傷②/東等 優生(とうどう ゆうき)

昔から優等生な僕は、親にも先生にも手をかけさせたことがなかった。

「お利口さん」と褒められるのも当たり前。

大人からの評判は上々だった。



怒られると分かっていながらイタズラをしたことなんかない。

『やっちゃダメ』と禁止されたことを破ったこともない。


成績はいつもクラスで3番か4番くらい。

成績の心配をさせて塾に行く費用をかけさせたこともない。


人見知りもしないから、

大人でも同世代でもそつなく話せる。

小さい頃から意識しなくても相手が欲しがっている言葉が分かったし、

それを言うと皆不思議なくらい笑顔になって勝手に僕を気に入ってくれる。



だから皆僕のことを信用してくれて、

僕の言うことは聞いてくれる人が多い。


先生達もそれを知っていて、

細々した用事を任されることが多かった。

そのままの流れで毎年のように学級委員や生徒会役員を任さるのがお決まりのパターン。


今年のクラスでもそうだ。

僕は新学期初日で学級委員を任された。


初めはクラスのメンバーのこともよく知らなかったけど、数か月経った今は色んなことが分かってきた。


例えば、同じクラスに双子の姉妹のお姉さんのほうが居る。


名前は桜井なるみさん。

妹さんは隣のクラスののぞみさん。

一卵性双生児で顔もよく似ている。


なるみさんには彼氏が居て、

同じクラスの澤村くん。

のぞみさんの彼氏も僕と同じクラスだ。

だから、のぞみさんはよくこっちのクラスに遊びに来る。


なるみさんとのぞみさんに、二人の彼氏。

4人で話している声はとても楽しそうで、

クラスの雰囲気も明るくなる気がする。


桜井さんは二人とも人懐っこい可愛らしい顔をしていて、傍から見ても男女問わず友達の多い姉妹だと思う。

彼女立達のお陰で今年のクラスは雰囲気もよくて、学級委員の僕も助かっている。


今年のクラスは大きな揉め事も起こらなそうだ。




そう思っていた矢先、

初夏の季節に思いがけないことが起きた。


その日、僕は日直だったから早めに学校に着いていた。

職員室から教室の鍵をもらって、

窓を開けて空気を入れ替える。


黒板の日直の欄に名前を書いておく。 

日誌を取り出して今日の時間割を書き込んでいる時に、静かな廊下から足音が近づいてきた。


僕の他にもこんな朝早くから登校してくる人が居るのか。

その足音はドアの前で止まった。


教室のドアが開いて人影が現れた。

視線を上げると、そこに居たのは桜井なるみさんだった。


「あ、桜井さん。おはよう。早いんだね」


クラスメイトとの良好な関係のために声をかけた僕の行動は空振りだった。

彼女は僕を無視して斜め前の自席についた。


そんなこと初めてだ。


僕じゃなくても、誰かが話しかけて桜井さんが返事をしないところなんて見たことない。


彼女の育ちのよさなのか、

いつだってきちんと目を合わせて話を聞いてくれる姿が印象的だったのに。

きっと今日はたまたまま機嫌がよくないだけなんだろう。


そう思って受け流そうとした時、

揺れた彼女の髪の隙間から見えた横顔に大きな異変を感じた。


彼女の右頬に大きな茶色い線がある。

よく見るとそれは、

かさぶたが剥がれた後の痛々しい傷みたいだった。



「……桜井さん。その頬は傷? 大丈夫?」


彼女は髪で頬を覆うようにして隠した。


「--なんでもない」

「なんでもなくないよ。昨日はなかったよね?」


僕の問いかけには答えず、

桜井さんは何も言わず机に鞄だけを置いて教室から出て行ってしまった。

彼女の背中がドアの向こうに消えて行く。


一体なんだっんだ。

少し呆然として僕はやるべきことに戻った。

追いかける気は特にない。

本人に大丈夫と言われた以上、

問題がないなら僕の出番じゃない。


皆と仲良くはしても、必要以上に他人の事情には踏み込まない。

そもそも踏み込みたいとも思わない。

今までだって、ずっとそうしてきた。




日誌の次は授業の予習に取り掛かった。

そうしてる間にクラスメイトもどんどん登校してくる。

皆教室に入ってきては口々に挨拶を交わす。


いつもと同じ平和な朝だったけど、

桜井さんが戻ってきたことで教室の中は騒然となってしまった。


まあ無理もない。

女の子の顔に隠しようのない傷があるんだ。

皆で彼女を取り囲んで大騒ぎだ。


特に仲の良かった女子数人は、

大袈裟に眉をひそめて同情の顔をしている。

彼氏の澤村くんも少し離れた位置から驚いたように桜井さんの傷を見ていた。


皆どうしたのかと矢継ぎ早に質問したけれど、

何を聞かれても彼女は無言を貫き通すばかり。


教室にやってきた生徒がギョっとした顔をして驚いてから、

彼女を取り囲む輪に加わるという現象が何度も繰り返された。



確かに一夜であんな大きな目立つ傷ができていたら気になるのは分かる。


特殊メイクでもない本物の傷で、

しかも傷跡が古すぎる。


頬を真っ二つに割る縦の傷口はもう塞がっていて、カサブタとも皮膚とも取れない茶色い皮で汚れのように覆われている。



初めは驚いたけれど、

正直僕はそこまで興味が持てなかったから皆の様子を少し離れた自席で見ていた。


これがもし血が出て痛そうにしてるなら、

学級委員として率先して保健室に付き添そってあげる。

でも彼女は痛がってもないし血も出てない。

現状で彼女の体調に問題がないなら、

顔に傷があってもなくても、

僕としてはどっちでもいいことだ。



僕がやるべきなのは、

先生が来る前にこの騒ぎを落ち着かせておくことくらいだ。


なんでそんなに興奮できるのか、

皆の声は廊下にまで騒音が響くほどの騒音になっている。

きっと他のクラスにも迷惑がかかってる。


立ち上がり極めて穏やかな物腰で、

皆に落ち着つよう声をかけた。

ついでにそろそろ先生が来ることも教えてあげた。


桜井さんに群がっていた人達は牧羊犬に誘導される羊みたいに、

ゾロゾロと自分の席に戻って行った。


後からやって来た先生が桜井さんの傷跡を見て目を丸くして、彼女を職員室に連れて行って一時的に自習となった。

先生と桜井さんが一緒に教室を出て行く。



自習と言われて大人しく自習する奴は少ない。皆ざわざわとまた傷跡について話をし始めた。


今までずっとメイクで隠してたんだ。

ねぇ、あれ誰がやったんだ?

せっかく顔可愛かったのに、もったいねぇよなあ。


そんな話し声があちこちから聞こえる。

聞いている感じどれも空想の話ばかりで核心をつくもなはない。



戻ってきた彼女は相変わらず無口で無表情。

今までと印象がまるで違う。


先生の方が困惑していて、

とりあえず、彼女の怪我は急を要するものではないことを皆に伝えて通常授業に戻って行った。



その日から、

いつもの日常が過ぎているように見えて、

ほんの僅かに違う日々が始まった。



桜井さんと仲の良かった女子は一緒にいるところを見なくなった。

のぞみさんはこっちのクラスで見かけなくなったし、

彼氏の澤村くんは桜井さんと話してるところを見なくなった。


そしてもう一つ変わったことがある。


今まで目立つタイプじゃなかった男子生徒が、桜井さんに絡んでいるのが目撃されるようになった。


いつも自席で本を読んでいる宗方くんだ。



彼が今まで桜井さんとまともに話をしているのを見たことがない。

確かに席は隣だけどあまり交流もないはずだ。

彼自身も他人と交流するより自分の世界に居たいタイプかと思っていたから、

僕も無理に関わろうとはしなかった。


それが何故か桜井さんの顔に傷ができてから

執拗に彼女を追い回すようになっていた。



でも相手にはされていないみたいで、

話しかけても大抵は無視をされている。

それでも宗方くんは辞める気配がない。



一体なんの用があるのかは知らないけど、

彼氏の澤村くんがよく思ってないのは明白だ。

彼が桜井さんに話しかけるたび、

澤村くんの顔が険しくなっていることに彼は気付いていないんだろうか。


このままだと澤村くんと宗方くんがケンカをしてしまうだろう。

運動部の澤村くんを前にして縮こまる宗方くんの様子が容易に想像できる。


事前に警告してあげようと思っていたけど、

そうしているうちに彼は澤村くんに呼び出されてしまった。


皆んなの目を盗むように二人連れ立って人の少ない廊下の端に移動して行くのが見えた。


学級全体を見守る立場として一応、

大惨事にならないかこっそり様子を見に行くことにした。

トイレに行くフリをして二人の後を離れてついて行く。

二人からは見えない角の死角に立って耳をすませた。



「お前さ、なんのつもりなわけ」

「……い、いきなりなんのことだよ」

「とぼけんな」

「な、な、なんだよ……」

開始早々、宗方くんは澤村くんの圧に押されてるみたいだ。少し言葉がどもっている。


「なるみにつきまとってんだろ」

「べ、別に付きまとってるとかじゃないし」

「しょっちゅう声かけて無視されてるだろ」

「僕はただ、大事な話をしようとしてるだけだ……」

「何だよ大事な話って」

「き、君には関係ないだろ」

「関係あるだろうよ。付き合ってんだし」

「最近話してるところを見ないけど……?」

「それは……今は少し、距離を置いてるだけだ」

「へぇ、そういう言い訳するんだ?」

「なんだよ。そんなのどうだっていいだろ」

「僕と彼女は特別な関係なんだ。澤村こそ邪魔なんだよ」


鼻にかかった得意げな声色がした。

これはよくない、と思ったのと同時にドンッという音がした。


たぶん、澤村くんが壁を叩いた音だ。


「いい加減にしろ! 二度とあいつに近づくな!」


怒号が聞こえたから、

僕はいよいよ突入することにした。

騒ぎをできるだけ最小限に抑えるのも僕の役目だ。


偶然そこを通りかかったような雰囲気で、

わざと大きめに足音を鳴らして近づいた。

角を曲がって二人の前に姿を見せて、

ちょっと驚いた顔をして見せる。


「あれ、二人が一緒なんて珍しいね。どうしたの?」


澤村くんは壁に叩きつけた手をポケットにしまった。


「別に……。ちょっと話し合ってただけだ」

「ふうん? 澤村くんと宗方くんに交流があると思わなかった」

「交流なんかないさ。ぼ、僕は言いがかりをつけられてたんだ」

「なんだと」澤村くんが一歩詰め寄る。


さくりげなく二人の間に入って澤村くんの進路を遮った。


「そういえばさっき大きい音がしてたけど。

澤村くん、もしかして手をぶつけたんじゃないの? 保健室に言ったほうがいいよ」


裏を感じさせない僕の親切そうな笑顔に澤村くんは何も言わないでその場を立ち去った。

普段の彼は、クラスの中心になって皆を明るく盛り上げてくれて仲間思いの人だ。

無駄な争いが好きなタイプじゃなくて助かった。


去って行く彼の後ろ姿を見ながら、

宗方くんは後ろでボソボソと陰気な小言を垂れていたけど、

僕はそれを放置して教室に戻った。

陰湿な独り言は言いたければ勝手に言わせておけばいい。

問題にならないうちは、僕の知ったことじゃない。



それから後も細々したイレギュラーなことは起こった。

傷ができてから滅多に喋らなくなった桜井さんは先生も生徒も関係なく口を閉ざすので、

周りと余計な摩擦を生まないように僕がさりげなくフォローに入った。


桜井さんの傷は彼氏の澤村くんのDVなんじゃないか、なんて噂も流れ始めた。

多分ゴシップ好きな女子達が勝手に言い始めたんだろう。

事の真相はともかく、

僕の役目は余計な争いをうまないこと。


澤村くんの立ち場が危うくなるのを防ぐために、一晩であんな古傷ができるのは普通じゃないことと、誰よりも澤村くんが心配しているであろうことをクラスで一番口の軽い人に吹き込んでおいた。


実際のところ澤村くんが今どこまで桜井さんのことをどう思っているかは分からない。


以前宗方くんが言っていたように明らかに接触は減っているし、

ドラマに出てくる極道の人みたいな傷ができた彼女のことをあまり快く思っていないのはなんとなく感じる。


まあそれは二人の問題で、

僕が出しゃばる事でもない。

どちらかから相談でもされたら、

それらしい回答は適当にしておこうと思う。



あの傷がなんなのかは僕にも分からない。

その正体にはさして興味もない。

桜井さんの傷の謎に解き明かそうと躍起になっている女子も居るけど、

それは彼女達の好きにさせておけばいい。


僕にとって大事なのは、

僕の所属する集団がいつでも円滑に運営されていること。

輪に入れずにいたり、はみ出てどこかに行ったり、問題を起こそうとする人は上手く調停する。


僕は周りの人よりかなり上手にそういうことができて、実は僕の前世は牧羊犬なんじゃないかと半分本気で信じてる。


何か問題が起これば起こるほど、

僕の賢さと優秀さが発揮される時だ。

少し面倒だとも思いつつ、

僕は有能な僕が大好き。


そういえば宗方くんが、

また桜井さんに声をかけていた。


あれだけ釘を刺されていたのに、

彼は澤村くんに隠れてまだ後を付けまわしてるみたいだ。

きっと遠からずまた何か起こしてくれるだろう。


ああ、また揉め事が起きてしまう。

嬉しくってニヤけが止まらなくなるじゃないか。

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