傷①/宗方 教人(むなかた のりと)
僕のクラスには双子の姉妹の片割れが居る。
姉のほう。名前は桜井なるみ。
妹は隣のクラスに居る桜井のぞみ。
二人とも凄く美人というわけではないけど、
かなり可愛いらしい顔をしている。
誰からも嫌われない愛想の良さも持っていて学年問わず知り合いも多い。
もちろん二人とも彼氏持ちだ。
彼氏はどっちも僕と同じクラスに居る。
姉妹揃って学年の皆が知ってる有名なカップルだから、妹がこっちのクラスに出入りしていても皆も先生も何も言わない。
毎日4人で昼飯を食べにどこかに出て行くし、
彼氏同士も親友でお互いに彼女の相談をしてたりする。
そんな、漫画でしか見たことがないような輝かしい学校生活を送ってるのが桜井姉妹だ。
休み時間のたびに席で黙って読書をしている僕とは対局の立ち位置にいる。
無駄に関わらないようにしていたけど、
席替えで姉の隣になった縁で、
遊びに来た妹に話しかけられたことがあった。
話してれば、よく似ている二人でも微妙な違いはある。
姉のなるみのほうが大人しくて慎重な性格。
妹ののぞみは明るくて行動派。
見慣れれば顔だって雰囲気だってちょっとずつ違う。
二人とも少し口角が上がっていて髪の毛も目も茶色っぽいのが特徴だけど、
どちらかといえば僕は姉のほうがタイプだ。
けど、どんなに可愛いくても性格がよくても、普通の人と僕がどうにかなることはない。
それは僕の家にちょっと変わった特徴があるから。
『神の祝福は消えない跡となって体に刻まれる』
僕の家はこの教えを親族一同で本気で信じ、
忠実に守ってきた。
神様は誰にだって祝福を与えるくださる。
不幸だなんだと喚く奴はそれに気が付いてないだけ。
それと同時に神様は同時に気まぐれな存在でもある。
祝福を全員に平等に与えるとは限らない。
だから、特別に神様に愛された者にはその印が傷跡になって現れるというものだ。
祝福の跡が濃く、
目立つ場所にあるほど寵愛が深い証拠だ。
子どもの頃から両親にそんな話を聞かされ、周りの親戚たちもその教えに従って生きて来た。
僕の親族には体のどこかに深い傷跡がある人が多い。
普段付き合う友達も、結婚相手も、
『祝福』の有無によって自分たちに相応しいかどうかを見極めたりする。
僕の母さんもそういうチェックを乗り越えて父さんと結婚した。
母さんの胸元に斜めに走っている大きな傷が結婚の決め手だったみたいで、
母さんは今でもその傷を誇りに思っている。
そんな家だからただの同級生の双子の姉なんて、話題に出すだけで両親がいい顔しないのは分かってる。
家の教えに時々違和感はあった。
幼い頃は純粋に信じていたけれど、
学校に行けば『神様』や『祝福』なんて全く知らない同年代の子どもが大勢いる。
学校生活を送るうえで人間関係を築くのが難しいところもあったけど、
子どもの頃からその考え方が当たり前だったし、
周りと違うことが分かっても適当に話を合わせるくらいはできる。
もともと騒がしいのは好きじゃないから、
普通の人と馴れ合わない家の教えは
むしろ過ごしやすい面もあった。
ある日、いつもと同じように登校したらうちのクラスだけやけに五月蝿くて廊下まで騒音が漏れていた。
単に騒いでいるというだけじゃなくて、
どこか緊迫感のあるざわめきだ。
何事かと思ったら、
その理由は教室に入ってすぐ分かった。
皆が集まって人だかりができているその輪の中心に、騒ぎの原因になっている人物が立っていた。
双子の姉、桜井なるみだ。
妹と双子で二人揃って可愛いと評判の彼女。
その顔に、
大きく抉るような深さの傷跡ができていた。
昨日までは何もなかったはずなのに、
刃物で切られたような長い一本線が
彼女の柔らかそうな頬を無惨に引き裂いている。
傷口は完全に塞がっていて、
茶色い汚れみたいになっていた。
おかしな話だった。
どう見ても昨日今日できた傷には見えない。
とても昔にできた傷跡がずっと治っていない感じだ。
クラスの連中は彼女を取り囲んで顔覗き込みながら、傷のことを口々に訪ねた。
どうやって傷ができたのか。
なんでもうこんなに古い跡になっているのか。
痛まないのか。血は出ないのか。
今までは傷を隠してたのか。
どんな質問にも姉は口を開こうとしない。
人だかりの隙間から彼女を見た瞬間、僕には分かった。
他の人には何が何だか分からないのも、
彼女が口を閉ざしているのも当然だ。
だってそれは『祝福』の印に間違いないんだから。
親族以外に印を持っている人を初めて見た。
しかもこんなにしっかりと深い跡で顔のど真ん中だ。
間違いない。賭けてもいい。
今この教室で、この傷の意味に気付いてるのは僕だけだ。
ドキドキしながら自分の席に着いた。
こんな身近に仲間に出会えるとは思えなかった。
少し遅れてなるみさんも隣の席に戻ってきた。
椅子に座る動きにあわせて髪の毛が揺れる。
マスクもせずに傷跡を堂々と見せて隠すこともしない。
女の子なのに嫌じゃないんだろうか。
右隣の僕の席から頬の傷が丸見えだ。
眺めれば眺めるほど、
その傷跡に惚れ惚れする思いだった。
これまでのなるみさんも可愛いほうではあったけれど、
『祝福』を受けた彼女の横顔はこれまでと比べものにならないほど美しい。
これを運命と言わずして、なんと言うのか。
少しだけ。ほんとにちょっとだけ。
彼女のことをいいなと思って来た矢先、
一夜にして顔に『祝福』の印が現れた。
これはもう神様が僕達を引き合わせようとしているに違いない。
これほど立派な『祝福』の印があれば、
僕の家族も反対しないはずだ。
今日家に帰ったら早速、
未来の配偶者ができたと報告しようと思う。
可愛いで有名だった双子の姉の顔に傷ができたことは、
またたく間に学校中に広まった。
その日、毎日のように遊びに来ていた妹はこっちのクラスには来なかった。
知らない女子達が噂話をしているのを聞きかじったところによると、
「あのお姉ちゃんは私の知ってるお姉ちゃんじゃない。朝起きたらまるで別人になってたの」と零していたそうだ。
それはそうだと、聞き耳を立てながら僕は思った。
強い祝福を受けてるに人間と、
そうじゃない人間では違いもでる。
だからそこそ祝福を受けた自覚を持たなきゃいけない。
僕も子どもの頃本屋で転んで本棚の角にぶつかって、
鼻を縫うほどの怪我をした。
その傷跡がいつまでも消えないことに気が付いた時、
初めてそれが『祝福』だと知り、
親戚一同から「祝福を受けた自覚を持ちなさい」と言われたものだ。
神様から特別に愛されたからには、
他の人より自覚をもって生きなければならない。
それがどういうことなのか、何をしたらいいのか、
今の僕はまだ分かっていない。
でも、もう少し大人になって自信をつけたらきっと大きなことを成し遂げる存在になる。
だって、神様に愛されているのだから。
その時僕の隣に居て支えてくれるのは、
『祝福』を受けた人でなければいけない。
そう、例えばなるみさんのような。
神様はそのことを分かり易く僕にそれを教えてくれている。
問題はどうやって彼女と距離を詰めていくかだ。
今まで人間関係も制限をかけていたせいで、
誰かと、ましてや女性と親密になったことなんてない。
隣に座る彼女を盗み見ながら考えた。
彼女と僕は同じ『祝福』を受けた同士なんだから、
きっと話も合うし相性がいいのは確かだ。
恐れずに堂々といけばいいだけなのだけど、
最初の一言目がどうにも出ない。
普段から落ち着いている彼女は、
今日は特に無口でまだ一言も発していない。
授業中先生にあてられても静かに首を振って、
喋れないというジェスチャーをしていた。
もしかしたらいきなり『祝福』を受けたせいで、
体に何か影響が出てるのかもしれない。
彼女に合わせて筆談にしたほうがいいのか。
僕も『祝福』を受けていることをどうやって伝えようか。
そんなことを考えているだけで、
いつまでもなるみさんに声をかけられないままでいた。
クラスの連中もずっと彼女を遠巻きに見ているせいで、
いつも人に囲まれてる彼女はひとりぼっちだ。
仲が良かったはずの彼氏でさえ寄ってこない。
中にはこの傷を汚いだとか、
不気味だなんて言う奴もいた。
僕に言わせれば、そいつは美的センスがなってない。
三日月だって、
両腕がないヴィーナス像だって、
欠けてる部分があるからこそ綺麗なんじゃないか。
彼女の肉を抉るほど深い傷跡も同じ類のものだ。
僕みたいに怪我をした跡が『祝福』の印になるケースは多いけど、なるみさんみたい急に現れるのは初めて見た。
もしかしたら僕が知っている誰よりも”本物”なのかもしれない。
こんな運命の相手を目の前に、
神様からお膳立てをされて何もしないわけにいかない。
意を決して授業の合間の休み時間に、
聞こえないくらい小さい声でなるみさんに囁いた。
「その『祝福』の印、とっても綺麗だよ」
驚いた顔のなるみさんと目が合ったから、
好意の意味を込めて少しだけ笑った。
もっと喜ぶかと思ったのに、
なるみさんはチラっと僕に視線を向けただけで
何も言わずに席を立ってしまった。
「え? ち、ちょっと待ってよ」
教室を出ていくなるみさんを慌てて追いかけた。
廊下をどこか向かって歩く彼女の制服の裾を掴んで引き留める。
「待ってよ、僕も一緒なんだ。『祝福』の印がある。僕達は仲間なんだよ」
なるみさんは乱暴に僕の腕を振りほどいて、
また何も言わずに歩き出した。
僕に背中を向けてどんどん遠ざかっていく。
その反応はいつものなるみさんじゃなかった。
以前のなるみさんは若干落ち着いた人ではあったけど基本的に人当たりがよかった。
こんな風にあからさまに人を無視することなんか絶対しなかったはずだ。
周りが言うように、何かがおかしい。
他の人ならいざ知らず、
僕には印があるのに避ける理由が分からない。
その後も何度か機会を伺って話かけてみたけど、
結果は同じだった。
何度も彼女に付きまとっていた俺は、
怒った彼氏の澤村に捕まって、
かなりきつめに苦言を呈されてしまった。
「あいつに二度と近づくんじゃねえ」
廊下の隅に呼び出されてそんなことを言われたけど、
裏では自分の仲間に「あんな傷気味が悪い」と言ってるのを知ってる。
教室でだって前より距離を取ってるのはバレバレだ。
それでよく俺に牽制してきたもんだ。
あいつは彼女に相応しくない。
一部では彼氏のDVじゃないかなんて言う女子も居るせいで、澤村の評判も危うくなってきている。
疑惑の目を向けられてストレスが溜まってるんだろう。
あれはどう見ても新しい傷跡なんかじゃないのに、
容疑者にされて可哀想と思わなくもない。
これから雰囲気だけでものを言う女子は困る。
まあ、そのストレスを俺ぶつけるはお門違いだけど。
邪魔をしているのは澤村のほうだ。
僕となるみさんは特別な絆で結ばれている。
反発してやりたいけど、
腕力では適わないから表面上は言うことを聞いておく。
神に愛された存在で、
人に暴力を振るうなんてあり得ないからだ。
とんだ邪魔が入ったせいで、
もっと人目につかないところで彼女と話す計画計立てる必要が出てきた。
なるみさんは毎日妹と一緒に帰っていたけど、
印が現れてからは妹のほうが姉を避けて一人で帰っているみたいだ。
彼氏の澤村もずっと彼女を置いて帰ってしまう。
つまり、狙うはそのタイミングだということだ。
僕は一人で下校しようとしている彼女を廊下で待ち伏せて声をかけた。
「桜井なるみさん。話をしたいんだけど」
相変わらず彼女はだんまりだ。
ちょっとだけそばかすのある整った顔から、
能面のように表情が消えている。
彼女が僕にまで頑なに口を開かない理由はまだ分かっていない。
僕が仲間だと伝えた時点で、
彼女も僕に運命を感じているのは間違いないはずなんだ。
黙ったままのなるせさんの手を引いて近くの空き教室に入った。意外にも素直に僕について来てくれる。
カーテンの閉まった薄暗い部屋で彼女と二人きりで向かい合う状況が出来上がった。
「……ごめん、こんな所で。
でも大事な話があるんだ。その傷跡のことで。
それ『祝福』の印だよね?
実は僕にもあるんだ。ほら、見て……」
左側の小鼻を抑えて傷が見えやすいように差し出した。
なるみさんはちょっと眉をひそめただけで、
期待したような反応は返ってこなかった。
すぐに鼻を引っ込めて話を戻した。
「まさか、なるみさんにも印が現れると思わなかった。
おうちの人もそうなの?
あ、なるみさんに出たってことは、
妹さんのほうにも出たりするのかな。
そうだといいね」
なるみさんと向かい合って、僕だけが話し続けてる。
男と薄暗い部屋で二人きりにされても、
彼女は動揺することもなく僕をまっすぐ見ていた。
仲間の証拠の傷跡を見せればもっと打ち解けると思ったけど、作戦はうまくいっていないみたいだ。
それが分かっていながら、
話し始めた僕は完全に辞めどきを見失ってしまった。
「それでさ、僕の家はけっこう真面目な家だから。
友達とか付き合う相手とか困ってたんだよね。
ほら、僕達は誰でもいいってわけじゃないからさ?
で、君の印をみて一発で分かったんだ。
僕の相手は君しかいないって。
きっと、君もそう思ってくれると思うんだ。
ほ、本当は印ができる前から僕はなるみさんのことが気になってたんだけど。
ま、まあ、それはどうでもいいよね……。
どうかな、僕等が付き合うっていうの。
そんなに悪い話じゃないはずだ。
僕の家は一族で印持ちが多いし。
皆『祝福』に恥じない生き方をしている立派な人達ばかりなんだ。
一度、うちに来て欲しい。僕の家族に紹介する。
僕の未来の婚約者として。……来てくれるね?」
一歩詰め寄ってなるみさんの返事を待った。
10秒ほど何も起きない時間が流れて、
なるみさんが口を開いた。
「……気持ち悪い」
それだけを残して、彼女は教室から出て行ってしまった。
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