小説の書けない僕のこと

小説家として致命的なことがある。

文章が下手くそなことでも、

物語の構成力がないことでもない。

タイトルやキャラ名が絶望的にダサいことでもない。



何も言葉が出ず、一文字も書けないことだ。


何を言ってるんだと思うだろう。

当り前のことを仰々しく言うなと思うかもしれない。

だけど俺は今、

まさにそんな状態に悩まされている。


今日中に原稿用紙5枚分は書きあげたいのに、

もう3時間経って1文字も書けていない。


いけると思って書き始めて、

すぐに続きが書けなくなって全部消す。

この作業をもう何回も繰り返している。


このままだと大分まずい。

焦れば焦るほど、

脳味噌が石になったのかと思うくらい思考が固まってしまう。


正直なところ、

俺が書けないことで困ることは何もない。

書かなきゃいけない義理もない。


誰かに依頼をされているわけでもない。

出版を控えてるわけでもなければ、

サイトひ投稿している人気作品というわけでもない。


無料で誰でも投稿できるサイトにアップしてはいるけれど、閲覧数なんて一桁がほとんど。


たまに『いいね』が1つでもついたら上出来なほうだ。


つまり、俺の作品は誰も見てないし、

知りもしない。


今書いているのは、

間違って現世に生まれてしまった主人公が異世界に戻って自分の国を作っていく物語だ。


タイトルは『異世界ニートの建国日記』。


あらすじと設定を考えるだけで一か月間、

仕事の合間に練りに練った自信作だった。


正直なところ1話目を投稿した時なんか、

バズって出版の話が来たらどうしようかと、

不毛な心配もしていた。


現実はそんなに甘くない。

無名な俺の作品なんて誰からも見向きもされなかった。


そりゃそうだ。


毎日どこかで赤ん坊が生まれても皆知らないように、新しく世に生まれた俺の作品だって誰も知りやしない。


それでも俺は書き続けた。

彼女も居ない。

趣味もない。

ついでに金もない。

休みの日にお金をかけずにできる趣味は好都合だ。


閲覧数が伸びないと辛くなって辞める人も居るけど、数字なんか関係ない。


熱意だけで書き続けられる人こそ、

本物だと思っていた。


そう信じて書き続けていた、はず、だった。


それが急に1週間以上、

全く筆が進まなくなってしまったのだ。

理由は全く分からない。


緊張の糸が切れたみたいに、

あるいは俺自身が物語への興味を失ったみたいに、見つめるPCの画面がただの白い空白にしか見えなくなった。


本来なら書けない時は無理に書かなくてもいいんだろう。


更新が止まっても、

心配したり待ってくれている人は居ない。


『自分のペースでゆっくりやっていきます』


色んなクリエイターが便利に使う言葉じゃないか。俺だってそれをしていいはずだ。


なんてったって、俺は底辺作家なんだから。


それでも俺自身の中身が、

まだ書き続けようと気持ちを焦らせてくる。


せっかく思いついた話なのに、

日の目を浴びるチャンスもないのは可哀想だ。

そこに存在しているキャラクター達にも申し訳ない。

貴重ないいねをくれたあのアカウントの人が待ってくれているかも知れない。


そんな幻想に縋って筆を前に進めようともがいていた。


こんな時は、

SNSなんて見てしまったら、もう最後だ。


何万という閲覧数とフォロワーを持つ作家さんがうじゃうじゃ居る。

『週刊ランキング10位に入りました』

『今日最新話投稿します!』

『閲覧数1万到達しました!』


そんな華々しい活躍の報告ばかりが目に入って、書けない俺はその光で滅されそうになってしまう。


いっそ、滅された方が清々しいまである。


この天才達の頭の中には脳味噌じゃない何かが詰まっているとしか思えない。


羨ましく思ってしまうと気持ちは落ちて行く一方だ。


小説界隈じゃない人のSNSを見ても、

好きなYouTubeチャンネルを見ても、

自分より楽しそうに活動して上手くいっているように見えて妬ましくなる。


別に、小説1本で食べて行こくことを望んでいる訳じゃない。

でもやっぱり、好きなようにやって人から賛同を得られているのは羨ましいんだ。




ガシガシと頭を掻きむしってSNSを見ていたスマホを置くと、もう一度ノートパソコンの画面と向かい合った。


「どうせオレには皆の国を創るなんて無理だったんだ!」


主人公が困難に直面して心折れかけるシーンのセリフで止まっている。


この後に続くのは、

仲間の励ましの言葉のはずだ。


魔法使い役の女の子キャラにそのセリフを言ってもう予定だけど、

その後の主人公の反応がどうしても出てこない。


書いてる側としては

前向きに行動してくれないと困るけど、

どんなに明るい言葉を並べてもしっくり来ない。


ここまで主人公と二人三脚で頑張れていたのに、いきなり交渉決裂だ。


もう、どうしたらいいのか分からない。

イラついて貧乏ゆすりが激しくなった。


「分からない、分からない!」


ヤケクソで俺自身の心境をキーボードに打ち込んだ。


その瞬間、

どこからか聞き覚えのない声が聞こえた。


『そうだよ、オレどうすればいいのか分からない。無理に元気にさせないでくれ』


思わず周りを見渡したけど、

独り暮らしのマンションに俺以外が居るわけもない。


まさか泥棒でも隠れてるんじゃないかと不気味に思いながら、

聞こえてきた言葉をそのまま打ち込んでみた。


「オレどうすればいいのか分からない。無理に元気にさせないでくれ」


そしたら今度は、違う女性の声が聞こえた。


「ふんっ。たかだか十数年しか生きてない坊やは弱虫で嫌ね。男を見せなさいよ」


なるほど。

俺の魔女キャラが言いそうなセリフだ。

俺はまた、聞こえたものをそのまま文字に起こした。


それから次も、不思議とキャラのセリフが頭の中に聞えて来た。

何も考えなくてもキャラの方から喋ってくれる。

ずっと閉じてた世界への扉が開けたみたいだ。


調子に乗ったオレはキャラクター達の声が聞こえるうちに集中して書き続けた。


ご飯も面倒になって何時間も書き続けてたら、いつのまにか予定してた文字数はとっくに超えていた。


聞こえる限りキャラクター達の言葉のセリフを文字にして、書いた分は全部サイトにアップしてからその日はベットに入って休んだ。




一夜明けた翌日。

仕事のために目を覚ました。


コーヒーを淹れてスマホを開く。

眩しすぎる光に照らされた画面には、

有り得ない光景が映し出されていた。


スマホが壊れたのかと思うくらい、

大量の通知のバナーが表示されている。


10や20じゃきかない数だ。


それは全部、俺がいつも小説を投稿しているサイトからのものだった。


何が起きているか理解できない。


俺の小説が何かの原因で炎上でもしたんじゃないかと怖くなり、

急いでいつものサイトに飛んで確認した。


いくらスクロールしても終わらないほどの通知に並んでいたのは、

昨夜最新話を投稿した作品へのコメントといいねだった。


アンチコメが怖すぎて、

薄目で心の鉄壁を用意してから

中身を読んだ。


そこに並んでいたのは、キャラへの共感と、

俺の作品を褒めてくれる暖かな言葉ばかりだった。


”めやくちゃ面白いです”

”こんな名作が隠れてたのか……”

”〇〇のキャラクター大好き!”

”かなり面白かったです。フォローさせていただきました”


この世にこんなに愛と平和を体現している世界は他にないんじゃないかと思うくらい、

それも優しくて思いやり溢れる言葉が勢ぞろいしている。


昨日まで誰も知らない日陰の作品だったのに、なんでこんなことになっているのか。


その答えはSNSで見つけた。


書籍も発売していて、

新作を出せば絶対に万単位の閲覧数がつく有名な作家さんが、

何のキッカケか俺の作品を見つけて拡散してくれていた。


やっぱり有名な人の影響力は凄い。

それは本当に鶴の一声だ。


たった一度その人が俺の小説を紹介してくれただけで、

それを見たフォロワーさん達により

加速度的に情報が行き渡った。


その結果信じられないくらいの人が俺の小説を知ってくれて、

なおかつ好意的な反応をくれているということらしい。


自分に何が起こったのか、

おおよその流れを理解してスマホを閉じた。


一度深呼吸をして淹れたコーヒーを飲む。


夢物語みたいなフワフワした感覚と、

口の中のコーヒーの苦さが混じって丁度良くなる。


大変なことになったのは自覚しつつ、

とりあえずは仕事に向けて着替えをして電車に乗るべく家を出た。


歩いていても、満員電車で押し潰されても、仕事のメールをチェックしていても、

頭の中は朝読んだ皆のコメントのことで一杯だった。


嬉しい言葉は何回反芻しても気持ちが良くなるものだ。


スランプだった時の辛さなんて忘れて、

調子よく執筆を続けることができた。


運のいいことにあれからずっとキャラクター達の声は聞こえているから、

セリフに迷うこともない。


日中は他の仕事をしているとは思えないペースでどんどん新作をあげ、

そのたびに今までとは比べ物にならないくらいの閲覧数と反応が来るようになった。


最初は数字なんてどうだっていいんだと思って始めたけれど、単純なもので数字が増えるのはなんだって嬉しい。


時々くる有難いアドバイスのコメントも参考にして、ラストの困難に立ちむかう主人公達を書き終えて物語の幕を閉じることができた。


特に最終話には、いつもより多くのいいねと俺を労うコメントが寄せられた。


あのバズッた時から数か月後の完結だ。

仕事もあるなかで、よく頑張ったと自分でも思う。


本職の仕事より充実感を覚え、

ゆっくりと一息つく時間を過ごしていた時期に個人用のメールアドレス宛に1通のメールが来た。


【件名:株式会社〇〇 出版のご相談】


本屋に行けばどの棚でも見つけることができる、大手出版社の名前がそこにあった。


目玉が飛び出そうなその件名に驚きつつ、

メールの内容をよく読んだ。


それは、俺が今投稿している作品を出版してみないかという誘いだった。

1話目を投稿した時に夢見ていたことが、今、現実になろうとしている。


五月蠅く鳴る心臓を黙らせて、

冷静に条件を読んでその場で快諾の返事を返した。


とうとう、出版をすることになるらしい。


1文字も書けなかった状況からすると急加速しすぎて俺自身ついて行けない。


これから先どうなるか分からないけど、

出版をするとなったら良い加減なものを出すわけにはいかないことだけは分かる。


こんなチャンス、

一生に何度もあるか分からないんだ。

絶対に後悔のないようにする。


「よしっ! やるぞ」


孤独な部屋で1人気合を入れて、

パソコンのフォルダからもう一度原稿のデータを呼び出した。



*******

僕はそこで手を止めて、パソコンを閉じた。

時間は夜中の1時。もう寝ないと明日も朝からスーパーのバイトだ。


裏返していたスマホを戻すと母親からラインが来ていた。


『ねえ、あなたいつ正社員になるの』


いつものお決まりの小言だ。

返信もせずにそのまま画面を消して、

記憶も消すためにベットに潜り込む。


30歳を過ぎてまだ小説家になる夢を追いかけているのは悪いことなのだろうか。


書き続けていればいつかは……と縋り続けているけど、進捗は決して良くない。


無名の小説家が一気になっていく話なんて、

自分の願望丸出しもいいところだ。


「……書いてる本人が無名なんじゃ、説得力ないよな」


思わず口から言葉が漏れる。

そんな自分を鼻で笑ってから、明日に備えて電気を消した。

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