって、俺も箸の手を止めて聞きいってしまった。


「……正直、今のなるは何か変なんだよね」

「変?」

「うん。傷ができてから別人みたい。私が話しかけてもあんまり喋らないし。彼氏が大変な目にあってても無視してるし」

「ああ……。澤村くんでしょ? でもそれはしょうがなくない? てか、なるみの傷だって澤村くんがやったって噂じゃん」


一瞬、隠れている俺の心臓が大きく跳ねた。

あんまり大きい音がしたから2人にも聞こえたかと思ったらくらいだ。

そっと上から様子をのぞいたら大丈夫みたいだ。何も気付かないで話を続けている。


「私、澤村くんのせいじゃないと思う」

「え、そうなの?」

「だって、あの日帰ってきたなるには傷なんてなかったもん。その後家から出てもないし。で、朝起きたらあんな茶色の傷跡になってて……」

「ええー? そうなんだ? ウチもてっきり澤村くんのせいかと思ってた」

「違うよ。澤村くんそんなタイプじゃないし」


また俺の心臓が大きく動いた。

桜井が俺の噂の誤解を解こうとしてくれているのは本当だったらしい。

信じてくれる人の存在がこんなに嬉しいと思ったのは初めてだ。


『ありがとう』


口にできない感謝を何度も唱えて、

お弁当の続きを食べた。

口に入れた卵焼きの味が妙に温かくて、

非常階段で1人、涙がごぼれた。

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